第7話
執行委員会との衝突から数日。学園内には、嵐の前の静けさのような奇妙な緊張感が漂っていた。アルスは「謹慎」という名目を与えられていたが、それは事実上、彼を一般生徒の目から遠ざけるための学園側の窮策に過ぎなかった。
そんな中、事件は起きた。
「アルス! 大変よ!」
謹慎場所として指定された旧校舎の図書室に、エリナが飛び込んできた。彼女の表情は蒼白で、その手は微かに震えている。
「エリナ、どうした。そんなに慌てて」
「……リィナが、私の侍女のリィナが連れ去られたわ! 学園の正門前で、黒いローブの集団に!」
リィナ。エリナの身の回りの世話をするために実家から同行している少女だ。平民ではあるが、エリナにとっては妹のような存在であることをアルスも知っていた。
「黒いローブ……。学園の結界はどうした。外部の人間が容易に侵入できるはずがないだろう」
「それが……結界が『止まった』みたいなの。物理的に壊されたんじゃなくて、まるで最初からそこになかったみたいに。そして、これを残していったわ」
エリナが差し出したのは、一枚の真鍮製のメダルだった。そこには、沈みゆく太陽と、それを噛み砕く巨大な歯車が刻印されている。
「——『黄昏の歯車(トワイライト・ギア)』」
アルスの脳裏に、地下工房で見つけた数式の一部がフラッシュバックした。あの地下室に残されていた記述。失われた古代の技術を狂信的に崇拝し、現代の魔法文明を「偽物」として否定する秘密結社だ。
「彼らの狙いは、僕だな。……エリナ、リィナが連れ去られた方向は?」
「学園裏の『嘆きの渓谷』よ。追おうとしたけど、見たこともない魔導兵器が行く手を阻んでいて……!」
「わかった。準備をする。エリナ、君は僕が昨日調整したガントレットと、『静寂』を持て」
「準備って……今から!? 先生たちに報告しないと……」
「無駄だ。結界を内部から停止させられる連中だ。学園の中にも内通者がいる。教師たちが動き出す頃には、リィナは消されているか、実験体にされている」
アルスは作業机の上に並んでいた鉄屑と、いくつかの薬液瓶を鷲掴みにした。
彼の目には、もはや「謹慎中の生徒」の影はない。冷徹な、物質の支配者の目がそこにあった。
学園の裏手に広がる『嘆きの渓谷』。
切り立った断崖の底で、黒いローブを纏った男たちが、囚われたリィナを囲んでいた。その中心には、巨大な「時計」のような形をした異形の機械が設置されている。
「……素晴らしい。この娘の恐怖、そして流れる魔力の波長。これが我らの主、古代の叡智を呼び覚ます潤滑油となるのだ」
リーダー格の男が狂気じみた笑みを浮かべた時、頭上の断崖から鋭い声が響いた。
「——その機械、設計思想が古いな。歯車の噛み合わせが0.3ミリほどズレているぞ」
男たちが一斉に顔を上げる。そこには、崖の上に立つアルスと、剣を抜いたエリナの姿があった。
「何奴だ! ……ほう、貴様が噂の『再構築者』か。魔力値12でありながら、物質を自在に操るという……」
「リィナを返して!」
エリナが叫びとともに崖を蹴り、一気に滑り降りる。
だが、男たちは動じない。彼らが機械のレバーを引くと、リィナの周囲に目に見えない「振動の壁」が発生した。
「無駄だ、聖騎士。この『高周波結界』は、いかなる魔力攻撃も散らし、物理的な接触をも拒絶する。近づけば貴様の体は分子レベルで粉砕されるぞ」
「……分子レベル、か」
アルスが崖の上から飛び降り、エリナの隣に静かに着地した。
彼は懐から、銀色に輝く小さな球体——地下工房の廃材で作った「共振触媒」を取り出した。
「エリナ、剣を。僕が結界の周波数を合わせる。君は、その瞬間に『静寂』を突き立てろ」
「……わかったわ、信じてる!」
アルスが球体を地面に叩きつけた。
パキィィィィィィィン!
耳を突き刺すような高音が響き渡る。アルスの指先から放たれた微弱な魔力が、敵の機械が発する振動と完全に「逆位相」となってぶつかり合った。
一瞬、敵の絶対防御である結界に、目に見えるほどの「穴」が開いた。
「今だ!」
エリナの『静寂』が閃いた。
魔力を一切漏らさず、ただ一転に凝縮された銀の刃が、敵の魔導兵器を中央から一刀両断にする。
「な……馬鹿な! 我らが誇る古代の遺産が、たった一撃で!?」
「遺産は博物館にあるべきだ。……さあ、次はあんたたちの番だ」
アルスが地面に手を置く。
敵が逃げようとした足元の土が、瞬時に「液体」へと変わり、彼らの足を飲み込んだ。そして次の瞬間には、ダイヤモンドを凌ぐ硬度の「岩石」へと再凝固する。
「ぐあああ! 足が、足が抜けない!」
「安心しろ。殺しはしない。……ただ、少しだけ『解析』させてもらう。あんたたちの組織、そしてその知識の出所をね」
完勝だった。
最強の剣士と、理(ことわり)を知る錬金術師。
二人の初めての「実戦」は、一方的な蹂躙で幕を閉じた。
リィナを救い出し、震える彼女を抱きしめるエリナ。その背後で、アルスは壊れた敵の機械の残骸を見つめていた。
その残骸には、不気味な刻印があった。
——『プロトタイプ:No.012』。
「……12、か」
自分の魔力値と同じ数字。それが単なる偶然ではないことを、アルスの本能が告げていた。
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