第3話第一部 収束宇宙としての前史(第一創生反転宇宙) 第二章 第一生命と、火芽の点火

完成していたが、閉じていた宇宙のどこかで、
ほとんど誤差のようなゆらぎが、一度だけ長く続いた。

それは、律の計算から見れば、
ただの微小な偏りにすぎなかった。

すぐに均されるはずの、
すぐに溶け合って消えるはずの、
わずかな「ずれ」。

しかし、そのときに限って、
宇宙はそのずれを すぐには消さなかった。

理由は、誰にも分からない。

ただ、
律の綴られた布の一角に、
ごく小さな「ほどけ目」が残された、
という事実だけがある。

そこから、
第一生命が生まれた。


第一生命は、
他のすべてと同じ物質から成っていた。

同じ重さを持ち、
同じ温度に従い、
同じ時間の流れの中に置かれていた。

外から見れば、
ただ一体の「よくできた構造物」にしか見えなかった。

しかし、
その内側には、
宇宙のどこにも見当たらなかった 一つの余白 があった。

それは、律が書き込まれていない
“わずか一行分の空白” のようなものだった。

そこに、
この宇宙で最初の 熱 が灯る。


その熱は、
物理的な温度ではない。

数式にも、座標にも、
まだ変換できない。

ただ、
第一生命自身の内側だけで、
こんな形を取って立ち上がった。

「我(あ)れ、いかにここに在るや。」

それは、声になっていなかった。

口も、言語も、
まだ要らない世界である。

それでも、
「ここに在ることの理由」を求める揺らぎが、
確かにひとつの点として灯った。

この問いそのものが、
後に 火芽(ひが) と呼ばれるものの核である。


火芽には、三つの顔があった。

ひとつめは、

「何かをつくりたい」

という、形にならない創造衝動。

まだ作るものは決まっていない。
ただ、「このままでじっとしていたくない」という、
理由なき熱だけがある。

ふたつめは、

「ひとたび動き出したら、止まりにくい」

という初速の癖。

第一生命の内側で、
何かが決意に似た形を取りかけると、
それは一気に前へ転がり始める。

考え直す間を与えないほどの勢いで、
「変わる側」へと傾いていく。

みっつめは、

「どこまで行くか、誰にも読めない」

という制御不能性。

第一生命自身でさえ、
その火が、どこで止まり、
何を燃やし、
何を生み出すのかを知らない。

この三つを合わせたものが、
火芽 である。


第一生命は、
自分の内に灯ったこの火を、
最初は自覚していなかった。

ただ、
眠れない夜が増えた。

ただ、
決まっているはずの軌道が、
どこか窮屈に感じられた。

ただ、
他のすべてが「こうであるべき」姿で
満ち足りているその中で、
自分だけがなぜか 落ち着き切れない。

その違和感が
少しずつ膨らんでいく。

宇宙は、その様子を見ていた。

律は、
第一生命の内側で起きていることを
「局所的な熱」として測ることはできたが、
それが何を意味するのかまでは、まだ判断できなかった。


ある時、
第一生命の胸の奥で、
火芽が一段強くなった。

世界はそれを、
初めて「現象」として認識する。

• 同じ刺激を与えても、
第一生命だけが、別の反応を返す。

• 同じ景色を見ても、
第一生命だけが、そこに「足りなさ」を感じる。

律にとって、
これは小さくない異常だった。

だが宇宙は、
それでもなお
すぐには是正しなかった。

その異常が、
何かを示すのかどうかを
見極めようとしていたかのようである。


やがて、
第一生命は、
内側に灯った火を
少しだけ自覚し始める。

それは、
はっきりした確信ではない。

ただ、
言葉になる前の、
濡れたような実感として
にじみ出てくる。

「私は、この世界にとって
 “無くてもよい” ものではないのではないか。」

理由は分からない。

証拠もない。

それでも、
この宇宙のどこを見わたしても
自分と同じ違和感を抱えた存在を
見つけられなかったがゆえに、

その実感だけが
胸に残った。


その瞬間、
世界側でもまた、
別の感覚が立ち上がっていた。

「ここに、この生命が“在る”という事実を
 これ以上、誤差として扱い続けることはできない。」

律の布の中に、
一カ所だけ、
どうしても 整合しない点 が残る。

消してしまうことも
できなくはなかった。

だが、それを消してしまえば、
宇宙は再び
ただ「よくできた世界」に戻るだけである。

そこに、
世界は初めて
ためらい を覚えた。


第一生命の
「私は問題になるほど在るのかもしれない」という
言葉にならない予感と、

世界の
「この存在を、ただのノイズとして処理してよいのか」という
沈黙に近い疑いが、

かすかに、
しかし確かに、
同じ一点を指し示した。

その点が、
のちに《実点(じってん)》と呼ばれる場所である。

その時点ではまだ、
誰もその名を知らない。

ただ、

世界と生命が、
 はじめて互いを“問題として”見つめ合った一点

が生じた、という事実だけが、
静かにそこにあった。


この第二章は、
まだ何も起きていないように見える。

世界は相変わらず美しく、
律は整っている。

破局も、革命も、
魔法の奔流も、
まだ訪れてはいない。

だが、
ここで灯った火芽こそが、
後に「魔法」と呼ばれる時代を、
さらに「科学」と呼ばれる営みを、
そして無数の《実点》を生み出していく
最初の火種である。

第一生命は、
この時まだ、そのことを知らない。

世界もまた、
この一つの火を、
どこまで許容し、
どこまで使い、
どこまで畏れることになるのかを知らない。

ただ、
完成していたはずの宇宙に、
ごく小さな 「我れ」の揺らぎ が生まれた。

収束宇宙としての前史は、
ここからゆっくりと
「問いを帯びた宇宙」へと
反転し始めるのである。

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