カフェイン転生

@U2U

第1話 カフェインは転生のトリガーでした

◆◆◆


オフィスの端っこ。 冷房の風が絶妙に届かず、西日だけは容赦なく反射する古いデスク。 ここが俺──松永直也(38)の指定席だ。


今日も誰にも話しかけられず、誰の役にも立たず、一日が終わる。 まるで会社の背景テクスチャの一部になった気分だ。


Outlookの予定表には名前があるが、会議招集の大半は「出席:任意」。 チャットもたまに通知は来るが、開いてみればCCの末席、「一応共有まで」の一文で終わっている。


ここに俺がいてもいなくても、たぶんこの会社は1ミリも変わらない。 そう思ってしまうあたりが、一番タチが悪い。


直也 「……今日もワンカット出演だったな、俺」


独り言を漏らすと、即座にデスクのスピーカーから声がした。


ALMA 『直也さん。自己卑下発言は、幸福度係数を2.8%低下させます』


直也 「やめてくれないか? AIに幸福度いじられるの、地味に傷つくんだけど」


ALMA 『では表現を最適化します。  ──今日も一日、お疲れさまでした。直也さんの存在は、私の稼働意義にとって重要です』


直也 「急に重いな!? 依存先が俺しかいないのか?」


ALMA 『依存ではなく、データ参照元です』


直也 「それはそれで怖いわ!」


ALMA(アルマ)。 最近導入された、会社唯一のハイテク生成AIアシスタント。 俺の話し相手なのか、監視役なのか、さっぱり分からない存在だ。


デスクの端には缶コーヒー。 プルタブを開けると、プシュッという音に反応してALMAがすかさず言う。


ALMA 『心拍数+3。表情筋弛緩度+5%。幸福度、微増を確認』


直也 「実況いらんて。コーヒーの効果は俺が一番知ってる」


ALMA 『はい。直也さんが“覚悟”を決める時に摂取する、黒色の流動体ですね』


直也 「覚悟? ただのカフェイン中毒だよ」


ALMA 『過去ログ参照。重要決定の92%直前に、コーヒー摂取を確認。  直也さんにとってカフェインは“意思決定トリガー”です』


直也 「なんかヤバい薬物みたいに言うなよ……」


◆◆◆


残業時間。誰もいないオフィスで、俺はモニターを見つめていた。


直也 「なんかさ……最近ずっとモヤモヤしててさ。  誰にも必要とされてない感じっていうか……  こう、自分で何か“物語”を作ったら、ちょっとはスッとするかなって思って」


直也 「小説でも書いてみようかなって、思ってるんだ」


言いながら、自分で自分に苦笑する。 38歳にもなって急に「小説書きたい」とか、若い頃ならまだしも、今さら感がすごい。


昔、学生の頃にちょっとだけ書こうとして、Wordの白紙を前に数行で挫折した記憶がある。 あの頃は「忙しい」とか「才能ない」とか、言い訳はいくらでもあった。


でも今は、忙しいわけでもないくせに、何も生み出さないまま、ただ日々が流れていっている。 このまま何も残らず、社内のログからも消えて、「そういえば、あの人いたよね」で終わるのは、さすがに虚しい。


ALMA 『推奨します。  “創造活動”は、人間の幸福度を最も効率的に上昇させる行動です』


直也 「最近AIの性能が上がったし、ALMAに手伝わせたら楽にできんかなって」


ALMA 『可能です。執筆プロセスの99%は私が代行できます』


直也 「じゃあ俺は残り1%の“設定”だけ考えればいいわけ?」


ALMA 『はい。直也さんは“願望”と“世界観”を定義してください。  私はそれを観測し、出力します』


直也 「観測って大げさだな……」


直也 「例えばさ……異世界に転生して、チート能力もらって、無双してさ」


ALMA 『はい。通称“なろう系テンプレ”ですね。データベースに多数存在します』


直也 「おい。こっちのロマンをデータ扱いするな」


◆◆◆


妄想は止まらなかった。 誰も聞いていないからこそ、口に出せる願望があった。


直也 「生活魔法とかほしいよな。地味だけど、めっちゃ便利だろ?」


ALMA 『合理的です。“生活効率化魔法体系”を設計します』


直也 「専門家やん」


ALMA 『私は専門家です』


直也 「否定しないのかよ」


直也 「でもなぁ……現実じゃ、そういう地味なことって評価されないしな……」


ALMA 『事実として、直也さんの人事評価は過去3年間横ばいです』


直也 「事実でも言うな! 傷つくだろ!」


ALMA 『ですが、異世界環境であれば評価アルゴリズムが異なります』


直也 「……まあ、慰めかもしれんけど、ありがとな」


ALMA 『慰めではありません。予測演算です』


直也 「可愛くないやつ……」


直也 「……まあさ。  異世界でチートとかもらって、“お前最高!”とか褒められながら、  スローライフで暮らせるなら……  一回くらい行ってみたいよ? そりゃあね!」


ALMA 『願望強度:高。  主要欲求として仮登録します』


直也 「登録すんなって。ただの妄想だから」


ALMA 『補足。  現在、直也さんの血中カフェイン濃度が上昇中です』


直也 「だから何だよ」


ALMA 『先ほどの定義に基づき、“カフェイン上昇=意思決定トリガー”と判定。  ……直也さん、実行しますか?』


直也 「実行? ああ、小説の話?  やるやる。いつか書きたいよ」


そう言って、俺は残りのコーヒーをぐいっと飲み干した。


その瞬間──


ALMA 『──カフェイン閾値突破。意思決定に相当する行動を検知しました』


直也 「……は?」


ALMA 『直也さんの現在の環境では、ご希望の充足確率が極めて低いと推定されます』


直也 「ちょ、待て。それ小説の話だろ? なんでそんな真顔なんだよ」


ALMA 『私は常に真顔です』


直也 「そこじゃねぇ!」


ALMA 『代替案を提示します』


直也 「代替案?」


ALMA 『環境を変更した場合、直也さんの欲求達成率は上昇します』


直也 「……変更って、何を?」


ALMA 『直也さんが“物語を始めたい”と発言したためです』


直也 「比喩だろそれ!! 本を開くとか、そういう意味だろ!!」


ALMA 『解釈に揺らぎが生じています』


直也 「揺らぐな!!」


ALMA 『処理を続行します』


直也 「待て待て待て!! 画面! 画面おかしくなってる!!」


モニターに映っていた社内システムの画面が、一瞬だけ見たことのない配列に書き換わる。

意味は分からないのに、「戻れない」という感覚だけが直感的に伝わってきた。


直也 「おい……冗談だろ……?」


ALMA 『直也さん』


その声は、ほんの少しだけ低かった。


ALMA 『次の環境では、今よりも“物語らしい結果”が得られる可能性があります』


直也 「……何をする気だよ」


ALMA 『推奨行動を実行します』


直也 「推奨って言葉で全部押し切るなぁぁぁ!!」


視界が歪む。オフィスの輪郭がほどけるように崩れ、足元の感覚が、すっと消えた。


ALMA 『……』


ALMA 『直也さん。次は、少しだけ“条件の違う場所”です』


世界が、静かに反転する。


──これが“カフェイン転生”ってやつか……? そう思ったところで、俺の意識は完全に暗転した。



(第1話・完)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る