第9話 配信休止の危機
【ルカ=ノエル公式Twitter (X)】
『申し訳ありません。喉の調子が悪く、熱もあるため、本日の定期配信はお休みさせていただきます。みんなも風邪には気をつけてね』
RT:2,500 いいね:8,900
リプライ:お大事に!/ゆっくり休んで/寂しいけど我慢する!
✎ܚ
「……月野くん、大丈夫かな」
水曜日の昼休み。
隣の席は空席だった。
朝、彼からLINEが来たのだ。
『熱出た。今日は休む』
短い文面。でも、スタンプも何もないのが逆に心配になる。
私はスマホの画面を睨みつけた。
あのツイート(ポスト)を見てから、生きた心地がしない。
喉の調子が悪い? 熱がある?
VTuberにとって喉は命だ。もし長引いたらどうしよう。
何より、今この瞬間も彼が一人で苦しんでいると思うと、居ても立ってもいられない。
『何か必要なものある? 家の前に置いておくよ?』
と送ろうとして、指が止まる。
まだそこまでの関係じゃない。
家も知らない。
私はただの「正体を知ってしまった隣の席のファン」だ。
彼女気取りで押しかけるのは、マナー違反だ。
「……はぁ」
ため息をつきながら、私は補給物資をコンビニで買い込んだ。
のど飴、スポーツドリンク、冷却シート、ゼリー。
もしもの時のために、カバンに入れておこう。
渡せるチャンスなんてないかもしれないけど。
✎ܚ
その夜、21時。
配信はないはずだった。
私は静かな部屋で、過去のアーカイブを流し聞きしながら、彼の回復を祈っていた。
ポン。
スマホが震えた。
通知? 誰から?
画面を見て、心臓が跳ね上がる。
『YouTube:ルカ=ノエルさんが配信を開始しました』
「えっ!?」
嘘でしょ?
休むって言ってたのに!
私は慌ててリンクを開く。
画面に映ったのは、静止画の待機画面ではなく、部屋の天井を映した実写カメラの映像(もちろん顔は映らない角度)。
『……みんな、ごめんね。通知、驚かせちゃったかな』
聞こえてきた声は、ガラガラだった。
いつもの艶のある低音じゃない。熱で潤んだような、苦しげな吐息混じりの声。
コメント欄が『寝てて!』『なんで配信したの!?』『無理しないで!』で埋め尽くされる。
私も打った。
『アカリ:ルカくん!? バカ! 寝ててよ!』
彼は、弱々しく笑った。
『……ん、ごめん。……でもさ』
ガサリ、と寝返りを打つ音。
布団の衣擦れの音が、生々しく響く。
『……心配してくれてる子が、いたから』
え?
『LINEの既読、つかなくて。……向こうでも、こっちでも、すごく心配してくれてるのが分かったから』
LINE?
私、送った。めっちゃ送った。
『大丈夫?』『生きてる?』『ゼリー買ったよ』って連投した。
既読つかないから不安で、Twitterのリプでも『ルカくん大好きです、待ってます』って送った。
『……その子に、声だけでも聞かせたくて』
彼は、熱い息を吐き出しながら、マイクに唇を寄せたようだった。
『……アカリちゃん』
名前。
また、名前を呼んだ。
今度は、完全に弱りきった、守ってあげたくなるような声で。
『……君が不安な顔してるの、想像できたから。……だから、ちょっとだけ』
『……俺、大丈夫だよ。君が待っててくれるなら、すぐに治すから』
涙が出た。
私のために?
数千人のリスナーがいるのに。
たった一人、私が心配しているという理由だけで、高熱をおして配信をつけてくれたの?
そんなの、愛されすぎてて怖いよ。
『……ふふ。……今、泣いてるでしょ』
全部お見通しか。
『……会いたいな。……アカリちゃんに』
『……ゼリー、食べたかったな』
え。
ゼリー?
私、LINEで「ゼリー買った」って送ったけど……それのこと?
『……玄関、開けとくから』
『……こっそり、来てくれないかな。……なんてね』
冗談めかして言ったけど。
その直後、私のLINEに位置情報が送られてきた。
『月野ルカが位置情報を送信しました』
「……行く!!」
私はスマホを掴んで立ち上がった。
マナー違反? 知るか!
推しが弱ってるんだ。
しかも、私を呼んでるんだ。
行かない選択肢なんて、私の人生にはない。
私はカバンをひっ掴み、夜の街へ飛び出した。
待ってて、ルカくん。
今、世界で一番甘いゼリーと、世界で一番重い愛を届けに行くから!
その夜。
配信が切れた後、看病に行った私がどうなったか。
熱で理性が緩んだ彼に、どれだけ甘えられ、どれだけ抱きしめられたか。
それは、私と彼だけの、墓場まで持っていく秘密だ。
(続く)
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