第六章 夜が裂ける刻
一週間後の夜。
隔離場の広場には松明が立ち並び、赤い光が地面を舐めていた。
民は列に並ばされ、声を奪われたまま処刑台を見上げている。
台の上に徳次郎が立っていた。
縄が首に掛けられ、腕は後ろで縛られている。
顔色は落ちていたが、目は澄んでいた。
舜賢は群衆の端にいた。
徳次郎と目が合う。
言葉はない。
ただ、徳次郎の視線が一瞬、舜賢を押す。
――行け。
高所に、
武具は帯びていない。
穏やかな顔で、広場全体を見下ろしている。
「秩序を乱す者は、こうなる」
静かな声だった。
その声が、縄を引く合図になる。
縄が締められ、徳次郎の身体が跳ねた。
その瞬間、広場の端で影が弾けた。
鍬を握った民が、兵の列へ突っ込んだ。
真鶴の左腕にティンベー(盾)。
右手にローチン(短槍)。
盾が火を弾き、短刀の柄が低く走る。
「行け!」
それは攻撃の号令ではない。
逃げろ、という叫びだった。
兵が棒を構える。
槍は捨てられ、近間の制圧に切り替わる。
最初に動いたのは真鶴だった。
棒の突き。
半歩踏み込み、ティンベーで受ける。
衝撃を殺し、距離を潰す。
ローチンの矛先が、兵の喉を突く。
息が詰まり、膝が折れる。
別の兵が横から打ち込む。
盾を傾けて流し、肘で押す。
ローチンが短く弧を描き、手首を打つ。
棒が落ちた。
真鶴は追わない。
盾を広げ、民を押し出す。
「走れ!」
その横で、民が動く。
鍬が振り下ろされる。
狙いは頭ではない。肩だ。
棒が受けるが、衝撃で兵の腕が跳ねる。
農具の重みが、奥まで届く。
兵が腹を狙って突く。
民は一歩引き、鍬の柄で弾く。
別の兵が背後から打ち込む。
だが、その前に真鶴が割り込んだ。
盾で受け、柄で膝を叩く。
兵が崩れる。
倒れた兵は追われない。
時間を奪うだけでいい。
広場の別の場所で、覚心が動いていた。
柵の破片を棒として振るう。
「ほら来た。
折れるのは柵だけじゃねえぞ」
柄が槍を叩き折る。
続けて、足元を払う。
軽口は戻っている。
だが、目は冷たい。
金蔵が前へ出た。
袖口から鉄甲を噛ませ、拳を突き出す。
鈍い音。
兵が後ろへ弾かれる。
金蔵は追わない。
倒れた民を引き起こし、背中を押す。
「行け」
短い声だった。
舜賢は、素手だった。
兵が棒を振り下ろす。
舜賢は半歩踏み込み、両腕で受けた。
衝撃が骨に響く。
そのまま、頭上で回す。
勢いを円に変える。
手首を後頭部へ払う。
兵の体勢が後方へ崩れる。
舜賢は兵から棒を剥ぎ取った。
次の瞬間、胸へ突き返す。
兵が倒れる。
舜賢は奪った棒を握ったまま前へ出る。
受ける。
払う。
突く。
勝たない。
間を作る。
民が、その間を走り抜ける。
そのとき、風向きが変わった。
湿った臭気。
足音が増える。
柵の向こうで、何かが崩れる音。
次の瞬間、屍者がなだれ込んだ。
数が違った。
管理のために開けられた導線から、波のように押し寄せる。
兵の列が裂ける。
整えられた動きは、波に喰われる。
松明が倒れ、火が広がる。
柵が軋み、折れ、隔離場は半壊した。
「門を閉じろ!」
命令が飛ぶ。
だが、門の外には民がいる。
迷いの隙を、波が突いた。
広場の中央で、徳次郎の身体が揺れていた。
縄に吊られたまま、煙の中で揺れる。
舜賢の足が一瞬止まる。
助けられなかった。
だが、この死が道を作った。
舜賢は棒を捨てた。
腰に残していた一本を抜く。
トンファー。
この場で、それを持つのは舜賢だけだった。
舜賢は前へ出る。
高所に立つ伊是名の前に立つ位置へ。
トンファーを握り、構える。
伊是名の表情が、初めて歪んだ。
怒りだった。
だが叫ばない。
叫びは、もう届かない。
舜賢は何も言わない。
民の背中を守る位置に立つ。
火が夜を赤く染め、隔離場は崩れていく。
守るための場所は、逃げるための場所に変わった。
夜明け前。
舜賢は振り返らない。
生き残るために。
守るために。
武を使う。
それだけを、選び取って。
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