第4話 文化祭のペア

【ルカ=ノエル配信画面】

 同接:3,607人

 コメント:文化祭シーズンだね〜/ルカくんは文化祭の思い出ある?/イケメンだから執事喫茶とか似合いそう

 スーパーチャット:アカリより 8,000円 「ルカくんこんばんは! 大学で文化祭委員になっちゃって憂鬱です……作業多くて死にそうです」

 ルカ=ノエル(笑いを含んだ声で):あはは、アカリちゃん委員になったんだ。ドンマイ。……でもさ、大変なことの中にも、ちょっとくらい良いことあるかもしれないよ? 俺が魔法かけてあげるから、頑張って♡


 ✎ܚ


 魔法?

 呪いの間違いではないだろうか。


「……なんで私が」


 放課後の空き教室。

 段ボールの山に埋もれながら、私は深いため息をついた。

 秋の大学祭。

 その実行委員を決めるホームルームでのジャンケン大会に、私は見事に敗北した。

 よりによって、クラスで一番「絡みづらい」男子とのペアで。


「…………」


 向かい側で、黙々と模造紙にカッターを入れている男。

 月野ルカ。

 彼もまた、不運な敗北者の一人だ。

(ちなみに、彼が負けた瞬間、クラスの女子たちが「私が代わりたい!」と言い出したが、彼は「……ルールだから」と一蹴した。ブレない男だ)


 二人きりの教室。

 会話はない。

 カッターの「カチカチ」という音と、紙が切れる「スーッ」という音だけが響く。

 地獄だ。

 いや、ある意味天国なのか?

 だって目の前にいるのは、私の最推し(の中の人)なのだから。


 私は作業をするふりをして、チラチラと彼を観察する。

 伏せた長い睫毛。

 通った鼻筋。

 薄い唇。

 やっぱり顔が良い。

 そして、あの指。

 カッターを持つ手つきすら絵になる。あの指が、夜な夜なマウスを操作して、あんな甘いコメ読みをしているなんて。


「……星宮」

「ひゃいっ!?」


 突然名前を呼ばれて、素っ頓狂な声が出た。

 カッターを取り落としそうになる。

 月野くんは手を止めて、不思議そうにこちらを見ていた。


「……テープ、取って」

「あ、は、はい! どうぞ!」


 セロハンテープの台を差し出す。

「……ん」

 彼の手が伸びてくる。

 受け取る瞬間、指先が触れた。


 ビクッ、と電流が走る。

 冷たい。

 氷の王子と呼ばれるだけあって、体温が低い。

 でも、その接触箇所から、熱が一気に全身へ広がっていく。

『アカリちゃん、大好き』

 脳内で昨夜のボイスが自動再生され、私は耳まで真っ赤になった。


「……顔、赤い」

「えっ、い、いや、これは! 部屋が暑いから! 西日がすごいし!」


 しどろもどろに言い訳をする私。

 彼は「……そう」とだけ言って、また作業に戻る。

 しかし、その口元が。

 気のせいだろうか。

 数ミリだけ、上がったように見えた。


 作業は続く。

 看板作りのペンキ塗りをしていた時だった。


「……待って」


 不意に、月野くんが立ち上がり、私に近づいてきた。

 え、なに。

 怒られる? 私なんかミスった?

 後ずさりしようとする私の目の前で、彼の顔が止まる。

 近い。

 顔、近っ。

 肌のキメ細かさが視認できる距離。微かに香る、柔軟剤の清潔な匂い。


「……動くな」


 低い声での命令。

 私は金縛りにあったように硬直する。

 彼の右手が、ゆっくりと私の顔の横へ伸びてきて――。


 髪に、触れた。


「……っ!」


 心臓が跳ね上がる。

 彼の指が、私の髪を優しく梳くような動作をする。

 耳元で、衣擦れの音がする。

 体温が伝わる。

 息がかかる。


「……消しゴムのカス、ついてた」


 彼はそう言って、指先につまんだ白い欠片を私に見せた。

「あ……」

 さっきの看板作りの時に、髪についちゃったんだ。

 なんだ、それだけか。

 キスされるかと思った(自意識過剰率1000%)。


「……ありが、とう」

「ん」


 彼はゴミ箱にカスを捨て、また自分の席に戻っていく。

 でも。

 戻る時、彼は自分の指先を――さっき私の髪に触れた指先を、親指でそっと撫でていた。

 名残惜しそうに。

 愛しむように。


 その仕草が、私の網膜に焼き付いて離れなかった。


 ✎ܚ


 その夜、21時。

 今日の配信は、いつにもまして神回だった。


『みんな、今日もお疲れ様。……俺もさ、今日はちょっと大学で作業あったんだよね』


 雑談タイム。彼が自分からリアルの話をするのは珍しい。

 私は布団の中で、スマホを抱きしめて聴き入る。


『文化祭の準備でさ。……ある子と、ずっと一緒だったんだ』


 うわあああ!

 言ってる! 言っちゃってるよ!

「ある子」って私だよね!?

 完全に私のことだよね!?


 コメント欄が『匂わせ!?』『誰!?』『女の子!?』と阿鼻叫喚になる。

 でもルカくんは、そんな嫉妬の嵐などどこ吹く風で、さらに爆弾を投下した。


『でさ、その子の髪に、ゴミがついてたから……取ってあげたんだ』


 ひっ。

 心臓が止まる。


『髪、サラサラだったな。……なんか、良い匂いしたし』

『触った瞬間、……ちょっとドキドキした』


「ーーーーッ!!!」


 私は声にならない悲鳴を上げて、枕に頭突きをした。

 バッコンバッコンとベッドを叩く。

 やめて。

 もうやめて。私のHPはゼロよ!

 全国(全世界)に向けて、私の髪の感想を言わないで!

 良い匂いって言った!? 今日シャンプー変えたの気づいてくれたの!?


『また触りたいな。……次は、ゴミ取るだけじゃなくて、もっとちゃんと』


 彼は声を潜め、マイクに吐息を吹きかけるように囁いた。

 まるで、隣に寝ている私にだけ聞こえるように。


『……撫でてあげたい』


 ブツン。

 私の理性のブレーカーが落ちた音。

 今日という一日は、私の命日となった。


 画面の中のルカ=ノエル様は、心なしかいつもより妖艶に微笑んでいて。

 現実の月野ルカくんの無表情な顔と、あの熱い指先の感触がオーバーラップして。


 私は悟った。

 文化祭当日まで、私の心臓が持つわけがない、と。


(続く)



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