第10話 オフ会は二人きり

【ルカ=ノエル配信画面】

 同接:5,200人

 コメント:完全復活おめ!/元気になってよかった泣/声に張りがある!

 スーパーチャット:アカリより 10,000円 「快気祝いです! 本当によかった……! 無理せず頑張ってください! 一生ついていきます!」

 ルカ=ノエル(とろけるような声で):ありがとう。……あの時のゼリー、一生忘れない味だったよ。……アカリちゃんのおかげで、俺はここにいるんだね。


 ✎ܚ


「……というわけで」


 金曜日の放課後。

 大学からの帰り道、月野くんが唐突に切り出した。


「オフ会、しようか」

「……はい?」


 私は自分の耳を疑った。

 オフ会。それは、VTuberとファンがリアルで会うという、禁断かつ至高のイベント。

 しかし、ルカ=ノエルは「リアルイベントは絶対やらない」で有名な硬派なVだ。

 それを、自分から?


「……場所は、俺の家」

「えっ」

「参加者は、俺と、アカリちゃんだけ」

「ええっ!?」


 それ、オフ会って言わない。

 ただの「お家デート」では?

 いや、待て。彼はあくまで「オフ会」という呈で誘っている。

 つまり、これは「推しとファン」のイベントなのだ。

 下心とか、そういうのじゃなくて!


「……嫌?」

 彼が不安そうに上目遣いで見てくる。

 看病イベント以来、彼の私への甘え度は指数関数的に上昇している。

「い、嫌なわけない! 行きます! 這ってでも!」


 ✎ܚ


 月野くんの部屋。

 THE・男子大学生の部屋、という感じだが、一角だけ異質な空間がある。

 防音壁、高性能マイク、オーディオインターフェース、そしてトリプルディスプレイ。

 ルカ=ノエル様の「コックピット」だ。


「……座って」


 ベッドの縁に座らされる。

 特等席だ。

 彼が機材の前に座り、マイクのスイッチを入れる。

 ただし、配信ソフトは起動していない。

 完全に、オフライン。


「……あー、あー。マイクテスト」


 スピーカーからではなく、生声が部屋に響く。

 でも、マイクを通した時のあの独特の「響き」を、彼は喉だけで再現している。

 プロの技だ。


「……ようこそ、最初で最後のオフ会へ」


 彼がくるりと椅子を回転させ、私に向き合った。

 銀髪のアバターはない。

 あるのは、黒髪に切れ長の瞳を持つ、月野ルカの顔。

 でも、その表情は完全に「ルカ=ノエル」のそれだ。


「今日は、アカリちゃんのためだけに喋ります。……リクエスト、ある?」


 心臓が破裂しそうだ。

 目の前に推しがいる。

 しかも、私専用にカスタマイズされた推しが。


「あ、あの……! い、いつもみたいに……名前、呼んで欲しくて……」


 私の欲望は、あまりにシンプルで、あまりに切実だった。

 彼はふわりと微笑んだ。

 そして、椅子から立ち上がり、私の膝元に跪いた。

 えっ。

 目線の高さが、逆転する。


「……アカリちゃん」


 彼の手が、私の頬を包む。


「……いつも、見ててくれてありがとう」

「……辛い時、支えてくれてありがとう」

「……俺、君がいないと、もうダメみたいだ」


 甘い。

 物理的距離ゼロセンチの囁き。

 マイクを通さない吐息が、直接肌にかかる。

 これが「オフ会」?

 いいえ、これは「処刑」です。

 甘さによる公開処刑です。


「……ねえ、知ってる?」


 彼が顔を近づけてくる。

 鼻先が触れそうな距離。


「画面越しだとさ、ここまではできないんだよね」


 チュッ、と。

 短い音がした。

 私の額に、柔らかい感触。


「……っ!!!!」


 私は湯沸かし器のように沸騰した。

 思考回路がショートし、言葉が出てこない。

 キス? 今、キスした?

 額に? 推しが? 私に?


 彼は悪戯に成功した子供のようにニシシと笑うと、また「氷の王子」の顔に戻って(でも耳は真っ赤で)言った。


「……今日のオフ会、これにて終了。……解散」


「か、解散できません! 魂が帰ってきません!」

「……ふふ。じゃあ、泊まってく?」


 その一言で、私は完全にオーバーキルされた。

 推しとのオフ会は、危険すぎる。

 画面という安全装置(セーフティー)が外れた彼は、私の想像を遥かに超える「猛獣」だったのだ。


(続く)



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