第11話 『子供部屋おじさん、継続中』
釣書を受け取ったのは、ある日曜の午後だった。
縁側に差し込む光が、少しだけ傾き始めた頃。
父は、新聞を畳み、何でもない顔で茶封筒を差し出した。
「……ほら」
「なに?」
受け取ると、ずしりと重い。
「開けてみろ」
封を切る。
中から出てきたのは、分厚い和紙の束だった。
「……釣書?」
思わず声が裏返る。
「お前もな」
父は湯呑みを持ったまま言った。
「周りが、見えてきたようだから」
それだけだった。
余計な説明はない。
父らしい。
釣書の表紙に触れる。
ざらりとした手触り。
真っ白じゃない、少し生成りがかった紙。
「表紙……どうする?」
修司が言うと、父は少し考えてから答えた。
「塩田線」
「……渋いな」
「トントンだ」
「トントン?」
「釣り合いがいい」
それで決まった。
——塩田線・トントン表紙。
五年前。
「子供部屋おじさん」と笑われた夜から、五年。
時間は、何も劇的に変えなかった。
ただ、積み上げただけだ。
今、修司の隣には、妻がいる。
「ねえ、それ、もう一回見せて」
「はいはい」
小さな手が、釣書の角を引っ張る。
「だめ、破れる」
「ぱぱ、けちー」
「けちじゃない」
二人の子どもが、畳の上で転がっている。
「おにいちゃん! それぼくの!」
「ちがうもん!」
「順番!」
声が重なって、六畳が一気に狭くなる。
「……騒がしいな」
そう言いながら、修司の口元は緩んでいる。
妻が、台所から顔を出す。
「ごめんね、狭くて」
「いや」
修司は首を振る。
「ちょうどいい」
いまだに、実家暮らしだ。
二階の六畳。
子供部屋おじさん、継続中。
「……なあ」
夜、子どもたちが寝たあと、妻が言った。
「私さ、最初ちょっと不安だったんだよ」
「なにが」
「実家暮らし」
「……だよな」
「でも」
妻は、湯呑みを両手で包みながら笑う。
「今は、ありがたい」
「お義母さんもお義父さんもいるし」
「子どもたちも、寂しくないし」
修司は、天井を見上げる。
節のある木目。
昔と同じ。
「……俺もな」
「うん」
「ここに残ってて、よかったと思ってる」
妻は何も言わない。
ただ、隣にいる。
翌朝。
「ぱぱ! あさ!」
「はいはい」
子どもに引っ張られて起きる。
白湯を飲み、
洗面所を掃除し、
風呂場を流す。
「パパ、なんでそうじするの?」
「生きてるから」
「へんなのー」
笑い声。
ラジオ体操の公園に、子どもを連れて行く。
「よいしょー!」
「それ、まだ早い!」
近所の人が笑う。
「にぎやかになったわねえ」
「はい」
修司は、少し照れて答える。
夕方、父が言う。
「釣書、ちゃんと書けよ」
「うん」
「肩書き、区役所職員って書くなよ」
「え?」
「“生活を回している”って書け」
「……抽象的すぎるだろ」
父は、ふっと笑った。
「それでいい」
夜、六畳の部屋。
修司は日記を開く。
『今日、感謝できること』
少し考えて、書く。
『五年前の自分が、逃げなかったこと』
ペンを置いて、声に出す。
「……よいしょー」
誰に聞かせるでもない。
子供部屋おじさん。
継続中。
でも今は、
誇りを持って、
胸を張って言える。
派手じゃない。
でも、ちゃんと増えた。
妻と、
子どもと、
生活と、
時間と、
責任。
積み上げた人生は、
やっぱり、誰にも奪えなかった。
六畳の天井は、今日も変わらず、そこにある。
修司は静かに笑って、電気を消した。
——よいしょー。
『子供部屋おじさんは、静かに人生を積み上げている』 @mai5000jp
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