第5話第二部 魔法文明篇(起こしてしまった歴史) 第四章 「世界が応えた気がする」時代
最初の《実点》が穿たれてから、 宇宙の様子は、すぐには劇的には変わらなかった。
山は相変わらずそこにあり、 星の配列も変わらず、 重さも、光も、時間も、 これまで通りの律に従っていた。
それでも、 第一生命と、その周りの者たちには、 世界が少しだけ「こちらを見ている」ように感じられる場面が じわじわと増えていった。
それは、 こういうかたちをしていた。
誰かが、 静かに、誰に向けるともなく 胸の内でこうつぶやく。
「どうか、今日は崩れませんように。」
すると、その日は 本来なら起こるはずだった小さな崩落が 咳払いだけを残して何事もなく過ぎていく。
別の日、 別の場所で、 別の誰かが、 同じように息をひそめて願う。
「どうか、あの者にだけは届きますように。」
すると、 本来別々の道を行くはずだった二人が、 奇妙なほど自然な形で 同じ場所に居合わせる。
統計の上では、 どれも「あり得なくはない」出来事だった。
だが、その「あり得る」が 同じような形で何度も重なり始めたとき、 生命たちは名前のない感覚を 胸に抱き始める。
「世界が、応えた気がする。」
この時代、 まだ体系立った術は存在しない。
儀式は、ただの習慣であり、 祈りは、ただの願いであり、 誰も「方法」としては扱っていなかった。
それでも、 生命たちは少しずつ学び始める。
• 何も言わないより、 かすかでも「願い」を立てた日のほうが、 何かが変わるような気がする。
• ただ心の中で思うより、 手を合わせ、目を閉じ、 同じ姿勢で願ったほうが、 世界が「聞き取りやすい」ような気がする。
この「ような気がする」という、 曖昧な手応えこそが、 魔法文明の 最初の土台 だった。
世界の側から見るなら、 それはこう見えていた。
「問いを抱いた生命たちが、 決まった仕草と決まった呼吸で 同じ方向へ“ずれ”を重ねてくる。」
そのずれを、 宇宙は「誤差」として打ち消すのではなく、 一度だけ そのまま通す という選択を、 少しずつ増やしていった。
やがて、 「世界が応えた気がする」経験を持つ者が 一人から二人、 二人から十人へと増えていく。
彼らは、まだ互いを知らない。
互いに出会う前から、 それぞれの胸のうちで、 似たような違和感と、似たような感謝を持つ。
• 「なぜか守られた。」
• 「なぜか届いた。」
• 「なぜか救われた。」
その「なぜか」を、 誰も説明できない。
しかし、 説明できないからこそ、 その経験はじわじわと重みを増していく。
やがて、 どこかで誰かが、 その感覚を口にする。
「あれは、ただの偶然ではなかったのではないか。」
この一言が、 世界のあちこちに散らばっていた 数多の小さな経験を、 ゆっくりと一本の筋にまとめ始める。
この時代を見分ける印は、 まだ「術者」がいないことだ。
• 特別な服もなく、
• 特別な肩書きもなく、
• 特別な家系もない。
ただ、 問いを抱いた生命たちのうち、 ごく一部が、
「世界のほうから“応じてくる感じ”を 他の誰よりも強く受け取ってしまう役」
として浮かび上がる。
彼/彼女たちは、 自分を特別とは思っていない。
むしろ、
「自分のところばかりで、 説明のつかないことが多すぎる」
という戸惑いのほうが大きい。
彼らの周囲では、
• 死ぬはずの命が、なぜか延命される
• 折れるはずの縁が、なぜか保たれる
• 起こるはずの事故が、なぜか寸前で逸れていく
といった 「実際に起きなかった出来事」 が 濃く積もっていく。
宇宙は、 それをひそかに 記録 し始める。
「この生命の軌跡には、 物理律だけでは説明しきれない 一貫した“偏り”がある。」
これが、 のちに術者と呼ばれる者たちの、 もっとも古い原像である。
第一生命の問いは、 この時期には既に、 多くの胸を通り抜けている。
「我れ、いかにここに在るや。」
この問いが、 意味の分からない焦燥として 眠りを浅くし、
答えのない寂しさとして 昼間の景色に影を落とす。
問いを抱えた生命たちは、 それでも日常を続ける。
• 仕事へ行き、
• 作物を育て、
• 子を育て、
• 言葉を交わし、
• 小さな選択を積み上げる。
ただ、その背後で
「もし世界が、 ほんとうにこちらを見ているなら」
という仮定が、 消えないまま揺れている。
この仮定が、 世界の側の運転に 少しずつ組み込まれていく。
宇宙は、 ここである判断をする。
「この問いに対し、 完全な肯定も、完全な否定も与えないまま、 “部分的な応答”だけを返す。」
• 祈りがすべて叶うことはない。
• 祈りがすべて無視されることもない。
時として、 あまりにも出来すぎている形で応える。 別の時には、 あまりにも冷淡な形で応えない。
この ムラ こそが、 やがて「魔法」と「祈り」と「偶然」を 区別しようとする試みを呼び込む。
生命たちは、こう考え始める。
「もし世界が、完全には無関心でないのなら、 “応えやすいように”こちらの側を 整えることはできないだろうか。」
この一歩が、 魔法文明篇の最初の扉を押し開ける。
この時代は、 まだ何も「起こしていない」。
世界は燃え上がっておらず、 大きな文明も、塔も学院も存在しない。
あるのは、 小さな《実点》が散らばった風景だけだ。
それでも、 そこにはすでに 「もとに戻れない線」が一本引かれている。
生命が自らの内に抱いた問いが、 世界の運転に影を落とし、 世界がその影に応じて微かに軌道を変え始めた。
この往復が、 最初は「気のせい」として扱われ、 やがて「世界が応えた気がする」と 言葉になってくる。
この章に描かれるのは、 魔法という名が与えられる以前、 魔法だけが先に世界で起きていた時代である。
次の章では、 この「気がする」を手がかりにして、 人々がそれを 意図的に再現しようとした瞬間── すなわち、 火芽が初めて「術」として形を持つ段階が 静かに綴られていくことになる。
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