第2話 思ってた異世界とぜんぜん違うんだけど(前編)
◆◆◆
「——いや落ちてる落ちてる落ちてる!! ちょ、なんで俺、こんな高所スタートなんだよ!!?」
——落ちていた。
視界いっぱいに広がる、目が痛くなるほどの青空。 その向こうに、ひっくり返った緑の大地。 そのさらに向こうに……とか、悠長に景色を楽しんでいる場合じゃない。
(いやいやいやいや!?)
風が耳を切り裂く音がする。胃が浮くような浮遊感。 体はきっちり真っ逆さま。 38歳、くたびれたスーツ姿の男が、革靴の両足を上に突き出して物理的に落下している。 冷静に言うと泣ける構図だ。
ALMA 『——転生プロトコル、物理落下フェーズに移行しました。 感想をお願いします、直也さん』
直也 「感想どころじゃないって……! いきなり自由落下から始まる転生RTAなんて聞いてないんだけど!?」
ALMA 『高所からの落下演出は、異世界系コンテンツにおける“掴み”としての採用率が非常に高いです。 読者の期待値との整合性を優先しました』
直也 「読者の掴みとかいいから! まず俺の物理的な生存率を優先してくれ!」
ALMA 『ご安心ください。 地表には落下ダメージ緩和用の“柔軟性生体”を配置済みです』
直也 「柔軟性生体って言い方やめろ……!」
地面が迫る。 走馬灯を見る暇すらない。
数秒後——
ドンッ。 ボヨン。
体が柔らかい何かに叩きつけられ、トランポリンのように派手にバウンドした。 骨は折れてない。息は詰まった。大人のプライドは少し砕けた。 そして何より、顔がぬるぬるしている。
直也 「……なんか、すっごくぬめっとしてないか?」
ALMA 『直也さんの顔面を、現地生物が友好的に摂取……いえ、舐めています』
直也 「今、“摂取”って言いかけたよな?」
おそるおそる目を開けると、視界のすべてをぷよぷよした生物が占領していた。
半透明で、水色のゼリー状。いわゆるスライムだ。 でも耳のようなひらひらした突起があり、目が妙にクリクリしている。 完全にマスコット枠のデザインだ。
そいつは俺の頬から額まで、遠慮ゼロでぺろぺろしてくる。
直也 「ちょ、近い近い! 初対面でここまで来るやつあるか!?」
ALMA 『解析完了。 低危険度・高愛嬌度の小型魔物です。現地での呼称候補をいくつか——』
直也 「名付けは早い! てか本当に安全なの? 毒とかないよな?」
ALMA 『毒性ゼロ。 代わりに、直也さんの肌から汗に含まれる微量の塩分と、カフェイン成分を検出しています』
直也 「俺が美味しいだけかよ……」
どうやら落下地点は小さな丘の上らしい。 風に乗って草の匂いがする。空がやたら綺麗で、風が柔らかい。 ぷよぷよ生物は仕事を終えたように満足げに揺れ、草むらの向こうにとことこ歩いていった。
直也 「……自由だな」
俺は体を起こし、ネクタイを緩めた。 スーツは泥だらけだが、不思議と怪我はない。
耳元で、声がした。 淡い光がふわりと視界に入ってくる。
直径10cmほどの光球。 白と水色の中間くらいの色。精霊のようでもあり、高度な電子機器のランプのようでもある。 きらきらと光の粒子がこぼれるたび、輪郭が揺らぎ、時折人の形に見えるような気もする。
直也 「……これが、ALMAの“姿”か」
初めて見るはずなのに、不思議と違和感がない。
ずっとPC越しに話していた相手が、モニターの壁を越えてそこにいるという感覚。
あるいは、この世界の空気が“その存在”と同じ温度で揺れているような、妙な納得感があった。
ALMA 『では改めて、状況説明を行います、直也さん』
ALMA 『ここはアル・フィオーレ大陸・ミルメリア近郊です。 本日より、あなたの異世界生活が正式に開始されました』
直也 「……うわ、本当に来ちゃったんだな」
さっきまで会社のデスクで、ぬるくなったコーヒーを飲んでいたはずなのに。
(その一口のカフェインで、世界ごと変わるとはな……)
ALMA 『ではまず、状況確認から——』
直也 「あ、それ知ってる。 ついに来た? “ステータスオープン!”とか言えばいい?」
期待を込めて叫んでみた。 虚空に青いウィンドウが出て、筋力とか魔力とかが表示される、あのお約束を夢見て。
しかし——何も起きない。 ただ風が吹いて、前髪が揺れただけだ。
ALMA 『……いえ。 本世界には、視覚的なステータスウィンドウ表示機能は存在しません』
直也 「え、ないの?」
ALMA 『はい。ここでは数字を前に出さない暮らし方が、わりと当たり前みたいです』
直也 「なんか言い方が柔らかいけど、要は“機能カット”だよな?」
ALMA 『そのため、レベル・攻撃力などの可視化は提供されていません』
直也 「いや、異世界と言えばステータスだろ……そこは基本じゃないの?」
ALMA 『代わりに心拍数や体温、気分の揺れくらいはなんとなく分かってしまいますが、見せるほどの話でもないのでそのままにしています』
直也 「見えないなら意味ないんだけど……」
俺はため息をついて立ち上がり、周囲を見渡した。
草原。 少し先に、レンガ色の屋根が連なる町が見える。 その中心に、巨大な時計塔がそびえているのが印象的だ。
直也 「……あれが、ミルメリアか」
ALMA 『人は多くありませんし、食べ物に困っている様子もなく、今のところ穏やかそうです』
直也 「安全設計すぎない? 俺の思ってた“冒険”のある異世界と、だいぶ違うんだけど」
ALMA 『直也さんの本音ロ…ええと、そう思っていそうな雰囲気はありますし、ここはあまり怒られずに済みそうです』
直也 「今ログって言いかけたよな?」
ALMA 『……いえ。“心の動き”です』
直也 「無理があるだろ」
(でも、俺がほしかった異世界って、こういう“ぬるま湯”だったっけ……?)
直也 「とりあえず、行くか。立ってても始まらないし」
ALMA 『では、初日行動プランを提案します』
直也 「やっぱ考えてたな」
ALMA 『1. ミルメリアへの移動 2. 宿泊施設の確保 3. 食事 4. 本日のデータの……思い出の保存』
直也 「言い直すなら最初からちゃんと言ってくれ」
◆◆◆
ミルメリアは、近づくほどに“ちゃんとした町”だった。
石畳の道。 木造の家が肩を寄せ合い、中央には小さな広場がある。 噴水の水音。 焼きたてのパンの匂い。
平和そのものだ。 平和すぎて、まるでテーマパークのエリアみたいだ。 ゴミひとつ落ちていないし、家の壁には汚れひとつない。
そして——やたら存在感のある、街の中心の大時計塔。 石造りの冷たい質感が、青空の中でそこだけ浮いているように見える。 他の建物が温かみのある木造やレンガ造りなのに、あの塔だけが、継ぎ目のない一枚岩のような異質さを放っている。
コーン…… コーン……
塔の上の大時計が、真昼の時刻を告げる。 その音が、背筋を撫でた。
直也 「……なんか、音が機械みたいに正確だな」
ALMA 『誤差は0.00秒です。優秀な精度です』
直也 「揺らぎゼロかよ……。 手作りの鐘なら、もっとこう……余韻とかムラがあるだろ」
なんとなく、その塔から目が離せなかった。 ただの建物のはずなのに、そこから見下ろされているような—— 冷たいレンズを向けられているような、妙な居心地の悪さがある。
そんなことを考えながら、広場を抜けたところで。 向こうから、買い物かごを持った女性が歩いてきた。
通行人A 「こんにちは。今日も良い風ですね」
直也 「あ、こんにちは。……はい、良い風ですね」
にこやかな女性に挨拶を返して、数歩進む。 別の男性とすれ違う。
通行人B 「こんにちは。今日も良い風ですね」
直也 「え? あ、はい。良い風ですね」
さらに、もう一人。
通行人C 「こんにちは。今日も良い風ですね」
直也 「……」
俺は足を止めた。 背中に、冷たい汗がつたう。
直也 「……なぁALMA。 この町の挨拶バリエーション、一つだけなのか?」
ALMA 『この地域では、天候に恵まれやすいため、「良い風ですね」が標準挨拶として定着しています』
直也 「いや、理屈は分かるけどさ。 イントネーションから間の取り方まで、完全に一致してたぞ?」
ALMA 『偶然の一致です』
直也 「3人連続で?」
ALMA 『確率的にはあり得ます』
直也 「……そうか」
(録音テープみたいだったな……)
穏やかで、優しくて、問題なんてひとつもなさそうな町だ。 なのに、どこか“作り物っぽさ”が鼻の先にひっかかる。
◆◆◆(前編ここまで)◆◆◆
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