第2話

家に着いて、煙草を吹かしながら、あの老人を思い出す。「いや〜、人の目を欲するなんて、僕もおかしくなってしまったのかな笑。」煙草の火を消し、家の中にある「丸」を見る。美しい造形に僕の姿を当てはめ、自惚れる。この時間が唯一、安らげる。そして、自分を肯定できる。「明日も早いから、もう寝よう。」風呂は明日の自分に任し、布団に入る。夢に立ち入る寸前、ふと思う。

「はぁ、やっぱりあの時、奪っておけばよかったな。」不意に書き起こされた言葉が、押さえつけていた「蓋」を取っ払った。「あれ、俺はなんて言った?あの目を奪っとけばよかったと言ったのか!」信じられないと思いつつ、この気持ちは嘘でないとすぐに気付いた。俺は奥底から湧き立つ黒い悪魔が、「丸」を黒に染めていくのを感じた。あの「◯」を手にすることで、俺の欲は満たされる。「やっぱりそうだ笑。あの老人には勿体無い。俺が持っていた方がいいに決まってる。」頭はすでに「◯」で埋め尽くされていた。自分を正当化させる言い訳を考えて、今から取ろうとする行動を正解にする。「あぁ、ほしい。」「なんとかして手に入れたいのだ。」俺はこの老人から唯一の光を奪うために、金と道具を手に取り、すぐさま家を出た。

 俺は走った。終電間際の男女の駆け引きを横目に、電車に飛び乗った。犬のように息を吸い、端の席に座る。ふと、今から取り掛かる作業の残酷さが脳裏をよぎる。「なんだよ、今更何をビビっているんだ。あいつには勿体無いんだ。俺の元にあるべきなんだ。」独り言も増え、今から起きる「非日常」を想像すればするほど、震えが止まらない。「あぁ、駄目だ。今乗ってるのが最終だ。もう引き返せない。」このままネカフェに泊まろうにも、俺のポケットには、なけなしの百六〇円と、コンビニでもらったフォークしかないのだ。安っぽい感触は俺の行動を嘲笑うかのようだ。冷たく、落ちていく汗が、服にへばり付いて肌が気持ち悪い。風呂にも入ってないから尚更だ。憂鬱な朝には決して感じられない速度で目的地の駅に着く。俺は息を整え、夜のホームへと歩き出した。

 冷たく、星が綺麗な空。猫や犬の鳴き声が響くあの通り。今もまだあの人はいるのだろうか。いないで欲しいと思う反面、またあの「◯」を拝めると思うと、何故か興奮が止まらないのである。近づくにつれて、俺の震えは確実に興奮へと変わった。俺はついにおかしくなったのだ。俺は今から罪を犯すのさ。俺は認めざるを得ない。あぁ、いた。いたんだよ。あの老人はダンボールを布団に見立てて、震えながら倒れてやがる。幸い、周りには誰もいない。そりゃあ、こいつの近くに人がいる方が珍しい。俺はズボンからフォークを取り出した。俺は至って冷静だ。完璧なのだから。今にも折れそうな鋭い爪は、ゆっくりと、気配を消して、老人に襲いかかる。老人が唸る。遠吠えみたいな声で、無様にも抵抗してくる。俺は黙々と作業する。五分もかかってないだろうか。シャンパンのコルクを抜いたみたいな音がした。咽び泣く声は、やがて子犬のように小さくなる。俺はやったのだ。ついにやった。老人の「◯」をズボンのポケットに隠すように入れ、無我夢中に走った。電車はもうない。俺は走った。フォークは川に投げた。疲れているのか、視界が悪い。でも誰にも見つからないように、走った。

気づけば、家のすぐそばまで来ていた。家に入り、時計を見る。もうすぐ四時。あれからどれくらいかかったのか。あぁ、眠い。とりあえず血のついたシャツとズボンは洗面台に。そして、そのまま俺はぐったりと、まるでバターのように眠りについた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る