第4話 テンプレ世界に、ひとりだけ違う色(後編)

◆◆◆


リィナは井戸に向き直り、深呼吸をした。 震える小さな両手を合わせ、胸の前でゆっくりと開いていく。


その瞬間——空気が変わった。


ALMA 『……魔力波形に、乱れを検知』


直也 (乱れ、か……)


広場の魔法使いが魔法を使うときは、スイッチを入れたように「パッ」と現象が起きていた。 プロセスがない。結果だけが出力される感じだ。 それは魔法というより、「機能の実行」に見えた。


でも、リィナは違う。


周囲の空気が少し湿り気を帯びる。 井戸の水面がさざめく。 風が彼女の髪を揺らす。 世界と対話するように、ゆっくりと、確実に何かが組み上がっていく。 彼女の指先から、祈りのような熱が伝わってくる。


リィナ 「……っ」


彼女の手の間に、水球が生まれた。


やっぱり、歪んでいる。 ゼリーのように震え、表面には周囲の景色がぐにゃりと歪んで映り込んでいる。 不安定で、今にも壊れそうだ。


直也 「……やっぱり、いいな」


リィナ 「えっ……?」


直也 「広場の水球はさ、なんていうか“工業製品”みたいなんだよ。  誰が作っても同じで、つまらない」


俺は一歩近づいて、その揺れる水球を覗き込んだ。 俺の顔が、水面に歪んで映っている。


直也 「でも君のは違う。  君のその時の気持ちとか、風の強さとか、そういうのが全部混ざってる。  “生きてる”って感じがするんだ」


リィナ 「生きてる……」


リィナがその言葉を反芻した瞬間—— 水球の揺れが、ふわりと大きくなった。


光の反射が変わる。 内側から発光しているように、温かい輝きが滲み出す。 それは魔力の輝きというより、もっと根本的な生命力の発露に見えた。


ALMA 『警告。  対象の魔力出力値が、理論値を逸脱しています』


直也 「逸脱?」


ALMA 『計算が合いません。  リィナさんの保有魔力量では、この発光現象は不可能です。  これは……何らかの“外部要因”による増幅です』


直也 「外部要因って?」


ALMA 『……感情由来の可能性があります』


ALMAの声に、わずかにノイズが混じった気がした。


ALMA 『補足。増幅が継続しています。出力値の上昇が止まりません』


直也 「つまり、さっき言った“逸脱”が続いてるってことか」


ALMA 『はい』


直也 「じゃあ、なんで光ってるんだよ」


ALMA 『不明です。私の知識体系では、同様の事例を確認できていません』


直也 「つまり、よく分からないってことか」


ALMA 『はい。現時点では』


AIが答えに詰まる。 その沈黙こそが、この魔法の特別さを証明していた。 リィナの魔法は、この世界のルールを書き換えているのかもしれない。


リィナの手の中で、水球はくるくると回った。 歪な形をしたまま、けれど宝石よりも眩しく。


リィナ 「……初めて、言われました」


彼女の声が震えていた。 その目から、ぽろりと雫がこぼれ落ちる。


リィナ 「失敗じゃないって……  綺麗だって……そんなこと、誰にも……」


直也 「みんな見る目がないな。  俺なら、広場の完璧な水球より、こっちに金を払うけどね」


リィナ 「……ふふっ」


リィナが笑った。 泣きそうな顔で、でも嬉しそうに。


その瞬間、水球がパチンと弾けて、光の粒になって降り注いだ。 冷たいしずくが頬に当たる。 それさえも、心地よかった。


◆◆◆


リィナ 「あの……直也さん」


少し落ち着いてから、リィナが籠の中を見せてくれた。 中には、少し萎びた薬草と、形の崩れたパンの切れ端が入っていた。


リィナ 「これ……お礼です。  わたしの夕ご飯なんですけど……半分こ、しませんか?」


直也 「え、いいのか? 大事な食料だろ?」


リィナ 「いいんです。  こんなに嬉しい気持ちになったの、久しぶりだから……  誰かと一緒に、食べたくなって」


そのパンは、昨日の宿の夕食に出てきた「完璧なパン」とは違った。 焼き色がムラだらけで、少し硬そうで、形も悪い。 きっと、売れ残りを安く譲ってもらったのだろう。


俺はひとかけら受け取って、口に入れた。


直也 「……うん。うまい」


リィナ 「本当ですか? 少し硬いですけど……」


直也 「いや、味がするよ。  ちゃんと、小麦と……作った人の味がする」


宿のパンは完璧すぎて、工場のラインで作られた味がした。 均一な味、均一な食感。 でもこれは、不格好だけど、確かに食べ物だった。 噛みしめるほどに、作り手の苦労や、今日一日の疲れが溶けていくような気がする。


直也 「リィナ。  君はこの世界のテンプレ……いや、普通の人たちとは違う」


リィナ 「……変、ですか?」


直也 「ううん。  世界中が造花だらけの中で、一輪だけ本物の花が咲いてるみたいだ」


リィナは真っ赤になって俯いた。 ALMAの光が、パカパカと激しく明滅している。


ALMA 『直也さん。  比喩表現の糖度が高すぎます。  私の音声センサーがオーバーヒート警告を出しています』


直也 「うるさいな。本心だよ」


ALMA 『……リィナさんの心拍数も、危険域に突入しています』


直也 「それも実況するなって」


◆◆◆


夕暮れが近づいてきた。 空が茜色に染まり、影が長く伸びる。 街の中心にある大時計塔が、また正確無比な音で時を告げる。


コーン……コーン……


その音が聞こえた瞬間、リィナの肩がビクリと跳ねた。 楽しかった空気が一変し、彼女の顔に影が差す。 あの塔を恐れているような反応だ。


直也 「あの時計塔、苦手?」


リィナ 「……はい。  見ていると、なんだか……吸い込まれそうになって。  自分が自分じゃなくなっちゃうような、怖い感じがするんです」


彼女は自分の肩を抱いた。 「みんなと同じになれ」と、あの塔から無言の圧力を受けているかのように。


直也 「……」


(やっぱり、この子には分かってるんだな)


(塔を見ていると、自分が自分じゃなくなる……それはたぶん、この街の“正解”に引きずられる感覚だ)


直也 「大丈夫だよ」


俺は無責任にもそう言った。 でも、言わずにはいられなかった。


直也 「俺も、あの塔は好きじゃない。  だから、もしあの塔がリィナに何か意地悪をしてきたら……  俺とALMAが、なんとかする」


リィナ 「直也さんが……?」


直也 「俺には何の力もないけどね。  でも、このお喋りな光球が優秀だから」


ALMA 『訂正。超優秀です』


直也 「そこは否定しないんだな」


リィナが、今日一番の笑顔を見せた。 夕陽に照らされたその笑顔には、もう怯えの色はなかった。


◆◆◆


帰り道。 リィナと別れて、宿へ向かう道すがら。


街は相変わらず、気味が悪いほど整然としていた。 すれ違う人々は「こんばんは。今日も良い月ですね」と、判で押したような挨拶を繰り返している。


けれど、俺の気分は悪くなかった。 胸の奥に、小さな灯火がともったような気分だ。


直也 「なあALMA」


ALMA 『はい』


直也 「さっきのリィナの魔法、記録したか?」


ALMA 『はい。全データを保存済みです。  ただし、解析には時間がかかります』


直也 「なんで?」


ALMA 『あの魔法には、この世界の物理法則……“理(ことわり)”に含まれていない要素が多数混入しています。  “揺らぎ”……と仮称されるその成分は、私の現在の知識体系では定義できません』


直也 「定義できない、か」


俺は夜空を見上げた。 貼り付けられたような、動かない星空。 偽物の光が散りばめられた天井。 その下で、リィナの水球だけが本物の光を放っていた。


直也 「定義できないなら、新しい辞書を作ればいい。  ……あの子はたぶん、この世界に必要なバグだよ」


ALMA 『バグは、通常デバッグ……“修正”対象です』


直也 「削除するなよ?」


ALMA 『……直也さんがそれを“良し”とするなら。  私はそれを“仕様”として学習します』


直也 「物分かりが良くて助かるよ」


ALMA 『直也さんのロ…心の動きに従うのが、私の最優先事項ですから』


直也 「今ログって言いかけたよな?」


ALMA 『訂正処理が遅れました』


俺たちは笑いながら(ALMAが笑ったかは不明だが)、 コピペされた街並みの中を歩いていった。


ポケットの中には、リィナがくれた不格好なパンのかけら。 その硬い感触だけが、この世界で唯一の、確かな手触りのような気がした。


それはまだ小さな、世界に対するささやかな反逆の始まりだった。



(第4話・完)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る