第3話【真夜中の傍観者】3
家を飛び出し、徒歩十分ほどの道のりの末に橋本写真館に辿り着いた健斗は、綾音の家として使われていた二階に上がり扉を開ける。
そして、目の前に広がる光景を前にして肩を落とすと、唯一作り上げたと思われる足の踏み場に横たわっている綾音に声をかけた。
「……何してるんですか?」
「あ、健斗くん」
綾音は天井に向けていた虚ろな目をゆっくりと健斗に向けてくる。
そして、フッっと自分を卑下するように苦笑いを浮かべると、沈んだ声でこう言った。
「私、諦めました」
「……諦めたって。どうかしたんですか?」
「いや、まずは足の踏み場を作ってから掃除を進めていこうとしたんだけど、なぜか足の踏み場の位置が変わるだけで、一向に掃除が進まないんだよ。あ、これ私の七不思議の一つね」
「なんというか……だらしない七不思議ですね」
「うるさいよ」
いつもの二割減のボリュームでそう言う綾音。
その姿からも分かる通り、どうやら相当参っているようだった。
「綾音さんの七不思議。残りの六つを聞くのが怖いです」
「……果たして七不思議で済むかな」
綾音はフフっと小さく漏れ出る苦笑と共にそう言うと言葉を続ける。
「それで、結局手伝いに来てくれたの?」
「ええ、まぁ」
「写真は撮らないよ?」
「別に良いですよ。どうせ絵も進まないのは分かってるんで……時間を持て余すくらいなら掃除してた方がマシです」
「……そっか。それならお手伝い、頼んじゃおうかな」
横たわっていた体を起こすと、綾音はニコっとした笑みを浮かべた。
相変わらず、この人の笑顔はズルい。
その笑みに思わず見惚れてしまった健斗は、恥ずかしさから視線を逸らした。
「でも俺がやるのは手伝いで収まる範囲だけですからね。綾音さんの家なんですから最低限のことは自分でやって下さいよ」
「うぃー」
綾音に軍手を渡すと、二人は掃除を始める。
棚に詰められた機材。
床に置かれたままの雑誌。
そして、乱雑に脱ぎ捨てられた服。
一体どこから手を付ければ良いのか分からないほどに、その部屋は散らかっていて……
健斗はまず、足の踏み場を広げるように近くにある物を端に寄せていくと、文句の一つでも言ってやろうと口を開いた。
「全く……そもそも綾音さんが普段からしっかり掃除してれば、俺の家に”転がり込む”ことなんてなかったはずなんですけどね」
床に落ちていたカーディガンを拾いながらそう言う健斗。
すると――
「まぁ、いいじゃん。私の"作品"と交換するって条件だったわけだしさ。健斗くんは写真を手に入れて、私は家を手に入れた。それに、共同生活、楽しいでしょ?」
綾音は機材の下敷きになり、シワだらけになっているTシャツを手に持ちながらそう返してきた。
「楽しい、楽しくない以前に大変です。まるで子供の世話をしてるようですよ」
「子供って……私の方が年上のはずなんだけどな~」
「そう主張するなら生活を改めてからにして下さい」
「……うす。善処して精一杯努めます」
敬礼するような仕草を見せる綾音。
それを見た健斗はこう思う。
きっとこの人は変わらないんだろうな……と。
「そもそも俺は社員寮があるからって聞いて家を借りなかったんですからね」
「あったじゃん。キミが今住んでるところが社員寮だよ」
「いやいや、社員寮って元々綾音さんが住んでた場所じゃないですか! まさか綾音さんが生活に必要なものが圧倒的に不足してる写真館の二階に住むことになるなんて思ってもみなかったですよ!」
健斗は就職する前、綾音と面接した時のことを思い返すと叫ぶように言う。
写真館の二階には、人間が生活を営むために必要な風呂やキッチン、洗濯機などが一切なかった。
それなのに深刻な人手不足から、人材を確保するために社員寮があると見栄を張り……結果、綾音は写真館の二階にある物置に住居を移したのだ。
「いやー、実際に数週間は住んでみたけど……普通に無理だったね」
「当たり前です。お金がないのに毎日銭湯に行って、キッチンも無いからコンビニ弁当で無駄に浪費。そして極めつけは綾音さんの生活能力の低さ。転がり込んできても拒否なんてできませんでしたよ!」
当時の綾音といえば、ゲッソリと痩せた体と不健康そうな顔色で、限界という言葉が良く似合う姿だったことを健斗は思い返すと、叫ぶようにそう言った。
「本当に助かったよ。今ではご飯も作ってくれるし、掃除もしてくれるし。健斗くんには感謝だね!」
「俺としては真夜中の傍観者の画像を貰いましたし、それで十分でしたけど……よく俺が茂木乃に引っ越してくるまで生きながらえてましたね」
「まぁ、なんとかね。前はキミに渡してる給料分で外でご飯買って、洗濯は面倒だからコインランドリーを使って、掃除は……まぁ、観光地になりそうなくらい大きな山を何個か築いていただけで済んでたよ」
昔を思い出しているのか、少しだけ疲れたような表情を見せる綾音。
そんな彼女を見てきているからこそ、仕事を辞めるどころか、新しい家を借りることもできずに、健斗は今日という日を迎えてしまった。
本格的にお世話係になっていると思えるのはきっと気のせいではないだろう。
「健斗くん。来てくれてありがとう」
ふと、綾音は小さな声でそう囁くと、今日一番の笑顔を健斗へ向ける。
表現者としての綾音を見ることができないのは正直、残念という一言に尽きる。
しかし、この笑顔を向けられるというのは悪くない。そう思ってしまうのだ。
だから――
いつかスランプから抜け出し、画家としての一歩を踏み出すまでの間くらい綾音さんのお世話係でいよう。
健斗は一人、そんなことを思うと、温かい気持ちが心に広がっていくのが分かった――のだが、そんな気持ちが長く続くことなんて綾音を相手していたらありえないわけで……
目の前で謎に引き起こされている綾音の七不思議。
足の踏み場が移動するという光景を前に、先程まで満たされていた温かい気持ちが失われていく感覚を覚えると、結局一人で掃除をすることになるのだということを健斗は察したのだった。
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