第5話 世界は「正解」以外を認めない(前編)
◆◆◆
翌朝。 俺はいつもより早く目が覚めた。
目覚まし時計が鳴る前だというのに、どうにも落ち着かない。 理由は分かっている。昨日のリィナのことだ。
『明日は、街の市場に薬草やポーションを売りに行くんです』
別れ際、彼女はそう言っていた。 生活費を稼ぐために、自分で作ったアイテムを卸しに行くらしい。 昨日の笑顔を思い出せば「頑張れよ」と応援するのが筋なんだろうけど、俺の胸の中では、得体の知れない警報が鳴り止まなかった。
直也「……なぁ、ALMA」
俺は枕元に浮いている光球に声をかけた。
ALMA『おはようございます、直也さん。 予定より早い起床です。睡眠不足は判断力低下の要因となりますが』
直也「数値の話はいい。 ちょっと、市場まで行ってみないか? 散歩がてらさ」
ALMA『……承知しました。 リィナさんの状況確認が目的であると推測します』
直也「言い直さなくていいよ。その通りだから」
俺はベッドから起き上がり、昨日と全く同じ位置に戻されている靴を履いた。 この世界は今日も完璧だ。 完璧すぎて、少しの「異物」も許さないような、静かな圧力を感じる。
リィナは、あの中でちゃんと息ができているだろうか。
◆◆◆
ミルメリアの朝市は、活気に満ちていた。 だがそれは、どこか「演出された活気」のように感じられた。
「いらっしゃい! 新鮮な野菜だよ!」 「いらっしゃい! 新鮮な野菜だよ!」 「今日は良い風ですね! 安いよ!」
飛び交う声は大きいが、どれも抑揚が一定だ。 並んでいる商品も、不気味なほど揃っている。 カゴに盛られたトマトは全て同じ大きさで、傷ひとつない。まるで工芸品のようだ。
直也「……スーパーの陳列だって、ここまで綺麗じゃないぞ」
ALMA『見た目の美しさを最優先に選別されています。 不揃いなものは、市場に並ぶことすら許されないようです』
直也「窮屈だな……。 『どれが美味しいかな』って悩むのも、買い物の楽しみだろうに」
俺はため息をつきながら、人混みをかき分けた。 冒険者用の装備品、食料品、日用雑貨。 どこを見ても、金太郎飴のように「正解の形」をした商品だけが並んでいる。
そんな無機質な光景に胃もたれしそうになりながら、俺は市場の隅——メインストリートから一本外れた、薄暗い路地裏のような場所へ向かった。 ALMAの探索レーダーが、そこを指していたからだ。
そして、そこに彼女はいた。
◆◆◆
華やかな市場の喧騒から弾き出されたような、建物の陰。 そこに、リィナが小さな木箱を広げて座っていた。
リィナ「……あの、いかがですか……? 傷薬と、毒消し草の粉末です……よく効きますから……」
彼女の声は小さく、通り過ぎる人々の耳には届いていないようだった。 いや、聞こえていないというより、「そこにいないもの」として扱われている感じがする。
俺は少し離れた場所から、様子を伺うことにした。
直也「……場所、悪すぎないか? あんな隅っこじゃ客なんて来ないだろ」
ALMA『市場の区画整理規則により、評価の低い露店は外縁部に配置されます。 彼女の商品は、この街の「基準」を満たしていないと判定されているようです』
俺は彼女の商品を見た。 リィナの前に並べられた小瓶は、ガラスが少し歪んでいて、手作り感満載だ。 中に入っている液体も、色が微妙に違ったり、沈殿物があったりする。 隣の屋台で売られている、透き通った綺麗なポーションとは大違いだ。
でも、俺にはリィナのポーションの方が、ずっと「効きそう」に見えた。 一生懸命すり潰して、時間をかけて煮出したんだろうな、という背景が見えるからだ。
直也「買いに行こうかな」
俺が足を踏み出そうとした、その時だった。
「——おい。なんだこれは」
低い声がした。 見ると、二人組の男がリィナの前に立っていた。 革鎧に剣を下げた、いかにもな冒険者風の男たちだ。 ただ、その目は笑っていない。感情の色がなく、ただ「汚れを見つけた清掃員」のような目をしている。
リィナ「あ……おはよう、ございます。 ポーション、ですか? これは薬草を煮詰めたもので、即効性があって……」
リィナが慌てて説明しようとするが、男の一人がそれを遮るように小瓶を手に取った。 そして、汚いものを見るように眉をひそめる。
冒険者A「色が濁っている。形も不揃いだ。 ……こんな『汚いもの』を市場に持ち込むな」
男の声は、怒鳴っているわけではなかった。 ただ淡々と、事務的に事実を告げるような口調だった。 それが逆に、底知れない冷たさを感じさせる。
リィナ「え……?」
冒険者A「ここは、美しい商品だけを扱う場所だ。 お前のような『出来損ない』が混ざると、街の景観が損なわれる」
リィナ「で、でも……効果はあります! 自分でも試しましたし、怪我だってちゃんと……」
冒険者B「効果の問題ではない。 『正しくない』と言っている」
もう一人の男が、冷たく言い放つ。
冒険者B「規格を守れないものは、存在する価値がない。 ゴミはゴミ箱へ。それがこの世界のルールだ」
リィナの顔から血の気が引いていく。 彼女は自分の商品をかばうように、木箱を抱きしめた。
リィナ「ご、ごめんなさい……。 でも、これしか売るものがなくて…… 母さんの薬代も稼がないといけないし……」
冒険者A「個人的な事情は考慮しない。 規則に基づき、ゴミの処理を行う」
男の手が伸びる。 リィナが並べていたポーションの一つを掴み上げ——
ガシャンッ!!
乾いた音が響いた。 男は無表情のまま、小瓶を石畳に叩きつけたのだ。 中の液体が飛び散り、リィナの服を汚す。
リィナ「あっ……!」
直也「……!」
俺の中で、何かが切れる音がした。
冒険者A「次」
男は機械的に、次の瓶に手を伸ばす。 悪意ですらない。いじめを楽しんでいるわけでもない。 ただ「道路の石ころをどける」というだけの、純粋な作業。
リィナ「や、やめて……! お願い……!」
リィナが懇願しても、男たちの手は止まらない。 周囲の客たちも、誰も止めようとしない。 それどころか、「あそこで掃除が行われているな」くらいの無関心な視線を向けて、通り過ぎていく。
この世界では、リィナこそが「間違い」なのだ。 彼女の努力も、生活も、想いも、全てが不要なノイズとして処理される。
(ふざけんなよ……!)
直也「ALMA」
ALMA『はい。直也さんの心拍数が急上昇しています。 ……介入しますか?』
直也「決まってんだろ」
俺は地面を蹴った。 38歳、運動不足のサラリーマンの足だ。速くもないし、強くもない。 相手は剣を持った冒険者だ。勝てるわけがない。
それでも、足は止まらなかった。
男が二つ目の瓶を振り上げた瞬間。 俺はその腕を——掴むことはできず、勢い余って体当たりをした。
ドンッ!
冒険者A「……?」
不意を突かれた男が、数歩よろめく。 その手から滑り落ちそうになった小瓶を、俺はなんとか空中でキャッチした。
直也「……っ、ぶねぇ……」
俺は肩で息をしながら、リィナと男たちの間に割り込んだ。
リィナ「な、直也さん……!?」
リィナが目を丸くしている。 俺は小瓶を彼女に返して、男たちに向き直った。
冒険者A「……邪魔だ。 退きなさい。 現在、市場の環境維持のために、不要物の撤去を行っている」
男の声には、怒りすらこもっていなかった。 ただ「作業の邪魔が入った」程度の反応。 それが余計に、俺の神経を逆撫でする。
直也「撤去だと……? 人が一生懸命作ったものを、ゴミ扱いすんじゃねぇよ」
冒険者B「理解できないな。 見て分からないか? 濁っている。歪んでいる。 そんな『基準外』のものに、何の価値がある?」
直也「基準、基準って……うるせぇんだよ」
俺は鼻で笑った。 かつて会社で、マニュアル通りの報告書だけが評価され、現場の工夫が「余計なこと」として切り捨てられた記憶が重なる。
直也「こいつはな、ただのモノじゃない。 飲むやつのことを考えて、何度も煮詰め直して、苦労して作った『薬』だ。 中身も見ないで、外見だけで弾くお前らの目のほうが、よっぽど濁ってるんだよ!」
冒険者A「……意味不明だ。 規則は絶対だ。 美しくないものは排除される。それが秩序だ」
男たちが一歩踏み出してくる。 剣の柄に手が伸びる。 場の空気が、ピリリと凍りついた。
(やばい、力ずくで来られたら終わりだ……)
直也「ALMA! なんとかできるか!?」
ALMA『お任せください。 彼らには「理屈」が一番効くようです。 少し、意地悪な質問を投げかけてみましょう』
直也「頼む!」
ALMAの光球が、強く瞬いた。 その光が、男たちの瞳に映り込む。
ALMA『質問です。 あなた方は「市場の美観」と「秩序」を最優先事項としていますね?』
冒険者A「……当然だ。それが役割だからな」
ALMA『では、矛盾を提示します。 あなたのその剣にある「傷」は、なんですか? 使い古され、刃こぼれし、美しさが損なわれています』
冒険者A「……なに?」
ALMA『「美しくないものは排除される」。 それが絶対の規則なら、なぜあなたは、その汚れた剣を……そしてあなた自身を、今すぐ廃棄しないのですか?』
冒険者A「ぐ……あ……」
男たちの動きが止まる。 目が高速で泳ぎ、口元が痙攣するように引きつる。
冒険者A「そ、それは……道具だから…… いや……規則は……絶対…… 傷物は……排除……? 私が……排除対象……?」
冒険者B「今日の……風は…… 風は……良い……風……」
ガガガ、と壊れたレコードのような音が喉から漏れる。 彼らの表情から、急速に険しさが抜け落ちていく。 まるで、難しい問題を突きつけられて、思考がショートしたかのように。
冒険者A「……あれ? こんにちは。今日も良い風ですね」
冒険者B「ええ。本当に良い風だ」
二人は何事もなかったように踵を返し、機械的な歩調で去っていった。 そこに残されたのは、割れた小瓶の破片と、呆然とする俺たちだけだった。
直也「……今の、何だ?」
ALMA『彼らの信じる「正義」の矛盾を突いただけです。 思考の整理がつかなくなって、初期状態に戻ったようですね』
直也「性格悪いな……いや、助かったけど」
俺は息を吐き出し、リィナの方を向いた。 彼女はまだ、震えていた。 自分の商品をかばうように座り込んだまま、涙をいっぱいに溜めて俺を見上げている。
直也「怪我はないか?」
リィナ「う、うぅ……っ」
直也「ごめんな。一つだけ、守れなかった」
◆◆◆(前編ここまで)◆◆◆
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