第4話
薄暗い空間の中で、廃棄された資材の山をかき分けて奥へと進んでいく。足元で金属片が擦れる。割れたパネル、歪んだフレーム、用途の分からない部品の残骸。この層は、都市が不要だと判断したものすべてを無造作に押し込んでいるような場所だった。その中に僕の知らない形の機器が混じっている。ミナもそれに気づいたらしい。
「……これ、何だろうね?」
彼女の視線の先にあったのは、手のひらに収まるほどの薄い板状の機器だった。表面は割れていない。埃を払うと黒い光沢が現れる。
「このシェルターの端末じゃない」
片面には小さな液晶パネルと、反対側には眼鏡のレンズのようなものが中央にある。何かに導かれるようにそれを手に取り、電源ボタンのような突起を押す。一瞬の沈黙の後、レンズが筒状に伸びて液晶パネルが淡く光った。そこには雲があった。食堂のスクリーンで見る灰色の雲とは違う、真っ白な雲。画面いっぱいに広がる青色。これは、空の色なのか。深くて、明るくて、どこまでも続いているような青。その下に緑の大地と木々。遠くに見える山の稜線。言葉が出なかった。息の仕方を忘れた。
——これは、外の景色だ。
小説の中でしか知らなかった光景。文字の中で想像することしか出来なかった風景。ミナが隣で小さく息を呑んだ。
「……空、こんな色だったんだ」
小さく掠れた彼女の声を遠くに、僕は画面から目を離せなかった。何故外の世界を記録したものがこの場所にあるのかは分からない。ただ、これが本当で僕達が見ていたものが偽物だったとしたら。汚染されていない綺麗な世界が広がっているのだとしたら。
「ミナ、まだ引き返せる。この先に進んで本当にいいんだね?」
独り善がりにはなりたくない。これは最終確認だった。ミナは今更と言いたげに笑みを浮かべて、僕の手を握る。
「ずっと一緒だったでしょ。これからもそうだよ」
彼女の強さと優しさに、僕は何度も救われてきた。手の温もりを離さないよう力を込めながら、電子機器の電源を落としてポケットにしまう。ミナと目配せしながら、壁際に積まれたコンテナの影を伝いロボット達が流れ作業をしている所まで近付くと、機械の鈍い駆動音が足元から伝わってくる。廃棄物を圧縮したゴミをコンテナに詰めて、ベルトコンベアに乗せて送り出しているようだった。ここからなら地上に繋がっているかもしれない。
「ミナ、コンテナに入ろう」
小声でやり取りをしながら、ベルトコンベア付近にある回収されそうなコンテナを予測して、隙をついて中に入る。内部は思っていたよりも狭かった。人が入ることを想定していないのだから当然だ。音を立てないよう蓋を閉めると、視界も暗く身動きが取れない。圧縮されたゴミに混じって、刺激臭のような匂いが鼻を刺した。二人の呼吸音と機械の振動だけが伝わってくる。暫く待っていると、コンテナが持ち上げられたのか振動が伝わってきた。狙い通りベルトコンベアに乗せらたようで、傾斜になると落ちないように寝そべって息を殺した。バレている気配はない。異常が見つかれば警告音が流れるはずだ。ミナの手を握る手に力を込めると、大丈夫だと言うように握り返された。それから流されるまま、どれくらい時間が経ったのか分からない。緊張感に包まれて永遠にも思えるような時間を過ごしながら、外の世界を見れるかもしれないという期待感が少しずつ顔を出してくる。不意にコンテナが急に減速した。ベルトコンベアから伝わる振動が止まり、しばらくの沈黙が訪れる。不安に思っていた次の瞬間、何かが開く音がして体を強ばらせる。コンテナが開けられたのかと思ったが、違うようだ。隙間から冷たい空気が流れ込んでくる。コンテナがロボットに持ち上げられる感覚がありどこかに運ばれるとと、どんと言う鈍い音と共にすべてが止まった。暫く動けずにいると、周りから音が消えて静寂が訪れる。
「……外に、出れた?」
「……多分」
多分と言った僕もミナも、緊張で声が掠れていた。蓋をゆっくりと開けると、隙間から光が差し込んで眩しさに目を細める。コンテナの縁に手をかけてミナを引き上げると、その先に広がる光景に僕らは立ち尽くした。瓦礫が転がる古い建物と空との境界線に、オレンジ色に輝く丸い球体が沈んでいく。その反対側で青みがかった闇を纏う空が侵食し始め、その中に無数の光が静かに点灯していた。遠くには黄金色の丸い球体が浮かんでいる。天井のスクリーンで見る灰色の映像とは違う、美しくどこまでも果てのない空が広がっている。あれは確か夕陽、反対側にあるのは、月と星。
「……綺麗だ」
思わずそう呟いて、胸の奥がじわりと熱くなる。灰色の世界じゃない。空はあったんだ。存在していた。想像よりずっと綺麗で、眩しくて、幻想的だった。
ふと、今出てきたシェルターの出入り口からロボットの稼働音が微かに聞こえて我に返る。
「ミナ、行こう。ここに居たら見つかるかもしれない」
「うん」
急いでコンテナから抜け出し、廃墟の影に隠れながら早足で遠ざかる。建物は所々崩れ落ち、人の住んでいる気配は無かった。オレンジ色の空がやがて全て黒に溶けていくまで、僕達はあてもなく歩いた。風が先程より冷たく感じる。外の世界は温度管理機能も何も無い。肌に直接触れる空気に、自分がここにいることを実感する。湿り気を含んだ土の匂い、風で揺れる枯れ木の音、見たことのない建造物。全部が未知の体験で、不安よりも好奇心が湧いてくる。
想像していたよりもずっと広い空を見上げる。どこまで見渡しても、壁も、端もない。光はずっと遠くに離れているのに、僕達の心許ない足元を照らしてくれていた。
随分歩いた所で休憩しようと、建物の影に腰を下ろす。コツンと地面に何かが触れて、そう言えばとポケットから電子機器を取り出した。電源ボタンを入れると、先程の風景が出てくる。これは確か写真と呼ばれるものだ。小説で読んだ記憶を引っ張り出して、本体はカメラという名前だったことを思い出す。写真はその時見ている光景を形に残したもの。まだ電源がつき新しいことから、この写真を撮った誰かが存在しているのかもしれない。
「シェルターは何故本当のことを隠しているんだろう」
「何か不都合なことがあるからじゃない?」
僕の呟きに、隣でミナが写真を覗き込みながら首を傾げる。胸元のお守りに触れて、父がこれを遺した意味、僕にいつか必要になるかもしれないと言った意味を考える。
「外の世界には、きっと僕達以外にも生きてる人がいるはずだ」
「うん」
星を眺めながらぼうっとしていると、緊張感が解けた所為か暫くして眠気が襲ってくる。幼かった頃のように一枚のブランケットに二人で包まりながら、気付けば眠りについていた。
夢の中で、誰かの子守唄を聴いていた。青い空の下、まだ幼い赤ん坊が腕に抱かれながら散歩をしている。どこか懐かしい風景だった。
夢から醒めて、瞼の裏に感じる温かさと眩しさにゆっくり目を開ける。隣で僕の肩に頭を預けて眠るミナに気付いて、起こさないように視線だけを周りに向けた。夜の深い色が消えて、地平線の向こうから朝焼けが覗いていた。空が青白く澄み渡っていく。これが、朝。泣きたくなるような眩しさに目を細める。この先に何が待っているんだろう。その答えを知って僕はどうするんだろう。分からないけれど、知りたいと思った。この美しい世界の真相を。
(了)
かつて灰色だった世界で @harusame_rikka
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