第2話
食事が終わると住人たちはそれぞれの役割へ向かう。シェルター内でただ生存するだけではなく、機能し続ける必要があった。医療、農培養、機械整備、教育、警備、サービス、管理、統制など、役割は十八歳を迎える頃には適性に応じて振り分けられる。
僕は教育区画へ向かう。一クラス三百人ほど入る大きなホールには、壁一面が巨大なスクリーンになっていてそこに教材が投影される。授業の内容は医学、数学、培養、工学、生物学、システムなど、将来の仕事に関連する内容を主に学んでいく。支給されたタッチパネルに教師の説明や重点項目を入力していき、三ヶ月に一度あるテストに向けて復習する。テストの結果を元に未来の職業やシェルター内での位置付けも変わってくる為、皆真剣に取り組んでいた。統制や医療など、ランクの高い職ほどここでの自由度やサービスの良さが変わってくる為だった。僕はそういったものに興味は無かったが、記憶力は良いらしくテストはいつも満点に近かった。
*
学校が終わると、僕はよく図書区画に立ち寄った。そこには小説や絵本、教材や辞書などが置いてある。地上の世界を記録した本も置いてあるけれど、どれも文字として残っているだけで実際の写真や映像では見たことがなかった。僕は小説を開くたび、物語の世界に浸る。
知らない風景。見たこともない空。肌に触れる雨の描写。視界いっぱいに広がる海。そのどれもが空想の産物のようで、現実に存在していたんだろうかと不思議に思う。本当にそんな世界が存在するのなら、いつか見てみたいとも。ページを閉じた瞬間、背後からそっと声がした。
「また小説?」
振り返ると、ミナが立っていた。薄い水色の制服が、図書区の白い照明に反射して見える。
「うん。これ地上の物語らしいんだけど」
「ふーん」
ミナは小さく笑った。その笑い方に馬鹿にするような感じはなく、呆れていると言った方が正しかった。
「どうしてそんなに外の世界が気になるの?」
「だって……」
言いかけて、うまく言葉が見つからなかった。本当は懐かしい気がするなんて馬鹿げたことを言いそうになった。そんなはずはない。僕は外の世界なんて見たことがないのだから。
「……なんとなく、惹かれるんだよ」
ミナは一瞬だけ目を伏せた。それからそっと本の背表紙をなぞり、僕の方を見た。
「ルイはさ、地上のあの映像が本当に全部本物だと思ってる?」
心臓がざわついた。ミナの言葉は、あの灰色の空よりもずっと重く響いた。
「スクリーンが映してるんだから、本当なんじゃないの?」
「でも、ずっと同じだよね。空も、街も、人の気配も」
ミナの声は小さかったけど、逃れようのない真実味があった。僕もずっと感じていた違和感。気づかないふりをしていただけだ。
「……ミナは、どう思うの?」
彼女は僕の手から本抜き取りながら、ぽつりと言った。
「私は、この本みたいに綺麗な世界が、まだどこかにあるんじゃないかなって思ってる」
確信めいたその声音が、静寂の中で溶けずに残った。まるで僕の胸奥のひび割れを砕いてしまうガラスのように。何も答えられないでいると、ミナは本を胸に抱えたまま、周囲をそっと見回した。
「……ねぇ、ルイ。噂なんだけどさ」
噂。その言葉の続きは触れてはいけないような気配がしたが、僕は無意識に続けていた。
「噂って、何の?」
ミナは僕の耳元に顔を寄せると、声を潜めて打ち明ける。
「第十八層のこと」
最下層のその場所は廃棄区画として使われていて、ロボット達が回収したゴミを圧縮し、溜まったものは外に通じる通気口から排出される。普段は立ち入り禁止とされていて、入口にもセキュリティロックがかけられているはずだ。
「十八層がどうしたの?」
ミナが目線だけで僕を覗き込んだ。彼女の猫のような瞳は、いつもの柔らかさよりも少しだけ鋭かった。
「……誰にも言わないでね。最近、下層の人たちの間で広まってる話があるの」
「どんな話?」
「十八層で本物の空を見た人がいるって」
言われた瞬間、鼓動の音が不自然に跳ねた。本物の空。僕が本で読んだだけの、広がる青の世界。
「……そんなはずないよ。ここは地下なんだし」
自分でも驚くほど早口だった。
「それが、少し前に行方不明になった人がいたらしいんだけど、戻ってきたとき、青い空を見たって言ったらしいの。その後、すぐに上の層に移されて……それからその人がどうなったか誰も分からないらしいわ」
空調の音が急に大きく聞こえた。ミナの言葉がこの空間の静けさに馴染まず、落ち着く場所を探して彷徨っているみたいだった。
「ミナ、それ誰に聞いたの?」
「お母さんの知人の清掃員の人。十八層の近くまで行く仕事があるから、いろいろ耳にするんだって。でも、みんな口を揃えて言うの。本当かどうかは分からない。ただ、あの層には何かあるって」
ミナは息を吸い、ほんの少し震えた声で続けた。
「もし本当に本物の空がどこかに残ってるなら、スクリーンのあれは一体何なんだろうね?」
喉が詰まって、答えられなかった。変わり映えのない灰色の空。死んだ風景だけが、毎日同じように流れていく。もし、本物の空が存在していて、僕らはただ偽物を見せられているだけだとしたら。
「……ミナ、その噂誰かに話した?」
ミナは首を横に振った。
「話してないよ。でも、聞いたときに最初に浮かんだのはルイだった」
「僕?」
「だって、君はいつも本物の世界を望んでいるでしょ?」
そう指摘されて、苦笑いしながらその通りだと頷くしかなかった。
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