第6話




 病院のベッド。

 白い天井。

 消毒液の匂い。

 結衣は目を覚ました。

「……ここは」

 体を起こそうとしたが、激痛が走った。

「痛っ……!」

 胸の傷がまだ癒えていない。

 包帯が巻かれている。

「目が覚めましたか」

 白衣を着た女性が入ってきた。

 医師だろう。三十代くらいの、落ち着いた雰囲気の女性だ。

『鑑定』

 反射的にスキルを使った。

『名前:白石美咲――レベル25――職業:回復術士』

 覚醒者の医師か。

「あなたは三日間、眠っていました。出血多量による意識不明でしたが、もう大丈夫です」

「三日も……」

 結衣は驚いた。

 そんなに経っていたのか。

「あの、一緒にいた人は……紫苑は!?」

「落ち着いてください。彼女も、この病院にいます」

 白石医師は落ち着いた声で答えた。

「ただし、彼女の状態は……少し複雑です」

「複雑?」

「ええ。詳しくは、彼女に会ってから説明します。体は動きますか?」

 結衣は慎重にベッドから降りた。

 足に力が入る。

 痛みはあるが、歩けないほどではない。

「大丈夫です」

「では、ご案内します」

 白石医師に連れられて、結衣は廊下を歩いた。

 ここは、覚醒者専門の病院らしい。

 通常の病院とは違い、魔法による治療が行われている。

「彼女は、特別病棟にいます」

「特別病棟?」

「ええ。一般の覚醒者とは、隔離する必要があるので」

 不吉な響きだ。

 結衣の不安が募る。

 エレベーターで地下に降りた。

 B3F。

 扉が開くと――

 そこは、まるで刑務所のような場所だった。

 厚い扉。監視カメラ。武装した警備員。

「なに、これ……」

「彼女を守るためです。そして、他の人を守るためでもあります」

 白石医師は、一番奥の部屋の前で立ち止まった。

「覚悟はいいですか?」

「……はい」

 結衣は頷いた。

 扉が開いた。


 部屋の中は、シンプルだった。

 ベッド一つ。椅子一つ。窓はない。

 そして、ベッドに――紫苑が横たわっていた。

「紫苑!」

 結衣は駆け寄った。

 紫苑は眠っているようだった。

 いや、違う。

 目は開いている。

 だが、焦点が合っていない。

 まるで、魂が抜けたように。

「紫苑? 紫苑!」

 結衣は紫苑の肩を揺すった。

 反応がない。

「何、これ……どうして……」

「彼女は、『暴走状態』から戻ってこられていないんです」

 白石医師が説明した。

「暴走状態?」

「ええ。あなたたちがダンジョンから出てきた時、彼女の体からは凄まじい魔力が漏れ出ていました。黒いオーラ。そして、赤く光る目」

 結衣は思い出した。

 あの時の紫苑。

 まるで別人のような姿。

「彼女は、『堕天者(だてんしゃ)』なんです」

「堕天者……?」

「天使と悪魔、その両方の血を引く存在。極めて稀な、特殊な覚醒者です」

 白石医師は続けた。

「堕天者は、通常の覚醒者より遥かに強力です。しかし、その力は諸刃の剣。暴走すると、自我を失い、周囲の全てを破壊してしまう」

 結衣は息を呑んだ。

 紫苑が、そんな存在だったなんて。

「彼女は今、自我と本能の狭間で戦っています。このまま本能に飲まれれば――二度と、元の彼女には戻れません」

「そんな……」

 結衣は紫苑の手を握った。

 冷たかった。

 まるで、死人のように。

「助ける方法は、ないんですか!?」

「一つだけあります」

 白石医師は真剣な目で結衣を見た。

「彼女の心に、呼びかけること。彼女にとって最も大切な人が、彼女の名を呼び続けること」

「私が……?」

「ええ。あなた以外にはできません」

 白石医師は部屋を出ようとした。

「三十分、時間をあげます。それで駄目なら――彼女を『封印』します」

「封印……?」

「永遠に、眠らせるんです。それが、彼女のためでもあるから」

 扉が閉まった。

 結衣は一人、紫苑と向き合った。


「紫苑……」

 結衣は紫苑の手を両手で包んだ。

「聞こえてる? 私よ。結衣よ」

 反応はない。

 紫苑の目は、虚ろなままだ。

「お願い、戻ってきて。私のところに」

 結衣の目から、涙が溢れた。

「あなたがいないと、私……どうすればいいかわからない」

 ぽたぽたと、涙が紫苑の手に落ちる。

「一緒に約束したじゃない。ずっと一緒にいるって」

 結衣は紫苑の顔に顔を近づけた。

「好きって、言ったじゃない。私のこと」

 唇を、紫苑の唇に重ねた。

 冷たいキス。

 でも、結衣は離さなかった。

「だから、戻ってきて……お願い……」

 涙が止まらない。

「紫苑……紫苑……!」

 その時――

 紫苑の指が、わずかに動いた。

「!」

 結衣は顔を上げた。

 紫苑の目に――光が戻ってきた。

「……ゆい?」

 かすれた声。

 でも、確かに紫苑の声だった。

「紫苑!」

 結衣は紫苑に抱きついた。

「良かった……本当に、良かった……!」

「ごめん……心配、かけて……」

 紫苑は弱々しく笑った。

「私、また……やっちゃった……」

「また?」

「うん……これで、三回目……」

 紫苑は辛そうに目を閉じた。

「暴走……止められないの……自分の力を……」

「紫苑……」

「結衣……もう、私と一緒にいない方がいい……」

 紫苑の声が震えた。

「私、いつかあなたを傷つけるかもしれない……暴走して、あなたを……」

「そんなこと言わないで!」

 結衣は叫んだ。

「私、あなたと離れたくない! あなたがどんな力を持ってても、関係ない!」

「でも……」

「大丈夫。一緒に乗り越えよう。あなたの力を、コントロールする方法を見つけよう」

 結衣は紫苑の手を強く握った。

「私、あなたを支える。だから、諦めないで」

 紫苑の目から、涙が流れた。

「結衣……ありがとう……」

 二人は抱き合った。

 温もりが、少しずつ戻ってくる。

 紫苑が、生き返っていく。

 扉が開いた。

 白石医師が入ってきた。

「……奇跡ですね」

 白石医師は驚いたような顔をした。

「堕天者が、自力で暴走から戻ってくるなんて……前例がありません」

「じゃあ、紫苑はもう大丈夫なんですか?」

「今回は、ね。でも、また暴走する可能性はあります」

 白石医師は真剣な顔で言った。

「彼女の力を完全にコントロールするには――特別な訓練が必要です」

「訓練?」

「ええ。『堕天者管理局』という組織があります。そこで、彼女のような特殊な覚醒者を訓練しているんです」

「管理局……」

 結衣は不安になった。

 まるで、実験材料のように扱われるのではないか。

「安心してください。虐待するようなことはしません」

 白石医師は優しく笑った。

「むしろ、彼女を守るための組織です。そして、彼女が社会で生きていけるようにサポートするための」

「本当ですか?」

「ええ。私も、そこの出身ですから」

 白石医師はそう言って、自分の腕を見せた。

 腕には、黒い紋章が刻まれていた。

「私も、堕天者なんです」


 白石医師の説明によると――

 堕天者は、世界に数百人しかいない。

 極めて稀な存在。

 そして、その力は危険だ。

 だからこそ、管理局が設立された。

 堕天者を保護し、訓練し、社会に適応させるための組織。

「紫苑さんには、明日から訓練を受けてもらいます」

「私も、一緒に行けますか?」

 結衣は聞いた。

 白石医師は少し考えてから答えた。

「……通常は、家族以外の同伴は認められていません」

「じゃあ……」

「でも、あなたは特別です」

 白石医師は微笑んだ。

「あなたがいなければ、紫苑さんは戻ってこられなかった。あなたは、彼女にとって『錨(いかり)』なんです」

「錨?」

「ええ。暴走を止める存在。彼女を現実に繋ぎ止める、唯一の存在」

 結衣は紫苑を見た。

 紫苑は微笑んでいた。

「結衣が、私の錨……嬉しいな」

「紫苑……」

「じゃあ、正式に許可を出しましょう」

 白石医師は書類を取り出した。

「桐谷結衣さん。あなたを、紫苑さんの『パートナー』として登録します」

「パートナー……」

「はい。法的にも認められる関係です。彼女と共に訓練を受け、彼女を支える義務を負うことになります」

 結衣は躊躇なく答えた。

「お願いします」

 書類にサインをした。

 これで、正式に――

 結衣と紫苑は、パートナーになった。


 その日の夜。

 結衣は紫苑の病室に泊まることを許された。

 簡易ベッドが用意され、紫苑のすぐ隣に置かれた。

「結衣、無理してない?」

 紫苑が心配そうに聞いた。

「大丈夫。私も、もう傷は治ってきてるし」

 実際、回復術士の治療のおかげで、傷はほぼ塞がっていた。

 痛みもほとんどない。

 二人は並んで横になった。

 手を繋いで。

「ねえ、紫苑」

「ん?」

「堕天者って、どんな感じなの? 力を使う時」

 紫苑は少し考えてから答えた。

「……怖いよ」

「怖い?」

「うん。自分じゃなくなる感じ。心の奥底から、何かが溢れ出てくる。それは強大な力だけど――同時に、自分を飲み込もうとしてくる」

 紫苑の声が震えた。

「もし結衣がいなかったら……私、本当に自分を失ってたかもしれない」

 結衣は紫苑の手を強く握った。

「大丈夫。私がいる。ずっと側にいる」

「ありがとう……」

 紫苑は結衣の方を向いた。

 二人の顔が近い。

「結衣……キス、してもいい?」

「……うん」

 紫苑の唇が、結衣の唇に触れた。

 柔らかい。

 温かい。

 今度は、あの時と違う。

 ちゃんと温かい。

 生きている温もり。

 キスが深くなる。

 舌が絡み合う。

 結衣の体が熱くなってきた。

「紫苑……」

「結衣……好き……」

「私も……好き……」

 二人は抱き合った。

 体を重ねた。

「もっと、触って……」

 紫苑が囁いた。

「でも……」

「いいの。結衣に触れられたい……結衣を感じたい……」

 結衣は頷いた。

 手が、紫苑の体を撫でる。

 服の上から。

 でも、紫苑の体温が伝わってくる。

「んっ……」

 紫苑が小さく声を漏らした。

 結衣の手が、紫苑の胸に触れた。

 柔らかい。

「あ……」

 紫苑の頬が赤くなった。

「恥ずかしい……でも、嬉しい……」

「私も……紫苑に触れられて、嬉しい……」

 紫苑の手も、結衣の体を探る。

 お互いの体を確かめ合う。

 愛し合う。

「結衣……もっと……」

「紫苑……」

 二人は、夜を共に過ごした。

 ただ、触れ合うだけ。

 それだけで、十分だった。

 愛を確かめ合うには。


 翌朝。

 結衣と紫苑は、堕天者管理局の施設に向かった。

 東京郊外の、山の中にある巨大な施設だった。

「ここが……」

 まるで要塞のような建物。

 高い壁。監視塔。

 だが、中に入ると――

 意外と普通だった。

 学校のような雰囲気。

 廊下には若い覚醒者たちが歩いている。

「ようこそ、堕天者管理局へ」

 出迎えたのは、厳格そうな男性だった。

 五十代くらい。グレーの髪。鋭い目。

『鑑定』

『名前:北条一刀――レベル50――職業:剣聖』

 レベル50!

 結衣は驚いた。

 こんな高レベルの人がいるのか。

「私が、この施設の所長を務めている北条一刀だ」

「は、初めまして……」

「紫苑君、そして桐谷結衣君。君たちのことは聞いている」

 北条所長は二人を見た。

「特に、紫苑君。君は非常に稀有な存在だ」

「稀有……?」

「ああ。君の持つ『魔剣解放』の能力――それは、堕天者の中でも最上位の力だ」

 紫苑は驚いた顔をした。

「私の力が……そんなに?」

「ああ。だからこそ、訓練が必要なんだ。その力を、正しく使えるように」

 北条所長は歩き出した。

「ついてきたまえ。君たちの訓練場を案内しよう」


 訓練場は、地下にあった。

 巨大な空間。

 天井は高く、床は硬い石でできている。

「ここで、実戦訓練を行う」

 北条所長が説明した。

「まず、紫苑君。君の力を見せてもらおう」

「え、今ですか?」

「ああ。遠慮はいらない。全力で来たまえ」

 北条所長は剣を抜いた。

「私が相手をしよう」

 紫苑は躊躇した。

 だが――

 覚悟を決めた。

「わかりました」

 紫苑も剣を構えた。

「では――始め!」

 北条所長が動いた。

 速い!

 一瞬で紫苑の目の前に現れた。

 剣が振るわれる。

 紫苑は辛うじて受け止めた。

 キィィィン!

 金属音が響く。

 だが、北条所長の攻撃は止まらない。

 連続で斬撃が繰り出される。

 紫苑が押されていく。

「くっ……!」

「どうした? その程度か?」

 北条所長の声に、挑発が込められている。

 紫苑の目が――赤く光った。

「違う!」

 紫苑の体から、黒いオーラが溢れ出した。

「【魔剣解放(ダークブレイド)】!」

 紫苑の剣が、巨大化した。

 黒い刃。

 禍々しいオーラを纏った剣。

「いいぞ! それだ!」

 北条所長が笑った。

「その力を、コントロールしろ!」

 紫苑が振るった剣は――

 北条所長を捉えた。

 だが――

 北条所長は剣で受け止めた。

「まだまだ!」

 北条所長の剣が、紫苑の剣を弾いた。

 そして、カウンター。

 紫苑の体が吹き飛ばされた。

「紫苑!」

 結衣が叫んだ。

 だが、紫苑は立ち上がった。

「まだ……負けない……!」

 紫苑の目は、完全に赤く染まっていた。

 もう、自我がない。

 暴走している。

「紫苑、ダメ! 止めて!」

 結衣の声が届かない。

 紫苑は再び、北条所長に向かっていく。

「そこまで!」

 北条所長が叫んだ。

 そして――

 剣の柄で、紫苑の額を打った。

 ドスン。

 紫苑が倒れた。

 意識を失った。

「紫苑!」

 結衣は駆け寄った。

 紫苑を抱きかかえる。

「大丈夫、気絶しただけだ」

 北条所長が言った。

「だが、やはりな……彼女は、まだコントロールができていない」

「当たり前じゃないですか! いきなりこんな!」

 結衣は怒りをぶつけた。

「落ち着きたまえ」

 北条所長は冷静だった。

「これも訓練の一つだ。彼女の現状を把握する必要があった」

「でも……!」

「結衣君」

 北条所長は結衣を真っ直ぐ見た。

「君は、彼女を守りたいのだろう?」

「当然です!」

「ならば、甘やかすだけでは駄目だ。彼女には、厳しい訓練が必要なんだ」

 結衣は言葉に詰まった。

「……わかってます」

「ならば、信じたまえ。彼女を。そして、私たちを」

 北条所長は紫苑を見た。

「彼女は強い。必ず、乗り越えられる」

 結衣は紫苑を抱きしめた。

「紫苑……頑張ろうね……」

 小さく囁いた。

 紫苑は、まだ眠っていた。

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