第6話 遅刻の言い訳

【ルカ=ノエル配信画面】

 同接:4,102人

 コメント:ルカくん今日は早いね!/朝配信レア!/寝起き声たまらん

 スーパーチャット:アカリより 5,000円 「おはようございます! ルカくんの夢見てて二度寝しました! 遅刻確定です! でも幸せです!」

 ルカ=ノエル(苦笑して):アカリちゃーん、俺の夢見てくれるのは嬉しいけど、遅刻はダメだよ? ……まあ、気をつけておいで。いいことあるかもよ?


 ✎ܚ ܚ


「やっば今の信号待ち長すぎ!」


 私はキャンパスを全力疾走していた。

 時刻は2限目の開始5分過ぎ。

 私の専攻する心理学の教授は、遅刻厳禁で有名だ。しかも今日は必修。

 終わった。単位が飛んでいく音が聞こえる。


「はぁ、はぁ……!」


 教室のドアをそっと開ける。

 案の定、大教室は満員御礼。立ち見が出ているレベルだ。

 教授の鋭い視線が突き刺さる。

「……遅い」

「す、すみません!」


 小さくなって中に入るが、座る場所がない。

 絶望。

 90分立ちっぱなし確定か。

 自業自得とはいえ、昨日の夜、ルカくんのアーカイブ(「俺の全部あげる」発言回)をリピート再生しすぎたせいだ。

 夢にまで出てきてくれたのはご褒美だけど、その代償が単位喪失とかコスパ悪すぎる。


 うろうろと席を探して視線を泳がせていると。


「……ここ」


 声がした。

 聞き慣れた、低い声。

 窓際の、いつもの席。

 月野ルカが、自分の隣の席に置いていた鞄を、どさり、と床に下ろした。


「……え?」


 そこは、明らかに彼が「キープ」していた席だ。

 誰も座れないように、教科書と鞄でバリケードを築いていた場所。

 周りの女子たちが「あそこ空いてるけど月野くんの荷物が……」と遠巻きにしていた聖域。


 彼は無表情のまま、顎で「座れ」と合図した。


「あ、ありがと……」


 私は小さくなって、その席に滑り込む。

 助かった。

 奇跡の生還だ。


「……寝坊?」


 教科書を開きながら、彼がボソリと聞いてきた。

「うっ、うん……ちょっと、夢見が悪くて……いや、良すぎて……」

「……ふーん」


 彼はそれ以上追求せず、黒板の板書を再開する。

 でも。

 彼の手元にあるノートの端に、小さく『Sleepy』という落書きがあるのを見逃さなかった。

 可愛いかよ。


 講義中、私は心なしか視線を感じた。

 チラリと見ると、彼は真剣にノートを取っている。

 気のせいか。

 でも、私が教科書のページをめくり損ねてバサバサやっていると、無言で自分の教科書をスッと真ん中に寄せてくれたり。

 シャーペンの芯が折れて「あ」ってなった瞬間に、予備の芯ケースが滑ってきたり。


 タイミングが、良すぎる。

 まるで、ずっと私を見ていないとできないレベルのフォロー。

「氷の王子」の解像度が、私の中でどんどん書き換えられていく。

 氷じゃない。

 これは、極上の砂糖菓子だ。

 外側が硬くて冷たいだけで、中は甘すぎて頭が溶けそうだ。


 ✎ܚ ܚ


 その夜、21時。

 今日の配信は、珍しく「大学生活」についての雑談枠だった。


『大学ってさ、席取るの大変だよね。俺も今日、人多くてびっくりしたよ』


 コメント欄が『わかる』『ぼっちには辛い』『ルカくん隣にいたら死ぬ』で埋まる。

 私は布団の中で「だよねー」と頷く。

 ルカくん、ちゃんと講義出てるんだ。えらい。


『でもさ、今日はちょっと頑張って、席キープしたんだ』


 え?


『俺の隣の席。……ある子が、絶対遅刻してくるって分かってたから』


 ドクン、と心臓が跳ねる。

 ある子。

 遅刻してくるって分かってた子。

 朝のスパチャ。

『二度寝しました! 遅刻確定です!』

 すべてが繋がる。


『その子、案の定、息切らして入ってきてさ。……必死な顔して席探してるの、ちょっと小動物みたいで可愛かった』


「う、うわあああっ!」


 やめて!

 私の必死な形相を全世界に晒さないで!

 小動物!? 褒め言葉!?

 というか、あれか。

 あのバリケードは、最初から私のためだったのか。

 他の女子が座ろうとしたら「連れが来るんで」とか言って断ってたのか。

 あの月野くんが!?


『無事に座れた時、安心してふにゃって顔してたの見て……俺まで安心しちゃった』


 彼はそこで、甘く含み笑いをした。


『……内緒だよ? 特別扱いしたなんてバレたら、その子が困るかもしれないしね』


 いや、もう手遅れです。

 私の心臓はすでにテロリスト(ルカ=ノエル)によって占拠されています。


『アカリちゃん』


 不意打ちの名前呼び。


『明日は、遅刻しないでね? ……でも、遅刻しても、また隣、空けとくけど』


 確約。

 明日も、私の隣は彼のものだと。

 そして、彼の隣は私のものだと。


 私はスマホを抱きしめて、熱に浮かされたように呟いた。

「……ずるい。大好き」

 画面の向こうの彼には届かない声。

 でも、明日の朝、隣の席の彼になら。

「おはよう」の挨拶と一緒に、この熱の欠片くらいは伝えられるかもしれない。


(続く)



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