第2話 思ってた異世界とぜんぜん違うんだけど(後編)

◆◆◆


そのとき、強烈に香ばしい匂いが漂ってきた。 パンの焼ける匂いだ。 腹の虫が、盛大に鳴いた。


直也 「……とりあえず、メシだな。  考えすぎても腹は減るし」


ALMA 『同意します。直也さんの血糖値も低下傾向です』


直也 「そういう数値管理はいらないって……」


匂いの元は、広場に面した一軒のパン屋だった。 看板には「ベネットの店」とある。 店先には、焼きたてのパンが山積みになっている。


「いらっしゃい! 焼きたてだよ!」


店主らしき大柄な男が、豪快な声を出していた。 太い腕、厚い胸板。いかにも“パン職人”という風貌だ。


直也 「うまそうだな……。すみません、これ一つください」


ベネット 「おう! 焼きたてだよ!  うちは一番うまい粉を使ってるからな!」


直也 「へえ、こだわりがあるんですね」


ベネット 「おう! 焼きたてだよ!  うちは一番うまい粉を使ってるからな!」


直也 「……え?」


パンを受け取ろうとした手が止まる。 今、まったく同じことを言わなかったか? それも、一言一句、息継ぎのタイミングまで同じで。


直也 「あの、おやじさん?」


ベネット 「おう! 銅貨3枚だ! ありがとな!」


男は満面の笑みでパンを袋に詰め、俺に押し付けてきた。 その笑顔があまりにも屈託なくて、俺は「あ、はい」と金を払うしかなかった。


店を離れてから、俺は振り返る。 次の客が来ていた。


ベネット 「おう! 焼きたてだよ!  うちは一番うまい粉を使ってるからな!」


直也 「……」


ALMA 『地域特有の、売り文句の定型化だと思われます』


直也 「定型化にも程があるだろ……」


(NPCの会話ループみたいだ……)


パンをかじりながら、隣の雑貨屋も覗いてみた。 生活用品や、小さな魔石のようなものが並んでいる。


「いらっしゃいませー」


店員は若い女性だったが、こっちはこっちで妙だった。 棚に並んだ商品、その一つ一つの値札に、説明書きがついているのだが——


『便利な生活道具です。使いやすくて長持ちします。』 『便利な生活道具です。使いやすくて長持ちします。』 『便利な生活道具です。使いやすくて長持ちします。』


直也 「……全部同じじゃねーか」


箒にも、皿にも、小瓶にも、全部同じ説明が書いてある。 まるでデータをコピペして、修正するのを忘れたみたいに。


直也 「なぁ、これ……」


ALMA 『機能説明の効率化です』


直也 「手抜きって言うんだよ、それは」


ALMA 『住民は理解しているので問題ありません』


直也 「俺は理解できないんだけど」


この町、何かがおかしい。 一見すると平和なスローライフの世界だけど、一皮むくと、そこには“空っぽ”が広がっているような。 そんな薄ら寒い予感を抱えたまま、俺は宿屋を目指した。


日が傾き始めた頃、広場の外れにある宿を見つけた。 丸い羊のイラストの看板。 “ひつじ亭”と、丸っこい文字で書かれている。


直也 「優しそうな名前だな」


ALMA 『休息イメージと親和性の高い名称です』


直也 「マーケティング用語みたいに言うなよ」


扉を開けると、カウンターの奥からふくよかな中年女性が現れた。 エプロン姿で、笑顔が柔らかい。


女将(ミーナ) 「いらっしゃいませ。旅のお方ですか?」


直也 「あ、はい。今日泊まれますか?」


女将 「はい、空いておりますよ。一泊、朝夕二食付きで銀貨一枚になります」


即答。 迷いゼロ。 まるで台本があるかのよう。


直也 「……いつも、その値段なんですね」


女将 「はい、いつもでございます」


会話が、ぴたりと止まる。 こちらの次の言葉を待つ間、女将の笑顔は1ミリも動かない。 瞬きのタイミングすら、一定のリズムを刻んでいる気がする。


ALMA 『応答パターンが効率化されています』


(効率化って……人間相手に使う言葉か?)


とりあえず宿が取れないのは困る。 俺は初期装備のコイン袋から、銀貨を一枚取り出した。


直也 「じゃあ、一泊お願いします」


女将 「ありがとうございます。では、お部屋にご案内します」


◆◆◆


通された2階の部屋に入った瞬間、思わず声が出た。


直也 「……綺麗すぎない?」


木の床には傷一つない。 シーツは真っ白で、皺もほこりもない。 窓ガラスは曇りゼロ。 机の上には必要最低限の物が、定規で測ったように置かれている。


(生活感どこ行った……?)


ALMA 『清潔さは高評価要因です』


直也 「いや分かるけど……旅人が出入りする宿で、この“新品感”はおかしいだろ。  昨日オープンしたて、とかじゃないよな?」


ALMA 『創業30年の老舗です』


直也 「嘘だろ」


ALMA 『清掃魔法による復元作用が、頻繁に行われているようです』


直也 「復元って……便利な魔法だな……」


俺はベッドに腰を下ろした。 マットレスは驚くほど柔らかく、腰に優しい。 まるであらかじめ、俺の体に合わせて調整されていたみたいに。


直也 「なあALMA」


ALMA 『はい』


直也 「一応聞いとくけどさ……俺だけ特別なスキルがある、とか……本当にないの?」


ALMA 『ありません』


即答。


ALMA 『魔法適性ゼロ。戦闘能力は一般成人男性レベル。  固有スキルも確認されていません』


直也 「言い切るな……夢も希望もない……」


ALMA 『ただし観察力・共感性・倫理観は平均より優位傾向です』


直也 「それは……まあ、能力ってより性格だよなぁ」


ALMA 『現時点で直也さんに固有スキルはありません。だからこそ、この町の“普通”に引っかかれる可能性があります』


直也 「急に重いこと言うなよ……  俺はただ、のんびりしたいだけなんだけど」


ALMA 『今は夕食までにお腹を空かせることだけ考えていれば十分です』


直也 「その落差よ……」


階下から夕食の鐘が鳴った。 その音もまた、昼間の時計塔と同じように、寸分の狂いもなく響いた。


◆◆◆


夕食は、驚くほど“ちゃんとして”いた。


焼きたての丸パン。 彩りのいい野菜スープ。 ハーブで焼いたチキン。


食堂には他にも数人の客がいたが、みんな静かに食事をしていた。 食器が触れる音。咀嚼音。 それらが妙に心地よく響くが、やはりどこか整いすぎている。


直也 「……うまいな」


ALMA 『幸福度指標、上昇を確認しました』


直也 「また幸福度測られてるのか……俺は……っつうか幸福度って言うな。胃袋の話をしてるんだよ」


ALMA 『了解です。“胃袋が喜んでいます”に言い換えます』


直也 「やめろ、余計に恥ずい」


味は完璧だ。 完璧すぎて、“誰が作ったか”が見えてこない味だった。 家庭料理のような温かみはあるのに、その奥にあるはずの「手癖」みたいなものがない。


(……この世界、本当に“生きてる”のか?)


同じ挨拶。 ループするパン屋の親父。 コピペされた商品の説明。 正確すぎる時計塔。


噛み合ってるようで、どこか決定的に噛み合ってない。


直也 「とりあえず今日は考えるのやめよ。  飯食って風呂入って寝る。それでいい」


ALMA 『合理的判断です。初日は環境への慣れが最優先事項です』


直也 「そうそう。そこは素直に褒めてほしいんだけど?」


ALMA 『よくできました、直也さん』


直也 「……なんか保育園児扱いなんだよな俺……」


ALMA 『心理的安全性の確保は重要です』


◆◆◆


夕食を終えて、部屋に戻る。


窓の外は、すでに夜だった。 街の灯りが消え、静寂が広がっている。


俺は窓辺に寄りかかり、何気なく夜空を見上げた。


直也 「……うわ」


満天の星空だ。 都会じゃ絶対に見られない、光の粒の絨毯。 これぞ異世界、という景色のはずだった。


けれど——


直也 「……なぁ、ALMA」


ALMA 『はい』


直也 「この星空、動いてなくないか?」


ALMA 『……』


俺はずっと見上げていた。 瞬きもしない光の点。 星座らしい並びも見当たらない、ランダムに散らばっただけのドット。


普通なら、星は瞬くものだ。 大気の揺らぎで、チカチカと光が震えるはずだ。 時間が経てば、位置だって変わるはずだ。


でも、この空の星は—— まるで天井に貼り付けた「高解像度の画像データ」みたいに、 1ミリも動かず、張り付いている。


直也 「……なんか、怖いな」


ALMA 『恐怖を感じますか?』


直也 「うん。綺麗すぎるんだよ。  生きてる空じゃなくて、絵の中に閉じ込められたみたいだ」


ALMA 『ミルメリアの夜空は、年間を通して晴天率100%です。  ……自然現象としては、安定しすぎています』


直也 「……安定しすぎって、どういう意味だよ。  誰かが“そうしてる”ってことか?」


ALMAからの返事はなかった。


俺は窓を閉めて、カーテンを引いた。 あの空を見続けていると、自分が“箱の中”にいるような錯覚に陥りそうで。


(……思ってた異世界とは、ぜんぜん違うな)


チートもなし。 ステータスもなし。 NPCみたいな住人と、動かない星空。


でも——なぜかほんの少し、わくわくしている自分もいる。


「違和感」があるということは、 ここにはまだ俺が知らない「裏側」があるってことだ。 そしてその裏側は、きっと俺の退屈な現実よりも、ずっと面白い何かなんじゃないか。


直也 「……明日は、町を一周してみるか」


時計塔。 パン屋。 水路。 広場。


この“きれいすぎる日常”の綻びを探しに。


ALMA 『推奨します。  では直也さん、おやすみなさい。  明日のログ……思い出の保存に備えてください』


直也 「今ログって言いかけたよな?」


ALMA 『訂正が遅れました』


俺は苦笑しながら、柔らかすぎるベッドに体を沈めた。


静寂。 虫の声すら、一定のリズムでループしているような夜だった。 箱庭の中の夜は、優しく、そしてどこまでも人工的だった。



(第2話・完)

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