第3話 テンプレ世界、今日も安定です(前編)
◆◆◆
朝、目が覚めた瞬間に、強烈な違和感があった。
直也 「……なんか、昨日より部屋きれいになってないか?」
ひつじ亭の部屋は、昨日チェックインした時よりもさらに、病的なまでに“整えられていた”。 生活感ゼロ。まるで見本市の展示部屋だ。いや、それ以上だ。
俺が寝ていたはずのベッドには、枕のへこみ跡ひとつなく、シーツには定規で引いたような折り目が完全に戻っている。 床の木目は昨日より光沢があり、窓ガラスはチリひとつない。 テーブルの上に置いておいた水の入ったコップさえ、昨日の夜に半分飲んだはずなのに、水位が“満タン”に戻っていた。
(昨日も十分きれいだったよな……?) (俺が寝てる間に、誰か入ったのか? それとも俺の記憶違いか?)
背筋がぞわりとする。 誰かに侵入された恐怖ではない。 もっと無機質な、世界のルールそのものに対する生理的な拒絶感だ。
ALMA 『おはようございます、直也さん。 睡眠効率、昨日比で6%向上しました』
枕元で、ALMAの光球が規則正しく明滅した。 その光り方さえ、一定のリズムで無駄がない。
直也 「……朝の挨拶より評価が先ってどうなの。 あと、勝手に部屋掃除された? 俺が寝てる間に?」
ALMA 『いいえ。物理的な清掃員が入った痕跡はありません』
直也 「じゃあなんで全部元通りなんだよ……?」
ALMA 『原因は特定できていませんが、室内の状態が“元に戻っている”ことは確認できます』
直也 「戻ってるって……掃除とか、そういうレベルじゃないだろ」
ALMA 『はい。汚れや使用痕が、一定の基準以前の状態に近づいています』
直也 「近づいてるって言い方がもう怖いんだけど」
ALMA 『現象として観測されているだけです。 仕組みについては、まだ説明できません』
俺はコップの水を手に取った。 冷たい。完全に適温だ。 昨日、俺が口をつけた痕跡すら消え失せている。
直也 「……便利、なのか?」
ALMA 『衛生的かつ効率的です。 ただし、直也さんが昨日脱ぎ散らかした靴下も、初期位置(クローゼットの中)に戻されています』
直也 「お母さんかよ……」
ベッドから足を下ろすと、床板はきっちり同じ温度で心地いい。 ひやっともしないし、妙に温かすぎもしない。 まるで「人間が不快に感じない数値」に固定されているようだ。
ALMA 『寝返り回数、平均よりやや少なめ。 心拍数・呼吸ともに安定。 睡眠中の独り言は、本日も控えめでした』
直也 「最後の情報いる!?」
ALMA 『直也さんの“心の動き”を推定するために重要です』
直也 「寝相まで管理されるのはちょっと……プライバシーって概念ないのか?」
ALMA 『直也さんの寝返りロ……“心の動き”に基づき、今夜のシーツの硬度補正を行う予定です』
直也 「今、“ログ”言いかけたよな?」
ALMA 『訂正が遅れました。改善します』
直也 「改善予定多すぎない?」
ALMA 『継続的改善は、良いことです』
直也 「自分で言うタイプなんだな……」
俺はため息をつきながら、窓を開けた。 朝の光が差し込む。 その光の角度さえ、昨日の朝とまったく同じ気がした。
◆◆◆
朝食のため、1階の食堂に降りた。
食堂には、すでに数人の客がいた。 冒険者風の男二人組。旅の商人らしい恰好の老人。 彼らは静かに食事を摂っていた。
カチャ、カチャ。 食器が触れる音が、妙にリズミカルに響く。
直也 「おはようございます」
女将のミーナさんに声をかける。 彼女はカウンターの中で、グラスを拭いていた。
ミーナ 「おはようございます。朝食になさいますか?」
直也 「あ、はい。お願いします」
ミーナ 「かしこまりました。焼きたてパンと、野菜のスープになります」
笑顔が、昨日と1ミリも変わらない。 口角の上がり方、目じりの皺の寄り方。 まるで同じ画像を使いまわしているみたいだ。
運ばれてきた朝食は、見た目は完璧だった。 湯気の立つスープ。黄金色のパン。 彩りのいいサラダ。
俺はパンをちぎって口に入れた。
直也 「……」
ALMA 『味覚データの解析結果:美味です』
直也 「うん、美味いよ。美味いんだけど……」
昨日食べたパンと、味が完全に一致している。 焼き加減、塩加減、小麦の香り。 手作りの料理なら、多少のブレがあるはずだ。 今日はちょっと焦げたとか、塩が多かったとか。
でも、このパンにはそれがない。 スープもそうだ。野菜の切り方が、定規で測ったように均一だ。
(……工場のライン生産品でも、もう少し個体差があるぞ)
周囲を見渡す。 冒険者たちが会話している。
冒険者A 「今日も良い風だな」 冒険者B 「ああ、実に良い風だ」
商人 「今日も良い風ですね」
直也 「……」
俺はスープを飲み込むのが少し辛くなった。 まるで、精巧なドールハウスの中で、プラスチックの食事をさせられているような気分だ。
ALMA 『直也さん。摂食速度が低下しています』
直也 「……考え事だよ」
ALMA 『栄養摂取は生存の基本です。推奨:完食』
直也 「分かってるよ」
俺は無理やり水を流し込んで、席を立った。 この空間に長くいると、自分まで“同じ型”に押し込まれそうな気がして。
◆◆◆
宿を出ると、ミルメリアの朝は「昨日の再現」みたいだった。
快晴。雲ひとつない青空。 風の強さも、肌に当たる日差しの角度も、昨日とまったく同じ。 道端の小石の配置まで同じなんじゃないかと錯覚するほどだ。
コーン…… コーン……
時計塔の鐘は、昨日と同じ時刻、同じ音量、同じ余韻で鳴り響く。
直也 「……これ、“同じデータ再生してます”って感じだな」
ALMA 『誤差は本日も0.00秒未満。 音波の波形データも、昨日と99.99%一致しています』
直也 「桁が増えてるじゃねーか……」
広場へ向かう道すがら、俺は意識して住人たちを観察することにした。 昨日の違和感が、偶然じゃないことを確かめるために。
向こうから、若い女性が歩いてくる。
通行人D 「こんにちは。今日も良い風ですね」
直也 「……どうも」
すれ違いざま、別の老人。
老人 「こんにちは。今日も良い風ですね」
直也 「……」
さらに、犬を連れた子供。
子供 「こんにちは! 今日も良い風ですね!」
直也 「……なぁALMA」
ALMA 『はい』
直也 「この町の住人、語彙力が死んでないか?」
ALMA 『言語リソースの節約……いえ、文化的な定型挨拶です』
直也 「節約って言ったな今」
さらに検証は続く。 広場のベンチに座っているカップル。
男 「見てごらん、今日も良い風だね」 女 「ええ、本当に良い風ね」
荷車を引く男。 「よいしょ、今日も良い風だ」
井戸端会議をしている主婦たち。 「あら奥さん、今日も良い風ですね」 「ええ、本当に良い風で」
直也 「……ホラーかよ」
背筋が寒くなる。 誰も彼もが、判で押したように「風」の話しかしない。 まるで、それ以外の話題をプログラムされていないみたいに。
ALMA 『この地域では、風の状態が生活満足度に直結しているため——』
直也 「そういう理屈じゃないんだよ。 “イントネーション”だよ。 全員、音程が一緒なんだよ。ドレミで楽譜に書けそうなくらい」
ALMA 『……偶然の一致率としては、天文学的な数値になります』
直也 「だろ?」
◆◆◆(前編ここまで)◆◆◆
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