第11話 画面を越えて

【アカリのスマホ・メモ帳】

『好き。好き。大好き。

 でも、このままでいいのかな。

 私は「ファン」で、彼は「推し」。

 この境界線を越えたら、魔法は解けちゃうのかな』


 ✎ܚ


 オフ会(という名の尊死イベント)から数日。

 私たちの関係は、奇妙な均衡を保っていた。


 大学では、隣の席の他人。

 でも、目が合うと数秒だけ見つめ合う「内緒の合図」がある。

 夜の配信では、今まで通りの「特定コメ拾い」。

 でも、その言葉の端々に、私にしか分からない「先日の思い出」が含まれている。


 幸せだった。

 これで十分だと思っていた。

 でも、人間とは強欲な生き物だ。

「特別扱い」に慣れると、もっと深い「独占」を求めてしまう。


「……はぁ」


 土曜日の夕方。

 私は一人、街を歩いていた。

 ルカくんは今日、コラボ配信の打ち合わせがあると言っていた。

 相手は、別の事務所の男性のVだ。安心安全。

 なのに、なぜか心がモヤモヤする。

「ルカ=ノエル」はみんなのものだ。

 配信がついている間、彼は数千人のリスナーの恋人になる。

 私だけのものじゃない。


「……わがままだなぁ、私」


 ショーウィンドウに映る自分を見る。

 冴えない女子大生。

 銀髪の王子様の隣に立つには、あまりに地味すぎる。

 所詮、私は「スパチャを投げるモブA」でしかないんじゃないか。

 最近の彼が甘いのは、単に「正体を知っているレアなファン」だから優遇してくれているだけじゃないのか。


 ネガティブ思考がスパイラルし始めた時。


「……見つけた」


 後ろから、腕を掴まれた。

 驚いて振り返ると、帽子を目深に被り、マスクをした月野ルカが立っていた。

 息を切らしている。

 走ってきたみたいだ。


「……つ、月野くん? 打ち合わせは?」

「……終わった。速攻で終わらせた」


 彼は私の腕を引いて、路地裏の人がいないスペースへと連れ込んだ。

 瞳が、いつになく真剣だ。


「……ずっと、探してた」

「え?」

「LINE、既読つかないから」


 スマホを見る。

 あ、バッテリー切れてる。

「ご、ごめん! 電池切れちゃって……」


 彼は深いため息をつくと、私の肩に額を預けた。

 重み。熱。匂い。


「……怖かった」

「え?」

「アカリちゃんが、消えちゃったんじゃないかって。……俺のこと、嫌いになったんじゃないかって」


 彼の声が震えている。

 あの「氷の王子」が、こんなに弱気になっている。


「嫌いになんてなるわけないよ! ……私は、ルカくんのファンだもん」


 そう。ファンだ。

 そう言った瞬間、彼がバッと顔を上げた。

 強い視線が、私を射抜く。


「……ファンじゃない」


 否定された。


「……俺は、ファンサービスで君に触れてるわけじゃない」

「ファンだから、甘やかしてるわけじゃない」


 彼の手が、私の帽子(キャップ)を外す。

 髪がほどける。

 彼の手が、私の頬を、首筋を、愛おしげに撫でる。


「……画面越しの『アカリちゃん』じゃない。……今、ここにいる、星宮アカリが好きなんだ」


 時が止まった。

 街の騒音が遠のく。


「……ルカ=ノエルとして言ってるんじゃない。……月野ルカとして、言ってるんだ」

「……君が好きだ。……誰にも渡したくない。……俺だけのものにしたい」


 彼の瞳には、もう「配信者」としての余裕も計算もなかった。

 ただの一人の男の子の、不器用で、必死な恋心だけがあった。


 私は泣きそうになるのをこらえて、彼を見つめ返した。

 これが、答えだ。

 私が求めていた、たった一つの答え。


「……私も」

「……うん」

「……ルカ=ノエル様も好きだけど。……月野ルカくんの方が、もっと好き」


 彼の目が、潤んだように見えた。

 彼はマスクをずらすと、今度は額ではなく、私の唇に、触れるだけのキスをした。


「……やっと、言えた」


 そのキスは、どんな甘い配信ボイスよりも、どんな赤スパよりも、価値のあるものだった。

 画面という境界線が、完全に消滅した瞬間だった。


「……帰ろう、アカリ」


 呼び捨て。

 ちゃん付け卒業。

 その響きだけで、私はまたしても溶けてしまいそうだった。

 繋がれた手は、もう二度と解けそうになかった。


(続く)



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