第七章 高みより、なお堕ちる
高所に、二人は立っていた。
崩れかけた石段の縁。
その下では、兵の死体と徳次郎の亡骸が折り重なり、
その間を無数の屍者が歩き回っている。
隔離場は、もう音しか残していなかった。
骨が踏まれる音。
壁に身体がぶつかる音。
意味のない呻き。
伊是名朝胤は縁に立ち、下を見下ろしていた。
「見ろ」
静かな声だった。
「これが、縛らぬ末だ」
舜賢は数歩後ろに立つ。
トンファーを握り、構えは低い。
「薩摩は理解していた」
「武は管理せねばならぬ」
「放てば、必ず国を壊す」
伊是名は振り返る。
「私はその理を選んだ」
「この島を生き残らせるためにな」
舜賢は答えない。
伊是名の目が細くなる。
「だから切る」
瞬間、伊是名が踏み込んだ。
袖から走るスルチン。
重みが唸り、舜賢の足元を刈る。
舜賢は半歩退き、トンファーで縄を叩く。
絡ませない。
だが――
続けざまに二丁鎌が振るわれる。
刃が閃き、舜賢の胸元を掠めた。
衣が裂け、布が宙を舞う。
次の一閃。
肩。
避けきれず、血がにじむ。
伊是名の動きは速い。
無駄がない。
距離を詰め、逃げ場を消す。
「管理された武だ」
鎌が交差し、刃が迫る。
舜賢は下がらない。
トンファーで柄を打ち、刃の線をずらす。
そのまま突く。
短い木が、伊是名の鳩尾に突き込まれる。
鈍い音。
伊是名の息が詰まる。
だが、退かない。
鎌が振り下ろされる。
舜賢は横へ跳び、石段を転がる。
伊是名が追う。
「逃げるか!」
「……守っている」
舜賢の声は低い。
立ち上がりざま、トンファーで伊是名の手首を打つ。
鎌が弾かれる。
さらに一歩踏み込み、
腹へ打ち。
肋へ突き。
伊是名の身体が揺れる。
その瞬間だった。
伊是名が距離を詰める。
拳を握ったまま。
舜賢が違和感を覚えた時には、遅かった。
伊是名の拳が、跳ね上がる。
――硬い。
握り込まれていたのは、短い鉄柱。
隠し持っていた暗器。
それが、舜賢の右眼へ叩き込まれた。
視界が、砕ける。
白。
次いで、闇。
舜賢は声を上げなかった。
倒れなかった。
膝をつきながら、左眼で伊是名を捉える。
「……甘いな」
伊是名の声が、遠くで聞こえる。
舜賢は、答えない。
次の瞬間、舜賢は前に出た。
トンファーが、唸る。
突き。
伊是名の喉元。
伊是名が仰け反る。
続けざまに打ち。
鎖骨。
肩。
最後に、渾身の一撃。
トンファーが伊是名の膝を砕く。
音がした。
骨が、終わる音だった。
伊是名が崩れ落ちる。
立とうとするが、脚が動かない。
武を握る腕も、震えるだけだ。
再起不能だった。
舜賢は、荒い息を吐く。
右眼から血が流れ、視界は半分失われている。
伊是名が、舜賢を見上げた。
「……終わらせろ」
舜賢は動かない。
沈黙。
低所に、屍者がいた。
瓦礫の間を歩く一体と、目が合う。
崩れた顔。
だが、その立ち姿が――かつての師、越中義典に似ていた。
一瞬、息が止まる。
違う。
分かっている。
屍者は押され、闇に消えた。
残ったのは、言葉だけだ。
師の言葉が、胸にある。
――殺すな。
舜賢は、目を伏せなかった。
伊是名は、かすかに笑った。
「それが……自由な武か」
ゆっくりと、縁へ這っていく。
下では、屍者が蠢いている。
舜賢が手を伸ばす。
伊是名の手首を掴む。
血で滑る。
それでも、掴む。
「……まだだ」
低く、絞るような声。
「同じ島の民だ。
ここで終わらせるな」
伊是名は一瞬、目を見開いた。
その奥に、わずかな揺れが走る。
だが、すぐに首を振った。
「要らん」
かすれた声だった。
「救われる資格など、
とうに捨てた」
残った力で、舜賢の手を振り払う。
「お前は前へ行け」
「島を、生かせ」
伊是名の身体が、落ちる。
低所へ。
屍者の群れへ。
舜賢の手だけが、宙に残った。
舜賢は、縁に立ったまま動かない。
右眼は、もう戻らない。
だが、立っている。
トンファーを腰に戻す。
守るために。
生き残るために。
武を使う。
それが、この島で選んだ答えだった。
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