『三等分の夜』

スマホの画面を、もう一度だけ見つめる。


《あなたが受給できる生活保護費

217,689円/月》


「……これを、三で割ると」


修司は、指で計算する。


「……七万二千五百六十三円、か」


数字を声に出した瞬間、不思議と現実味が増した。

二十一万七千という大きな塊が、三つの生活に分かれていく。


「今まで五万だったよな」


独り言が、六畳に落ちる。


五万。

悪くないと思っていた。

むしろ、ちゃんとしているつもりだった。


「……足りてなかったな」


画面を閉じて、今度は別のアプリを開く。

アマゾン。


《米 10kg 定期購入》


「……九千円弱」


カートに入っている商品を見て、修司は小さく頷く。


「じゃあ……」


頭の中で、生活が組み直されていく。


七万。

米が九千。

残りで、光熱費と、食費の一部。


「肉と野菜は……」


業務用スーパーの場所を思い浮かべる。

自転車で、十五分くらい。


「……行けるな」


疲れている日もある。

でも、できない距離じゃない。


「よし」


決めると、胸の奥が少し軽くなる。


その日の夕方、修司は封筒を二つ用意した。

一つは、今月分。

もう一つは、これからの分。


ちゃぶ台を囲んで、母と向かい合う。


「……母さん」


「なあに?」


「これからさ」


封筒を差し出す。


「家に入れるお金、七万にする」


母の手が、一瞬止まる。


「……え?」


「今まで五万だったけど」


「ちょっと待って」


母は封筒を見つめたまま、首を振る。


「それは……多すぎるわ」


「多くない」


即答だった。


「三人で暮らしてる金額を、ちゃんと三等分しただけ」


母の眉が、きゅっと寄る。


「でも……」


「それに」


修司は続ける。


「米は、俺が定期で頼む」


「十キロ」


「重いし」


「それから、肉と野菜は、業務用スーパーで俺が買ってくる」


「自転車で行けるし」


母は、言葉を失ったまま、修司を見る。


「……それじゃあ」


「あなたが、無理してるんじゃない?」


母は、ぽつりと言った。


「あなたばっかり……」


修司は、少し照れて笑う。


「違うって」


「お小遣いだと思って」


「俺の」


一瞬、間が空く。


「……ほんとに」


修司は、視線を落とす。


「今まで、気づかなくてごめん」


その言葉が落ちた瞬間、

母の肩が、わずかに震えた。


「……」


顔を伏せる。

ぽろ、ぽろ、と、音もなく涙が落ちる。


「母さん?」


「……ほんとにまぁ……」


母は、袖で目を押さえながら、笑おうとする。


「なんで……」


声が、震える。


「こんなに優しい子に、育ってくれて……」


言葉の途中で、声が詰まる。


修司は、何も言えなかった。


ただ、胸の奥が、ぎゅっと掴まれたみたいに痛い。


「……ありがとう」


母は、そう言って、もう一度涙をこぼす。


「ありがとうね……修司」


修司は、頭を下げる。


「……こちらこそ」


それ以上、言葉は出なかった。


台所の時計が、かち、かち、と鳴っている。

湯呑みから、まだ少しだけ湯気が立っている。


「……あ」


母が、ふと顔を上げる。


「夕飯、どうする?」


「俺、買ってくる」


「業務用スーパー?」


「うん」


「……じゃあ、お願い」


その声は、少しだけ軽かった。


修司は立ち上がり、玄関で靴を履く。


「行ってくる」


「気をつけてね」


自転車にまたがり、ペダルを踏む。

夕方の空気が、頬を撫でる。


「……遅かったけど」


修司は、心の中で呟く。


「今からだ」


間違いに気づいたなら、

直せばいい。


この家で、

この距離で、

できることを、やればいい。


スーパーの看板が見えてくる。


修司は、ペダルを踏む足に、少しだけ力を込めた。


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