第五章 柵の影を歩く者たち
見せしめは、一週間後の夜と決まった。
伊是名の声は穏やかだった。
穏やかな声で、人を殺す日を定めた。
その日から、隔離場の空気は変わった。
民は怯え、兵は落ち着いた。
怯えは内側で膨らみ、落ち着きは外側を固める。
徳次郎の姿は、もう見えない。
舜賢は作業の合間に探した。
作業場の奥、柵の際、見張りの影の向こう。
どこにもいない。
――会わせない。
その意思だけが、場に残っていた。
夜になると、番号だけが響く。
「二十七、前へ」
「十四、遅れるな」
名は呼ばれない。
呼ばれないことに、人は慣れていく。
慣れた先に、諦めがある。
舜賢は歯を噛みしめた。
徳次郎を救う術を探しながら、同時に知っている。
――動けば、門は閉じる。
正しい理屈が、冷たく胸に刺さった。
三日目の夜だった。
舜賢は、柵の影に違う匂いを嗅いだ。
土でも汗でもない。外の匂いだ。
影が揺れ、人が現れる。
女だった。
「声を出すな」
短い声。低い息。
民の歩き方ではない。
重心が低く、音が薄い。
「一週間後だな」
「……夜だ」
女は頷いた。
「処刑が合図になる」
「勝たない。奪わない。逃がす」
それだけだった。
「外に仲間がいる」
「鍬を持った島の民だ」
「名は要らない」
一拍置いて、女は言った。
「私たちは、アガイヌタミ(反乱者)」
怒りではない。
飢えに近い光が、その目にあった。
「……助けられるか」
徳次郎の名は出さなかった。
女は首を横に振る。
「止めれば、門は閉じる」
「閉じれば、外も内も終わる」
正しい。
だから、残酷だった。
女は闇へ溶けた。
翌日から、舜賢の目は柵を見るようになった。
木の割れ、縄の結び、門の蝶番。
守るためのものが、壊すためのものに見え始める。
その夜。
作業場の奥で、声がした。
「……おい、新顔」
湧田覚心だった。
痩せた身体、静かな目。
熱を捨てたあとの、刃のような目。
その横に、金蔵が立っている。
厚い肩、太い腕。
何も持っていないようで、違う。
「徳次郎の件で、顔が死んでる」
覚心は、足元の柵の破片を拾う。
「持ち込めねえなら、作る」
「奪われたなら、残りでやる」
「……棒か」
「柵は丈夫だ」
「折れたところは、もっと丈夫になる」
覚心は石臼の取っ手を示す。
「トンファーになる」
「手首じゃねえ。肘で回せ」
動きは静かだった。
派手さはない。
生き残るために、削ぎ落とされた線だけが残る。
舜賢は黙って写した。
武は名ではない。
身体の使い方だった。
そのとき、金蔵が周囲を見回した。
「……俺は、もう持ってる」
袖から現れたのは、鉄甲。
馬の蹄鉄を削ったものだ。
「隔離された日からだ」
「拳だけは、奪わせなかった」
「当日は、これで道を作る」
「逃げるためのな」
「十分だ」
その後、嗚咽が聞こえた。
柵の内側。
土嚢の陰で、幼い男の子が泣いていた。
「……俺のせいだ」
徳次郎の刑に、責任を感じていた。
「名前は」
「……
母は島で化けた。
父は手の達人で、明へ行ったまま戻らない。
舜賢は、ただ言った。
「助けたかっただけだ」
「それは、罪じゃない」
「生きろ」
その夜、縄を編む音が聞こえ始めた。
一週間後の夜。
秩序は血を流す。
舜賢は木片を握る。
掌に刺さる痛みが、確かだった。
――生き残るために、手を使う。
それだけを、胸に刻んだ。
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