かつて灰色だった世界で
@harusame_rikka
第1話
世界が誰かの手によって、守る為ではなく閉じられていたことに僕はずっと気付かなかった。天井のスクリーンに映し出される暗く灰色の景色を、まるで本物の空のように教えられてきたのだから。僕は十五年間、それが当たり前のものだと疑問に触れずに生きてきた。だけどあの日、廃棄区画の扉が僕にだけ開いた瞬間から、運命の歯車が動き始めた。僕はまだ何も知らなかった。これから訪れる選択が、どれほど多くの運命を動かすのかも。
*
地上から三百メートル沈んだ地下都市——ノア・シェルター。人口五万人を抱えるこの場所は、まるでひっそりと息を潜めた巨大な潜水艦のようだった。シェルターは十八の階層で構成されていて、一般市民が主に利用するのは四層から十三層の間にある食堂、医療機関、学校や娯楽施設、居住区などだ。他の層は担当職員のみが出入りしたり、立ち入り禁止のエリアも多い。居住区には壁に嵌め込まれたパネルライトがビタミンDを照射し、各階にある空気循環設備によって温度、湿度、一定の酸素量を保っている。ロボットを取り入れた最新技術を駆使し、清潔で安全な空間によって僕たちの生活は守られていた。
生まれてから十五年、僕は一度も本物の空というものを見たことがない。食堂のあるホールには、地上の世界をリアルタイムで伝えるスクリーンが天井に設置されている。そこに映し出されるのは変わり映えのない灰色の空と、木々が枯れ、建物が崩れて誰もいない街。今から百年前に起きた気候変動や環境汚染によって、地上に住むのが困難になったと教わってきた。巨大なノア・シェルターが完成して本格的に稼働したのは七十年前。そこから先は、ずっとこの地下が人類の生活基盤になった。
僕はここで生まれ、ここで育ち、この場所しか知らない。空を見てみたいと思ったことはある。小説の中で、地上にまだ人が住んでいた頃の様子が描かれた情景を読んだ時、強くそう思った。青く鮮やかな空や太陽、夜空の向こうで月や星が頭上に広がっている。それは一体どんな光景だろうか。だけどきっと、この先もそれを見る事は叶わないのだろう。
*
シェルターの朝は規則正しく始まる。時間設定された照明がゆっくり明度を上げて、共用通路の壁に設置されたスピーカーから一日の始まりを告げるアナウンスが流れた。
最近引っ越してきた僕の部屋は六畳ほどのワンルームで家具はベッドと机だけが置いてある。洗面台とトイレはあるけれどシャワールームはない為、入浴は週に四回、共用浴場へ行く決まりだ。身支度を整えて部屋を出ると、ドアの横にある認証パネルに手首を翳して鍵をかけてから食堂に向かう。全住人に埋め込まれたマイクロチップは、体温、脈拍、セキュリティロックなど、あらゆる機能やデータを管理している。共用通路には隣り合うように部屋が並んでいて、それぞれ食堂に向かう人の流れについて行った。
八層から四層へエレベーターに乗って到着すると、食堂の入り口に置いてある朝食が乗ったトレイを手にして、いつも通り決められた席に座った。朝食は栄養バランスの計算されたスープとナッツ風味のシリアルバー。見た目は無機質だが味は悪くない。ほぼ全てが合成タンパク質と培養野菜でつくられている。食堂の天井には、いつもの灰色の空が淡々と流れていた。鳥の影も、緑の豊かさも、太陽の暖かさもない。ただ静止した世界が僕たちを見下ろしているだけだった。
ぼんやりしていると、向かいに座ろうとしたミナが椅子を引く音で視線を彼女に向ける。
「ルイ、おはよう」
「おはよう」
ミナは小さく笑みを浮かべながら、「そんなに見ても何も変わらないよ」とスクリーンの映像を指して言う。
「分かってるけど、もしかしたら変化があるかもって思うじゃん」
「生態系が回復するまで後百年はかかるって言われてるし。少なくとも私達が生きてる間に外に出るのは難しいって」
「……そうかもしれないけどさ」
希望を抱くことぐらいは許して欲しい。だけどここではそういった思想はあまり良しとされていない。外に出ることは危険で、少しでも地上に興味を示せば教師から眉をひそめられ、周りから心無い視線を向けられる。対等に話してくれるのはミナぐらいだ。まるで空を想う心そのものが、この地下都市にとっての危険因子であるかのように。
だけど灰色のスクリーンを見ていると、胸の奥が何故だかざわついてしまう。本当にあれが唯一の空なのだろうか。僕が知らないだけで、外にはもしかしたら人の住める場所が存在するんじゃないだろうか。どこかに青空は広がってるんじゃないだろうか。そう考えるだけで喉の奥に言葉にならない熱がこみ上げる。危険だから外に出てはいけないと言われ続ければ続けるほど、その向こう側に何があるのか知りたくなる。希望ってきっとそうやって生まれるんだと思う。抑えつけられればいっそう暗闇の中でひそやかに膨らんでしまうもの。もし本当に人の住める場所があるのなら。僕が今ここにいる理由さえ、変わってしまうのかもしれない。
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