霧の都の洗礼と、沈黙の路上
霧が立ち込めるロンドンの街角。ヒースロー空港に降り立ったセカレジを待っていたのは、香港や台湾のような熱狂的な歓迎ではなく、凍てつくような冷気と、現地の音楽関係者たちの冷ややかな視線だった。
「……ハッ、東洋から来た『アイドルの紛い物』か? 随分と綺麗なツラをしてるが、ここはパンクとロックの魂が眠る場所だ。坊やたちは大人しくおもちゃのピアノでも弾いてな」
フェスの運営スタッフの一人が、タバコの煙を吹きかけながら鼻で笑う。香港での大成功も、ここロンドンでは「アジアの小さな流行」として片付けられていた。
「……なんだと、コラ」
桑田が今にも掴みかかろうとするが、不破がそれを制した。
「……よせ、桑田。言葉で言い返しても無駄だ。あいつら、俺たちの音を聴く気すらねえよ」
言葉の壁をブチ抜く「ノイズ」
ホテルへ向かう道中、荒崎は不機嫌そうに街を歩く若者たちを眺めていた。誰もがイヤホンをし、自分たちの世界に閉じこもり、東洋から来た四人を「珍しい観光客」としてしか見ていない。
「……舞元。機材車、今すぐここに止めろ」
「……荒崎? 何を考えているの、ホテルまでまだ距離があるわよ」
舞元の制止を無視し、荒崎は無理やり車を止めさせると、歩道に機材を放り出した。
「ここでやる。……不破、田上、桑田。準備しろ」
「おいおい、路上ライブかよ!? 許可も取ってねえのに、ロンドンのポリ公に捕まるぞ!」
不破が慌てるが、荒崎はすでにマイクを握り、アンプの電源を入れていた。
「英語なんて通じなくていい。この街の奴らの鼓膜を、俺たちの音でブチ破ればそれで済む話だ」
一瞬の沈黙、そして
ロンドンの中心街、ピカデリー・サーカス。冷たい雨が降り始めた中、荒崎の咆哮が街に響き渡った。
最初は「何だこの東洋人は」と冷笑していた通行人たちが、一歩、また一歩と足を止める。
不破のベースが石畳の地面を揺らし、田上のドラムがビルの壁に反響する。そして、荒崎と桑田の重なる歌声が、ロンドンの冷たい霧を切り裂いた。
言葉は分からないはずだ。しかし、彼らの音に含まれた「反逆」と「孤独」、そして「圧倒的な生」のエネルギーは、言葉の壁を容易に飛び越えた。
「……何だ、あいつらは」
「……アイドルのようなツラをして、なんて音を出しやがる」
気づけば、周囲には数百人の群衆が膨れ上がっていた。野次を飛ばそうとしていた地元の荒くれ者たちも、手に持っていたビール瓶を握りしめたまま、ステージ代わりの路上に釘付けになっている。
最後の音が止んだ瞬間、ロンドンの街に訪れたのは、静寂。
そして数秒後、雨音をかき消すほどの地鳴りのような歓声が沸き起こった。
「……見たか、舞元」
荒崎は汗を拭い、遠くで唖然としているフェス関係者に向かって、親指を下に向けて笑った。
「これが俺たちの『名刺』だ。本番まで、その震えた足を隠しておけよ」
ロンドンの冷たい雨は、いつの間にかセカレジを祝福する熱い霧へと変わっていた。
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