第6話 「崩れ始める“勝ち組”」
第6話
「崩れ始める“勝ち組”」
最初は、昼休みのスマホだった。
弁当の蓋を開けたまま、修司は画面を見つめていた。
役所の休憩室は、電子レンジの音と、誰かが立てる紙コップの音だけがしている。
《田中、やばいらしいぞ》
通知は、それだけだった。
「……やばい、って」
修司は声に出さずに呟く。
箸を持ったまま、少し考えてから、返信はしなかった。
午後、窓口対応を終えて自席に戻ると、今度は別の名前が光る。
《佐藤、会社たたんだって》
「……そうか」
隣の席の同僚が、プリンターの紙詰まりに舌打ちをしている。
現実は、変わらず流れている。
《奥さん、実家帰ったらしい》
《いや、もう離婚成立》
《慰謝料とか、養育費とか》
文字だけなのに、やけに重い。
修司は、画面を伏せた。
「……」
言うことが、ない。
仕事が終わり、家に帰る途中、駅前のベンチでスマホが鳴った。
「修司?」
久しぶりの声。
田中だった。
「……久しぶり」
「今、いい?」
「うん」
電話の向こうで、風の音がする。
「さ、タワマンさ……」
その一言で、全部分かってしまった気がした。
「売ることになってさ」
「……そうなんだ」
「ローン、思ったよりきつくて」
笑う声が聞こえる。
でも、あのときの大きな声じゃない。
「勝ち組とか言ってたの、覚えてる?」
「……覚えてるよ」
「はは……」
間が空く。
「俺さ、修司」
「うん」
「お前、何も言わなかったよな」
「……」
「馬鹿にもしなかった」
修司は、返事に困った。
「馬鹿にする理由、なかったし」
「……だよな」
また、風の音。
「今度、飯でもどう?」
「……うん」
約束は、それだけだった。
家に着くと、母がテレビを消しながら言った。
「今日、電話鳴ってたわよ」
「友達」
「そう」
それ以上、聞かれない。
夕飯を食べ終えた頃、また通知が来る。
《外資、リストラだって》
《ボーナス出なかったらしい》
《家、手放すかも》
言葉が、次々に落ちてくる。
同窓会の、あの夜。
張り上げられた声。
笑い声。
「……静かになったな」
独り言が、六畳に落ちる。
修司は布団に腰を下ろし、天井を見上げた。
——勝ち組。
誰が決めた言葉だろう。
勝っていた時間が、
短かっただけかもしれない。
でも。
「……」
修司は、何も言わない。
同情もしない。
説教もしない。
ただ、聞くだけだ。
なぜなら——
崩れる音は、
誰の人生からも、聞こえうるものだと知っているから。
白湯を飲み、
朝、決まった時間に起き、
同じ仕事をする。
それだけの生活が、
今は、やけに遠い贅沢に思えた。
「……明日も、仕事だ」
声に出すと、少し現実に戻る。
修司は、スマホを伏せ、電気を消した。
勝ち組だった声は、小さくなった。
でも、消えたわけじゃない。
ただ——
ようやく、人の声の大きさに戻っただけだ。
六畳の闇の中で、修司は静かに目を閉じる。
聞くことしかできない夜は、
まだ、続いている。
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