第5話
翌朝、午前九時。
結衣はいつもの待ち合わせ場所――ファミレスに向かっていた。
昨夜はほとんど眠れなかった。
目の下にクマができている。
眼鏡を外して確認したが、やはり隠しきれない。
「はあ……」
重いため息が出た。
ファミレスに着くと、紫苑はすでに来ていた。
いつもの窓際の席。
だが――
紫苑の様子が、いつもと違った。
表情が硬い。
笑顔がない。
「おはよう、紫苑……」
「……おはよう」
紫苑の返事は、短かった。
結衣は向かいの席に座った。
沈黙。
重苦しい空気。
結衣は何か話さなければと思ったが、言葉が出てこなかった。
「昨日は、ごめん……」
ようやく絞り出した言葉。
紫苑は顔を上げた。
「何が?」
「急に帰っちゃって……」
「ああ……」
紫苑は視線を逸らした。
「いいのよ。気にしないで」
だが、その声には棘があった。
結衣は胸が痛んだ。
やっぱり、怒ってる。
「紫苑、本当にごめん。私……」
「結衣」
紫苑が遮った。
「今日、ダンジョンに行かない?」
「え?」
突然の提案に、結衣は戸惑った。
「二人だけで。上級ダンジョンに」
「上級……? でも、推奨レベルは……」
「私はレベル18。結衣は12。二人なら、何とかなるわ」
紫苑の目は真剣だった。
いや、真剣というより――
何か、追い詰められたような目だった。
「わ、わかった。行こう」
結衣は頷いた。
断れる雰囲気じゃなかった。
二人は朝食も取らずに、上級ダンジョンのゲートへと向かった。
上級ダンジョンのゲートは、これまで見たものとは比べものにならなかった。
縦十メートル、横五メートルの巨大な裂け目。
周囲には、重装備の覚醒者たちが集まっていた。
皆、レベル20以上はあるだろう。
『ダンジョンゲート――階層:上級――推奨レベル:25~40』
推奨レベル25。
結衣のレベルは12。
倍以上の差がある。
「紫苑、やっぱり無理じゃ……」
「大丈夫」
紫苑は結衣の手を握った。
「私が守る。絶対に」
その言葉には、強い意志が込められていた。
結衣は頷いた。
「うん……信じる」
二人はゲートへと飛び込んだ。
上級ダンジョンは、地獄だった。
まず、環境が違う。
これまでの石造りの迷宮ではなく――
溶岩が流れる、灼熱の洞窟だった。
「暑い……!」
結衣は汗が噴き出すのを感じた。
気温は40度を超えているだろう。
「魔力で体を冷やして。『魔力操作術』を使えば、できるはず」
紫苑が指示した。
結衣は魔力を体表に纏わせ、冷却する。
『MP消費:毎秒1』
魔力を常に消費し続けることになる。
長期戦は厳しい。
「敵が来る!」
紫苑が叫んだ。
前方から――巨大な影が現れた。
『ファイアドレイク――レベル30――HP:2000/2000』
ドレイク。小型のドラゴン。
全長五メートルはある。赤い鱗。鋭い爪。口からは炎が漏れている。
「レベル30……!」
結衣は震えた。
勝てるのか、こんな相手に。
だが、紫苑は怯まなかった。
「結衣、魔法で援護して!」
紫苑が走り出した。
ドレイクが炎を吐いた。
紫苑は横に転がって回避――剣を振るう!
「はあっ!」
剣がドレイクの脚を斬った。
『ファイアドレイク:HP 1900/2000』
だが、ダメージは浅い。
ドレイクが爪を振るった。
紫苑は剣で受け止めたが――吹き飛ばされた。
「紫苑!」
結衣は魔法を放った。
「アイスランス!」
氷の槍がドレイクに突き刺さる。
炎属性の敵には、氷が効果的だ。
『ファイアドレイク:HP 1700/2000』
200のダメージ!
ドレイクが結衣に向き直った。
まずい――狙いが変わった!
ドレイクが突進してくる!
「結衣、伏せて!」
紫苑の声。
結衣は反射的に地面に伏せた。
直後――紫苑の剣が、結衣の頭上を通過した。
光の刃が、ドレイクの首を斬り裂いた。
「【聖剣解放(セイントブレイド)】!」
紫苑の必殺技。
ドレイクの首が――落ちた。
『ファイアドレイク撃破――経験値+800』
「やった……!」
結衣は立ち上がった。
だが――
さらに奥から、複数の足音が聞こえた。
「まだいる……!」
今度は三体。
『ファイアドレイク×3』
「くそっ……!」
紫苑が舌打ちした。
「結衣、下がって!」
「でも!」
「いいから!」
紫苑の叫びに、結衣は後退した。
紫苑が一人で、三体のドレイクと戦う。
剣が閃く。
血が飛ぶ。
だが――
三体は多すぎた。
紫苑の動きが、徐々に鈍くなっていく。
『紫苑:HP 400/600』
ダメージが蓄積している。
「紫苑!」
結衣は魔法を放った。
「ファイアボルト! アイスランス! ファイアボルト!」
連続で魔法を撃つ。
『MP:50/210』
魔力が底をつきかけている。
だが、ドレイクたちは倒れない。
「くっ……もう、これしかない……!」
結衣は決意した。
全MPを一発に込める。
呪いの指輪の力を最大限に引き出す。
「集え、氷の精霊よ――我が敵を凍てつかせよ――【氷結の牢獄(フリーズプリズン)】!」
新しい魔法を――即興で創り出した。
巨大な氷の壁が、三体のドレイクを取り囲んだ。
そして――
氷の槍が、四方八方からドレイクたちに突き刺さった!
『ファイアドレイク×3撃破――経験値+2400』
『レベルアップ! レベル13→15』
「結衣……!」
紫苑が駆け寄ってきた。
「すごい魔法……初めて見た……」
「私も、初めて……」
結衣は膝をついた。
『MP:0/230――魔力枯渇』
全ての魔力を使い果たした。
体が動かない。
「結衣!」
紫苑が結衣を抱きかかえた。
「大丈夫? しっかりして!」
「だ、大丈夫……ちょっと休めば……」
だが、意識が遠のいていく。
暗闇が――結衣を飲み込んだ。
どれくらい経ったのだろうか。
結衣は目を覚ました。
天井が見える。
石造りの天井。
「……ここは?」
体を起こそうとしたが、力が入らない。
「動かないで」
紫苑の声がした。
横を向くと、紫苑が結衣のすぐ隣に座っていた。
「紫苑……」
「良かった。目を覚まして」
紫苑の目が潤んでいた。
泣いていたのか。
「ごめん……心配かけて……」
「謝らないで」
紫苑は結衣の手を握った。
「私が無茶させたから」
「ううん、私が勝手に……」
「結衣」
紫苑が結衣の名を呼んだ。
「私ね、昨日から……ずっと考えてたの」
「何を……?」
「結衣のこと」
結衣の心臓が跳ねた。
「結衣は、私のことをどう思ってる?」
紫苑の目が、真っ直ぐに結衣を見つめた。
結衣は答えに詰まった。
どう思っているか。
それは――
「私は……紫苑のことが……」
言葉が出てこない。
怖い。
この気持ちを言葉にするのが、怖い。
でも――
「好き……です」
絞り出すように、言った。
紫苑の目が、大きく見開かれた。
「本当に?」
「本当に……ずっと前から……多分、最初に会った時から……」
結衣は顔を真っ赤にして、俯いた。
「変だよね……女の子なのに、女の子を好きになるなんて……おかしいよね……」
「おかしくない」
紫苑が言った。
「全然、おかしくない」
紫苑は結衣の顔を両手で包んだ。
そして――
唇を重ねた。
「んっ……!」
キス。
柔らかい。
温かい。
結衣の頭が真っ白になった。
数秒後、紫苑が離れた。
「私も、結衣が好き」
紫苑は微笑んだ。
「ずっと前から。最初に会った時から」
「紫苑……」
「だから、おかしくない。私たちは、普通に恋をしてるだけ」
紫苑はもう一度、結衣にキスをした。
今度は、もっと深く。
もっと長く。
結衣は目を閉じて、その感触を味わった。
幸せだった。
こんなに幸せなことがあるんだ。
涙が溢れてきた。
「結衣、泣かないで」
「嬉し涙……幸せすぎて……」
「私も、幸せ」
二人は抱き合った。
温もりを分かち合った。
時間が止まればいいのに。
結衣はそう思った。
それから、二人はダンジョンの安全な場所で休息を取った。
紫苑が持っていた回復ポーションで、結衣のMPも回復した。
「もう大丈夫?」
「うん、平気」
結衣は立ち上がった。
体が軽い。
心も軽い。
紫苑と両想いだと知って、世界が変わったようだった。
「じゃあ、帰りましょうか」
「うん」
二人は手を繋いで、ダンジョンの出口へと向かった。
途中、何度かモンスターに遭遇したが――
二人の連携は完璧だった。
結衣の魔法と、紫苑の剣技。
二つの力が組み合わさることで、どんな敵も倒せた。
『レベルアップ! レベル15→17』
結衣のレベルもどんどん上がっていく。
そして――
ようやく、出口が見えた。
「やっと出られる……」
結衣はほっとした。
だが――
出口の前に、誰かが立っていた。
「……あれは」
紫苑が警戒した。
結衣も鑑定スキルを使った。
『名前:黒崎麗華――レベル35――職業:暗殺者』
レベル35!
そして、職業は暗殺者。
危険だ。
「おや、こんなところに子羊ちゃんたちが」
黒崎麗華と名乗った女性が、笑った。
長い黒髪。赤い瞳。黒い革のスーツ。手には双剣を持っている。
「あなた、誰?」
紫苑が警戒しながら問う。
「私? ただの狩人よ」
黒崎は笑みを深めた。
「覚醒者を狩る――狩人ね」
「PKか……!」
紫苑が剣を構えた。
「正解。そして、あなたたちは今日のターゲット」
黒崎の姿が――消えた。
「!?」
次の瞬間、黒崎は紫苑の背後にいた。
双剣が振るわれる――
キィン!
紫苑がギリギリで受け止めた。
だが、黒崎の攻撃は速い。
連続で斬撃が繰り出される。
紫苑が押されていく。
「くっ……!」
『紫苑:HP 500/600』
ダメージが入っている。
「紫苑!」
結衣は魔法を放った。
「ファイアボルト!」
だが――
黒崎は炎を避けることもなく――
炎の中を突っ切ってきた!
『黒崎麗華:HP 1980/2000』
ほとんどダメージが入っていない!
「魔法使いちゃんは、私には効かないのよ」
黒崎が結衣に向かって走ってくる!
「まずい!」
紫苑が割って入ろうとしたが――
間に合わない!
黒崎の剣が、結衣を――
斬った。
「っ!」
鋭い痛み。
『HP:50/150――出血状態』
胸から血が流れる。
「結衣!」
紫苑の叫び声。
結衣の意識が、また遠のいていく。
だめだ。
このままじゃ――
死ぬ。
紫苑も、私も。
「ふふ、いい悲鳴ね」
黒崎が笑った。
その瞬間――
紫苑の目が、変わった。
赤く、光った。
「……結衣に、触るな」
低い、怒りに満ちた声。
紫苑の体から、凄まじい魔力が溢れ出した。
「これは……」
黒崎が一歩、後退した。
紫苑の剣が――黒い光を纏った。
「【魔剣解放(ダークブレイド)】――」
聞いたことのないスキル名。
紫苑が振るった剣は――
黒崎を、一刀両断にした。
『黒崎麗華:HP 0/2000――死亡』
一撃で。
レベル35の暗殺者を。
「紫苑……?」
結衣は驚愕した。
紫苑の姿が――変わっていた。
髪が黒く染まり、目は赤く光り、体からは黒いオーラが漏れている。
「結衣……大丈夫……?」
紫苑が近づいてきた。
だが、その姿は――
まるで別人のようだった。
「紫苑……それ……」
「ごめん……隠してた……」
紫苑は苦しそうに笑った。
「私、普通の覚醒者じゃないの……」
「どういう……」
「私は――堕天の血を引く者……」
紫苑の体が、崩れ落ちた。
「紫苑!」
結衣は必死に紫苑を抱きかかえた。
二人とも、瀕死の状態。
「早く……出ないと……」
結衣は紫苑を支えながら、出口へと向かった。
一歩、また一歩。
意識が途切れそうになりながらも――
必死に歩いた。
そして、ようやく――
外に出た。
光が、二人を包んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます