第3話 スパチャの私信

【ルカ=ノエル配信画面】

 同接:3,412人

 コメント:おつルカ〜/今日の声も最高でした/明日も頑張れる!

 スーパーチャット:アカリより 5,000円 「昨日はちょっと嫌なことがあって落ち込んでました……でもルカくんの声聞いたら元気出ました!」

 ルカ=ノエル(少し間を置いて):……そっか。アカリちゃん、嫌なことあったんだ。よしよし。俺の声で元気出たなら、いくらでも喋ってあげるからね♡


 ✎ܚ


 確信、とまではいかない。

 でも、疑惑はすでに「8割確定」のラインを超えていた。


 月野ルカ=ルカ=ノエル説。

 このトンデモ仮説を検証するために、私は今日、ある賭けに出た。


 大学からの帰り道。

 私はコンビニでGoogle Playカードを買い込み(5000円分)、震える手でチャージした。

 普段なら「ルカくん大好き!」とか「今日も天使!」といった、IQ2くらいのコメントしか送らない私が、今日はあえて「私情」を挟む。


『昨日はちょっと嫌なことがあって落ち込んでました』


 そう。

 昨日の「嫌なこと」とは、他でもない。

「推しの声が、隣の席の塩対応男子と完全に一致してしまって、世界が崩壊しそうになったこと」だ。

 もし彼が本人なら、このコメントを見て「あっ」と思うはずだ。

 昨日の今日だ。

 私が教室から脱兎のごとく逃げ出したこと、彼がそれを目撃したこと。

 それがリンクすれば、反応が変わるはず。


 21時。配信開始。

 私は固唾を飲んでスマホを握りしめる。

 雑談タイムが落ち着いたタイミングを見計らい、渾身の赤スパ(5000円)をシュート!


 頼む。

 反応して。

 いや、反応しないで。

 どっちなんだ、私。


 画面の中のルカくんが、ふとコメント欄に目を落とす。


『……ん? お、アカリちゃん。スパチャありがと』


 いつもの優しい声。

 でも、そこで一瞬、間が空いた。

 ほんの数秒。放送事故にならないギリギリの沈黙。

 彼は何かを考え込むように視線を泳がせ、そして――マイクに近づいた。


『……そっか。アカリちゃん、嫌なことあったんだ』

「っ……!」

『大変だったね。……でも、俺はいつでもアカリちゃんの味方だから』


 ズキン、と心臓が跳ねる。

 優しい。いつも通り優しい。

 でも、今日の優しさは、どこか「具体的」だ。

 まるで、私が何に落ち込んでいるのか、なんとなく見当がついているような。


『俺の声で元気出たなら、いくらでも喋ってあげるからね。……今日は特別に、アカリちゃんのためだけに、たくさん甘い言葉おくるよ』


「えっ」


 コメント欄がざわつく。

『えっえっ』『なにこの特別扱い!』『うらやま死ぬ』

 普段なら嫉妬の嵐になりそうな発言だが、ルカくんの声音が妙に真剣だったせいか、リスナーたちも「今日はアカリちゃん慰め回か、てぇてぇ」みたいな空気になっている。


『アカリちゃん、いつも頑張ってるもんね。……俺、知ってるよ』

『えらいえらい。……よしよし』


 バイノーラルマイク越しの「よしよし」は、破壊力が核兵器クラスだ。

 脳髄が溶ける。

 でも、溶けながらも、私の頭の片隅で冷静な部分が警鐘を鳴らしていた。


『俺、知ってるよ』


 何を?

 私がいつも頑張ってること?

 ただのファンの日常生活なんて、知るはずがないのに。

 でも、もし彼が月野くんなら。

 私が講義中、眠気と戦いながら必死にノートを取っている姿も、重い荷物を持って学食へ走っている姿も、全部見ていることになる。


「……ズルいよ、それ」


 画面に向かって呟く。

 こんなの、私信じゃん。

 数千人が見ている前で堂々と行われる、私と彼だけの秘密の通信じゃん。


『ん、もう少し詳しく聞こうか? ……アカリちゃん、最近、何か驚くようなことでもあった?』


 確信犯だ。

 絶対にそうだ。

 彼は画面の向こうで、ニヤリと笑っているに違いない。

 私が動揺しているのを知ってて、楽しんでるんだ。


 私は震える指で、コメントを打ち込む。

『驚くこと、ありました。……世界がひっくり返るくらい、びっくりしました』

 送信。


 ルカくんが、それを読んで。

 ふっ、と短く笑った。


『そっか。……でもさ。世界がひっくり返っても、俺は俺だから。……これからも、よろしくね? アカリちゃん』


 決定打だった。

 これはもう、告白と同じだ。

「俺が月野ルカだよ」と認めた上で、「それでも推してくれるよね?」と聞いてきている。

 しかも、あんな極上の甘い声で。


「……ううっ……」


 私は枕に顔を埋めて、足をバタバタさせた。

 無理無理無理。

 明日、どんな顔して大学に行けばいいの?

 隣に座るんだよ?

 あの「氷の王子」の隣に。

 でも中身は、私を「よしよし」してくれる銀髪の天使で……。


 脳が処理落ちする。

 キャパオーバーだ。


 ✎ܚ


 翌日。

 私はゾンビのような足取りで教室に入った。

 睡眠時間、3時間。

 ルカ=ノエル様のアーカイブを聴き返しては「ここも私信だ」「ここも月野くんの声だ」と悶絶していたら、朝になっていた。


 恐る恐る、いつもの席へ向かう。

 いた。

 月野ルカ。

 今日も今日とて、麗しの横顔で窓の外を見ている。


「……お、おはよう……」


 蚊の鳴くような声で挨拶してみる。

 私の人生初のアクションだ。

 これまでは無言ですれ違っていたのに。


 彼はゆっくりとこちらを向いた。

 無表情。

 相変わらずの鉄仮面。

 でも。


「……ん」


 挨拶の代わりに、短く喉を鳴らした。

 そして、昨日と同じように、ほんの一瞬だけ目を細めた。

 その瞳が、雄弁に語っていた。


『昨日はスパチャありがとう』


 そう聞こえた気がした。

 幻聴かもしれない。

 でも、彼が机の上に置いたペットボトル。

 そのラベルが、昨日私が配信で「最近これハマってます」とコメントした、マイナーな紅茶花伝だったのを見た瞬間。


 私は静かに、天を仰いだ。

 神様。

 私、前世で国でも救ったんでしょうか。

 それとも、これから何か大罪を犯して処刑されるんでしょうか。

 幸せすぎて、命の危険を感じます。


 隣の席の「氷の王子」が、心なしか昨日よりも少しだけ、私の体温に近い場所にいる気がした。

 距離は変わっていないのに。

 心の距離だけが、光速で縮まっていく。


(続く)



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