第4話




 翌日、午後一時四十五分。

 結衣は紫苑の家の前に立っていた。

 目の前にあるのは、白い三階建ての洋館。

 広い庭。きれいに手入れされた芝生。

 まるで映画に出てくるような豪邸だった。

「す、すごい……」

 結衣は呆然とした。

 こんな家に住んでいるのか、紫苑は。

 インターホンを押すのも躊躇われる。

 でも――

 勇気を出して、ボタンを押した。

 ピンポーン。

 数秒後、画面に紫苑の顔が映った。

「結衣! 来てくれたのね。今開けるわ」

 ガチャ、と門が開いた。

 結衣は緊張しながら、敷地内に入った。

 玄関のドアが開き、紫苑が出てきた。

 今日の紫苑は――

 白いワンピースを着ていた。

 金色の髪を下ろしていて、風に揺れている。

 まるで天使のようだった。

「ようこそ、結衣」

「お、お邪魔します……」

 結衣は顔が赤くなるのを感じた。

 紫苑、可愛すぎる。

「どうぞ、入って」

 結衣は靴を脱ぎ、家の中に入った。

 広い玄関。大理石の床。シャンデリア。

「す、すごい家……」

「気にしないで。ただちょっと大きいだけよ」

 紫苑は笑った。

「こっち、私の部屋」

 紫苑に案内されて、二階に上がった。

 廊下を歩き、一番奥の部屋。

 ドアを開けると――

「わあ……」

 結衣は感嘆の声を漏らした。

 紫苑の部屋は、広々としていた。

 キングサイズのベッド。大きな窓。本棚には無数の本。

 壁には剣が飾られていた。おそらく、紫苑が使っていた剣道の竹刀や木刀だろう。

「座って。どこでもいいから」

 結衣はベッドの端に腰掛けた。

 紫苑も隣に座った。

 距離が近い。

 結衣の心臓が、またバクバク言い始めた。

「飲み物、何がいい? 紅茶? コーヒー?」

「こ、紅茶で……」

「わかった。ちょっと待ってて」

 紫苑は部屋を出ていった。

 結衣は一人、部屋の中を見回した。

 紫苑の私物。

 紫苑が普段使っているもの。

 全てが、新鮮に感じられた。

 本棚に近づき、背表紙を眺める。

 ファンタジー小説が多い。

『ロードス島戦記』『十二国記』『精霊の守り人』……

 結衣も読んだことがある本ばかりだ。

「結衣もファンタジー好き?」

 振り返ると、紫苑が戻ってきていた。

 手には、紅茶の入ったカップを二つ持っている。

「う、うん。好き」

「私も。小さい頃からずっと読んでたの」

 紫苑はカップを結衣に渡した。

「ありがとう」

 二人は紅茶を飲みながら、本の話をした。

 好きな作品。

 好きなキャラクター。

 話は尽きなかった。

 結衣は気づいた。

 紫苑と自分は、趣味が似ている。

 いや、もしかしたら――

 運命だったのかもしれない。

 出会うべくして出会った。

 そんな気がした。


 しばらく雑談をした後、紫苑が提案した。

「じゃあ、戦術の話をしましょうか」

「う、うん」

 紫苑はノートパソコンを取り出し、画面を開いた。

 そこには、ダンジョンのマップが表示されていた。

「これ、私が作ったマップ。今まで攻略したダンジョンの構造を記録してるの」

「すごい……細かい」

 本当に詳細だった。

 敵の配置。罠の位置。宝箱の場所。

 全てが記録されている。

「ダンジョンは、パターンがあるのよ。同じ階層のダンジョンは、構造が似てる」

「なるほど……」

「だから、事前に予習しておけば、効率的に攻略できる」

 紫苑は説明を続けた。

 結衣は真剣に聞いた。

 紫苑の知識は膨大だった。

 戦術、戦略、敵の弱点、魔法の効果的な使い方。

 全てを理解している。

「紫苑、すごいね……こんなに研究してるなんて」

「当然よ。戦うなら、勝たないと意味がない」

 紫苑の目は真剣だった。

「結衣の魔法も、もっと効率的に使えるはず」

「どうやって?」

「例えば、ファイアボルトとアイスランスを交互に使うの。敵によって、炎が効く敵と氷が効く敵がいる」

「あ、そっか……」

 言われてみれば当然だ。

 でも、結衣は今まで気にしていなかった。

「それと、魔力の配分も重要。全MPを一発に使うんじゃなくて、小出しにして複数回攻撃した方が効率的」

「わかった。次から気をつける」

「うん。結衣なら、すぐに上達するわ」

 紫苑は微笑んだ。

 結衣は嬉しかった。

 紫苑に期待されている。

 それが、何よりも嬉しかった。

「あと、これ」

 紫苑が取り出したのは――

 黒い本だった。

『スキルブック:魔力操作術』

「これ……スキルブック!?」

「昨日のダンジョンでドロップしたの。結衣にあげる」

「え、でも……」

「いいの。私は剣士だから、魔法のスキルは要らない」

「でも、売れば高く売れるんじゃ……」

「お金より、結衣が強くなることの方が大事」

 紫苑は本を結衣の手に押し付けた。

「受け取って」

「……ありがとう」

 結衣はスキルブックを使った。

『新スキル習得:魔力操作術 Lv.1――魔法の詠唱速度+10%、消費MP-10%』

 素晴らしいスキルだ。

 魔法使いには必須のスキル。

「紫苑、本当にありがとう……」

「どういたしまして」

 紫苑は優しく微笑んだ。

 結衣の胸が、温かくなった。

 この人は、本当に優しい。

 強くて、美しくて、優しい。

 完璧すぎる。

「ねえ、結衣」

「ん?」

「私たち、ずっと一緒にいようね」

 紫苑が手を伸ばしてきた。

 結衣は――その手を握った。

「うん。ずっと一緒」

 二人の手が、重なった。

 温かかった。

 結衣は、この瞬間が永遠に続けばいいと思った。


 それから、二人はベッドに寝転がって、他愛のない話をした。

 学校のこと。

 家族のこと。

 将来のこと。

「結衣は、将来どうしたい?」

 紫苑が聞いた。

「どうしたいって……」

 結衣は考えた。

 以前は、大学に行って、普通に就職して、普通の人生を送るつもりだった。

 でも、今は違う。

 世界が変わった。

 ダンジョンが出現し、覚醒者という存在が生まれた。

「わからない……でも、紫苑と一緒にいたい」

 結衣は正直に答えた。

 紫苑は少し驚いたような顔をした。

 そして――微笑んだ。

「私も、結衣と一緒にいたい」

「本当?」

「本当」

 紫苑は結衣の手を握った。

「結衣は、私にとって特別なの」

「特別……?」

「うん。今まで、こんな風に誰かと話すことなんてなかった」

 紫苑は少し寂しそうに笑った。

「私、友達がいなかったの。強すぎるって、敬遠されて」

「強すぎる……」

「剣道でも、勉強でも、スポーツでも。何をやっても一番だった」

 紫苑は天井を見上げた。

「だから、孤独だった。誰も私に近づいてこなかった」

 結衣は胸が痛んだ。

 紫苑も、孤独だったんだ。

 結衣と同じ。

「でも、結衣は違った」

 紫苑は結衣を見た。

「結衣は、私を見て怖がらなかった。普通に接してくれた」

「それは……紫苑が優しかったから」

「ありがとう」

 紫苑は微笑んだ。

 そして――

 紫苑が結衣に近づいた。

 顔が近い。

 とても近い。

 結衣の心臓が、爆発しそうだった。

「結衣……」

 紫苑の唇が、結衣の唇に――

 触れそうになった瞬間。

 ピンポーン。

 インターホンの音が響いた。

 二人は慌てて離れた。

「な、何!?」

 紫苑が立ち上がった。

「ちょっと待ってて」

 紫苑は部屋を出ていった。

 結衣は一人、ベッドに残された。

「今の……キス、しようとしてた……?」

 顔が真っ赤になった。

 心臓が止まりそうだった。

 どうしよう。

 どうしよう。

 結衣はパニックになった。


 数分後、紫苑が戻ってきた。

「ごめん、宅配便だった」

「そ、そう……」

 結衣はまだ動揺していた。

 紫苑も、少し顔が赤い。

「あの、さっきは……」

 紫苑が言いかけた。

「う、ううん! 何でもない! 気にしないで!」

 結衣は慌てて否定した。

 紫苑は困ったような顔をした。

「そう……」

 気まずい沈黙が流れた。

 結衣は何か話さないと、と思った。

「あ、あの! 時間、もう四時だ! そろそろ帰らないと!」

「え? もう?」

「う、うん! 夕飯の準備しないといけないし!」

 嘘だった。

 結衣は一人暮らしで、夕飯も適当だ。

 でも、このまま居たら――

 何が起こるかわからない。

 結衣は立ち上がった。

「ありがとう、紫苑。楽しかった」

「あ、うん……また来てね」

「うん!」

 結衣は逃げるように部屋を出た。

 階段を駆け下り、玄関で靴を履いた。

「結衣!」

 紫苑が追いかけてきた。

「ま、また明日!」

「明日……ダンジョン、行く?」

「行く! じゃあ!」

 結衣は門を出て、走り出した。

 振り返ると、紫苑が玄関に立って、こちらを見ていた。

 その表情は――

 寂しそうだった。

 結衣は胸が痛んだ。

 でも、走るのを止められなかった。

 怖かったから。

 自分の気持ちが、怖かったから。


 その夜。

 結衣は部屋で一人、悶々としていた。

「あああああっ!」

 枕に顔を埋めて叫んだ。

 何やってるんだろう、私。

 あんな風に逃げ出すなんて。

 紫苑、傷ついたかもしれない。

「でも、でも……」

 キスしようとしてた。

 間違いない。

 あれは、キスだった。

 ということは――

 紫苑も、私のことを……?

「わからない……」

 結衣は混乱していた。

 スマートフォンを見る。

 紫苑からメッセージが来ていた。

『今日はありがとう。楽しかった』

 それだけ。

 いつもよりそっけない。

 結衣は返信しようとしたが――

 何を書けばいいかわからなかった。

 結局、シンプルに返した。

『こちらこそ。また明日』

 送信。

 すぐに既読がついたが、返事は来なかった。

 結衣はため息をついた。

「やっぱり、怒ってるのかな……」

 どうしよう。

 明日、どんな顔して会えばいいんだろう。

 結衣は一晩中、そのことを考えていた。

 眠れなかった。

 朝になっても、答えは出なかった。

 でも――

 明日は来る。

 紫苑と、会わなければならない。

 結衣は覚悟を決めた。

 ちゃんと謝ろう。

 そして、ちゃんと話そう。

 自分の気持ちを。

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