◯のある生活
@sakana16_
第1話
憂鬱な朝を迎えるには、まだ眠い片目を擦って、布団から出る。
丸い皿に乗っかった冷たいホットケーキを熱い珈琲で流し込み、顔を洗い、急ぎ足で家を出る。そんな日常の中に、またこの憂鬱な朝に色をつける、一つの楽しみがある。
それは「丸を見ること」、この造形に僕は惹かれている。バスの停車ボタン、駅のホームにある非常停止ボタン、丸のある尻と乳房、丸眼鏡、目、どれも素晴らしい。この世界には僕が理想とする「丸」がたくさんあるのだ。でも、まだ僕が本当に求めているものは見つかっていない。それにしても僕がこんなにも「丸」に惹かれるのは、今までの、完璧なまでの僕の人生のせいなのである。生まれてこの方、失敗という失敗をしたことがない。これまで完成された人生を送ってきたのだ。いつぞやに怪我をしたこともあったが、それっきり。学業も、部活も、恋愛も、就活も、全て完璧に成功を収めてきた。
けど、こんな素晴らしい僕を狂わせたのは、十八歳の時。河川敷で家族とバーベキューをしていた時だった。バーベキューの材料で使っていた玉ねぎの丸み、これに妙な気持ちを抱いた。なんてことのない丸み、ただの丸。「これに惹かれるなんて僕はどうかしちゃったのだろうか」、そんなことを思っていた。でも、僕は惹かれる理由に気づいてしまったのだ。完璧な人生を歩んできた僕に、ピッタリなもの。それは紛れもなく、「◯」だった。こんなにも綺麗で、完成された、剥いても剥いても芯を保ったまま。まるで僕のようではないかと。それから僕の人生はちょっとずつ狂っていった。気づけば、家の中は丸いもので埋め尽くされていた。それでも、来る日も来る日も、「丸」を探し続けた。優秀な会社員としての僕はいつしか、通勤中にも、仕事中にも、休みの日にも「丸」を探す、奇妙な人間になってしまった。
そんなある日、仕事帰りで同僚とご飯に行った。たわいもない話をして、十時過ぎぐらいに解散した。「はぁ、こんなにも無意味な時間はあるか。」「こんなことなら、病院に薬でも貰いに行けばよかった。」沸き出る赤黒い思いを持ちつつ、ふとある物に目を向けた。それは僕とは正反対な完璧なんてものとは程遠い、老人だ。この老人は七十から八十歳ぐらいの男のようで、家はない。そして何かぶつぶつと呪文のようなものを唱えていた。僕とは縁もゆかりもない奴と見ていたが、僕はある異変に気付いた。彼は片目しかないのだ。目が一つしかない。事故か病気かなんかで失ったのだろう。気の毒と思いつつ、その場を通り過ぎようとした。しかし、何かおかしい。僕はなぜか通り過ぎるときも目で彼を追っていた。僕とは真反対の、不甲斐ない、完璧な僕に到底及ばないこの老人に対して、目を離すことができないのだ。心の底から湧き上がる僕の欲求が形を変えて、頭を蝕んでいく。「おかしい、一体この衰弱した老人に何があるというのか。」俺は気づいたのだ。彼の目。一つしかない目に、俺は惹かれていたのだ。目の丸みと言ったら、それはもう、綺麗な丸で、理想なものの一つであった。そんな、この老人の持つ、たった一つの希望を、俺は今、欲しているのだ。二つならば、こんなに惹かれることはなかっただろう。完璧な僕と真逆の、暗く、完成されたどころか壊れかけている老人の持つたった一個の目を、俺は欲している。しかし、目を奪うなんて、そんなことは不可能である。「こればっかりは仕方ない。それに、目だぞ。こんなものが欲しいなんて、俺は変人か笑。」吹きこぼれそうな欲に蓋をして、僕は駅に向かった。
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