第4話 テンプレ世界に、ひとりだけ違う色(前編)
◆◆◆
時計塔の鐘が鳴り止むと、ミルメリアの街はまた「完璧な午後」に戻った。
俺は広場の喧騒——といっても、録音テープを再生したような一定音量のざわめき——を背にして、南側の水路沿いへと歩を進めていた。
石畳の道から、土混じりのあぜ道へ。 一歩進むごとに、足裏に伝わる感触が柔らかく、不規則になっていく。 それと同時に、肌にまとわりついていた薄いビニールのような閉塞感が、少しずつ剥がれ落ちていくのが分かった。
直也 「……なんか、こっちは息ができる感じがするな」
ALMA 『酸素濃度は中心街と変わりません。気圧、湿度ともに一定値を維持しています』
直也 「気分の話だよ。 さっきまでの場所は、なんていうか……“展示場”の中にいるみたいで落ち着かなかったから」
中心街の建物は、どれもこれも新築のように綺麗で、壁のシミひとつなかった。 通行人の歩くリズムはメトロノームみたいに一定で、聞こえてくる挨拶は「今日も良い風ですね」の一点張り。 ショーケースの中の人形劇を見せられているような、空虚な完璧さ。
それに比べて、このあたりは——
道端の雑草が、勝手気ままな方向に伸びている。誰かが踏んだ跡があり、虫が食った穴がある。 石垣はところどころ崩れて苔むしているし、民家の裏庭に干してある洗濯物は色あせていて、風にバタバタと不規則な音を立てている。
汚い、と言えばそうかもしれない。 効率が悪い、と言えばその通りだろう。 でも俺には、この不揃いさがどうしようもなく愛おしく、そして「正常」に見えた。
直也 「世界って、本来こういうもんだよなぁ……」
ALMA 『中心街と比べて、この周辺は不揃いな要素が増えています』
直也 「不揃いって言い方、相変わらずだな」
ALMA 『観測結果です。汚れ、欠け、劣化、配置のばらつきが確認できます』
直也 「それが普通なんだよ」
ALMA 『直也さんは、その“普通”に安心しています』
直也 「まあな。さっきまでの展示場みたいな空気より、こっちのほうが落ち着く。 “整いすぎ”ってやつか……。 さっきの広場が“正解”だとしたら、俺はバグだらけの世界のほうが好きかもな」
ALMA 『直也さんの嗜好データは、非効率性や混沌を好む傾向があります。 理解には時間を要します』
直也 「それを人間味って言うんだよ」
ALMA 『定義が曖昧です』
そんな軽口を叩きながら歩いていると、水路の奥から水音が聞こえてきた。
──ぽちゃん。
機械的なループ音じゃない。 重さと、質感と、偶然性が混ざった音。 水が跳ね、石に当たり、空気に溶ける、一度きりの音。
直也 「……ん?」
ALMA 『前方約20メートル。 水路の突き当たりにある古井戸付近に、生体反応を検知しました』
直也 「誰かいるのか?」
ALMA 『はい。加えて……微弱な魔力干渉を検知しています』
直也 「魔物か?」
ALMA 『いいえ。 攻撃性は皆無です。 波形が非常に……不安定で、有機的です』
有機的、という言葉に引っかかりを覚えながら、俺は足音を殺して近づいた。 草むらをかき分けた先に、その光景はあった。
◆◆◆
そこは、小さな洗い場だった。
古びた石造りの井戸があり、周りには木箱やたらいが雑然と置かれている。 街の中心から外れた、忘れ去られたような場所。 木漏れ日がまだら模様を描き、風が葉を揺らす音だけが響いている。
その井戸の縁に、一人の少女が座っていた。
淡い亜麻色の髪は、手入れはされているようだが、少しパサついて見える。 着ているのは生成りのワンピースだが、袖口や裾には何度も継ぎ接ぎが当てられていた。 華奢な背中は少し丸まっていて、何かを恐れるように縮こまっている。
けれど、俺の目を奪ったのは彼女自身ではなかった。
彼女の手のひらの上で—— ひとつの水球が、生き物のように震えていたのだ。
(……なんだ、あれ)
広場で見た魔法使いのパフォーマンスとは、まるで違った。 彼らが出す水球は、コンパスで描いたような真円で、表面は鏡のようにツルツルしていた。 「完璧な球体」のデータを出力しました、という感じの無機質な美しさ。
でも、彼女の水球は違う。
歪んでいる。 表面が細かく波打って、光を乱反射させている。 形も一定じゃなくて、呼吸するように膨らんだりしぼんだりしている。 中には小さな気泡が混じり、それが光を受けてキラキラと輝いている。
不格好だ。 未熟だ。 でも——決定的に、美しい。
直也 「……すげぇ」
思わず、声が漏れた。 その音は、静かな空間に予想以上に大きく響いた。
少女 「ひゃっ……っ!? だ、だれですか……!」
少女が弾かれたように振り返る。 集中が切れたのか、水球がバシャッと弾けて消えた。 彼女は濡れた手を服で拭うのも忘れて、慌てて立ち上がり、後ずさる。
少女 「ご、ごめんなさい! すぐに片付けます! 邪魔するつもりじゃなくて……!」
その反応は、異常だった。 ただ人が来ただけなのに、まるで「ここにいてはいけない罪人」が見つかったかのように怯えている。
直也 「あ、いや! 違うんだ! 驚かせてごめん。怒ってるわけじゃないんだ」
俺は両手を上げて、敵意がないことを示した。 少女——リィナは、怯えた子犬のような目でこちらを見ている。 大きな瞳が潤んでいて、小刻みに震えているのが分かる。
リィナ 「……怒って、ない……?」
直也 「うん。 ただの通りすがりだよ。 綺麗なものが見えたから、つい見惚れてしまって」
リィナ 「き、きれい……?」
彼女はきょとんとして、自分の濡れた手を見た。 そこにはもう何もないけれど、彼女の視線は「失敗した何か」を見ているようだった。
リィナ 「……これのこと、ですか? ただの……失敗した生活魔法、ですけど……」
直也 「失敗?」
リィナ 「はい。 形も歪んでるし、維持もできてないし…… 街の魔法使い様みたいに、綺麗な丸にならないんです。 母さんにも、近所の人にも……『才能がない』って言われてて……」
直也 「ああ……なるほど」
この世界の基準では、あれは「失敗」なのか。 あの完璧で、均一で、死んだような真円こそが「正解」とされる世界なのか。 個性を「ノイズ」として処理し、揺らぎを「エラー」として弾く。 この町の冷たさが、彼女の言葉から透けて見えた気がした。
(……やっぱり、狂ってるな。この世界)
直也 「俺は直也。 こっちは……まあ、相棒みたいなやつのALMA」
俺は肩の上の光球を指差した。 ALMAは空気を読んだのか、ふわりと明滅して挨拶代わりの光を放つ。
ALMA 『初めまして。 個体名リィナさんと推定。 心拍数上昇中。過度な緊張状態および、自己評価の著しい低下が見られます』
直也 「そういうデータ分析を本人の前で言うな」
リィナ 「せ、精霊……さま?」
リィナの目が大きく見開かれた。 この世界において、宙に浮く光球は精霊として認識されるらしい。 まあ、高度な人工知能だと言っても通じないだろうし、訂正はしなくていいか。
直也 「まあ、そんなもんかな。 リィナさん、だったね。 さっきの魔法、もう一回見せてもらえないかな?」
リィナ 「えっ……で、でも…… わたし、本当に下手で…… 魔力も少ないし、制御もできなくて…… お見せできるようなものじゃ……」
直也 「下手かどうかは、俺が決めるよ。 俺が見たいんだ。お願いできる?」
リィナは迷うように視線を泳がせた。 自分の手を握りしめ、また開いて。 俺がじっと待っていると、彼女は観念したように小さく、本当にかすかに頷いた。
◆◆◆(前編ここまで)◆◆◆
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます