2パーセントの断絶


ブルーバードの演奏は、完璧だった。

坂木の澄み渡る歌声は会場の隅々まで染み渡り、数万人の観客は魔法にかけられたように静まり返り、涙を流した。「バラード」という土俵において、彼らは非の打ち所のない王道を見せつけた。

そして、セカレジの出番が来た。


荒崎は根本から教わったすべてを、その喉に込めた。桑田のアコースティックギターは泣くように震え、不破のベースは心音のように響き、田上のリズムは祈りのように刻まれる。


荒崎の声が響いた瞬間、会場の空気は「感動」ではなく「戦慄」に変わった。それは美しさというより、魂の叫びそのものだった。


演奏が終わり、会場を埋め尽くすのは割れんばかりの拍手と、それ以上に重い「審判」の沈黙。


「……さあ、運命の集計結果です」


舞元の冷徹な声がスピーカーから響く。ステージ上のモニターに、巨大な二つのバーが表示された。

左右に振れる数値。観客が固唾を呑んで見守る中、数字のカウントが止まった。


【 最終結果 】

ブルーバード:51%

WORLD RESISTANCE:49%


「……嘘だろ」


桑田が力なく膝をついた。わずか、2パーセント。

会場にはブルーバードのファンからの歓喜の悲鳴が上がる。セカレジのファンは絶句し、中には泣き出す者もいた。


には勝利の喜びよりも、紙一重で首がつながった者の安堵と、セカレジへの隠しきれない恐怖が混ざり合っていた。


荒崎は、モニターの「49%」という数字をじっと見つめていた。


拳が白くなるほど強く握りしめられ、微かに震えている。


「……負け、か」


不破が吐き捨てるように言い、田上は静かに眼鏡を拭いた。計算上、あと数百人が自分たちに傾いていれば、結果はひっくり返っていた。その「数百人」の壁が、今の自分たちに足りない何かを突きつけていた。


「残念だったわね、セカレジ」


舞元がステージ袖から現れた。その表情からは、彼女が何を考えているのか読み取れない。ただ、その瞳は負けた荒崎たちを嘲笑うのではなく、さらに深い闇へと誘うような色をしていた。


「でも、これが現実よ。あなたたちの『反逆』は、王道の『正解』にわずか一歩、届かなかった。……さあ、約束通り、勝者に道を譲りなさい」


「勝った……!」


ブルーバードのメンバーが抱き合い、会場は勝利したアイドルたちのファンによる割れんばかりの歓声に包まれた。セカレジの四人は、ただ沈黙してその数字を見つめる。2%という、手を伸ばせば届きそうでありながら、決して超えられなかった断絶。


桑田はギターを持ったまま呆然と立ち尽くし、不破はチッと短く舌打ちをして顔を背けた。田上は静かに眼鏡を拭き直し、荒崎だけが、射抜くような視線でモニターの数字を焼き付けていた。


勝利のファンファーレが鳴り響こうとした、その時だった。


「……待ってくれ! 全員、少しだけ時間をくれないか!」


マイクを通した坂木の声が、騒がしい会場を制した。歓声が止み、スポットライトが勝者に集まる。しかし、坂木の表情に笑顔はなかった。彼はメンバーの静止を振り切り、ゆっくりとセカレジのフロントマン、荒崎の前まで歩み寄った。


「……坂木?」


荒崎が怪訝そうに目を細める。

数万人の観客が見守る中、坂木はマイクを握りしめたまま、深々と、腰が折れんばかりの勢いで荒崎に頭を下げた。


「……なんだ、その真似は」


「認めざるを得ないんだ。数値の上では僕たちが勝った。でも、演奏中に僕の心を震わせ、僕を敗北の恐怖に叩き落としたのは、間違いなく君たちのバラードだった」


坂木の声は震えていた。頭を下げたまま、彼は言葉を続ける。


「僕たちは、この業界で『正解』を歌うように訓練されてきた。でも、君たちの歌には、僕たちが捨て去った……いや、持ち得なかった『魂』があった。この2%は、ただの運だ。あるいは、僕たちが先にステージに立って築いた『予定調和』の残滓に過ぎない」


会場が、静まり返る。アイドルの頂点に立つ男が、敗者に屈辱の謝罪をしているのではない。一人の表現者として、セカレジの圧倒的な力に敬意を払ったのだ。


坂木は顔を上げると、まだ混乱している観客席に向かって叫んだ。


「みんな、聞いてくれ! 今日、この瞬間、この場所で本当に世界を変えたのは、WORLD RESISTANCEだ!」


その言葉が終わるか終わらないかのうちに、会場からは先程の勝利宣言よりも遥かに大きな、そして温かい拍手が巻き起こった。それは勝者と敗者の境界が溶け、セカレジという存在が名実ともに「本物」として刻まれた瞬間だった。


荒崎は鼻で笑い、頭を下げたままの坂木の肩を無造作に叩いた。


「……次は、頭を上げられないほどの大差で叩き潰してやるよ。貸しにしといてやる、坂木」


モニターの数字は変わらない。けれど、荒崎の瞳に宿った火は、もはや2%の敗北など見ていなかった。

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