第2話 死に際の覚醒。対象は装備だけじゃない、『自分自身』だ。

第九十階層の暗闇を、俺は歩いていた。

かつては一寸先も見えない恐怖の空間だったが、今の俺には昼間のように明るく見えている。

【視覚強化(アイ・エンチャント)】。

対象は俺の『眼球』だ。

猫や夜行性の魔物が持つ暗視能力を、構造レベルで模倣し、さらに魔力感知の機能を上乗せした。

壁の向こうに潜む魔物の気配も、足元の罠の構造も、すべてが手に取るようにわかる。


「便利すぎるな……」


俺は独りごちた。

これまでの付与術師(エンチャンター)としての常識が、ガラガラと崩れ去っていく音が聞こえるようだ。

通常、付与術というのは『物体』に対して行うものだ。

剣に炎属性を付与したり、鎧に硬化を施したり。

生物への付与は、一時的な身体強化(バフ)が精一杯で、それも数分で効果が切れるのが普通だった。


だが、今の俺はどうだ。

さっき自分にかけた【身体強化】は、時間が経過しても全く劣化する気配がない。

ステータス画面を確認すると、スキルの項目に『永続化(パーマネネンス)』の文字が追加されていた。

俺の魔力が細胞と完全に同化し、新しい『常態(デフォルト)』として定着してしまっているのだ。


「つまり、俺は歩くアーティファクトになったってことか」


人間という枠組みを超えて、魔道具そのものになってしまったような感覚。

だが、不快感はない。むしろ、全身に活力がみなぎり、生きている実感が湧いてくる。


グゥゥ……。

腹の虫が鳴いた。

そういえば、あのパーティを追い出されてから何も食べていない。食料が入ったバッグはジャミルに奪われたままだ。

Sランク迷宮の深層で、食料なし。本来なら、飢えと乾きで数日と持たずに死ぬ状況だ。


「食い物はない。……なら、体の方を書き換えるか」


俺は立ち止まり、自分の腹部に手を当てた。

イメージする。

生物としてのエネルギーサイクルを効率化し、大気中のマナを取り込んでカロリーに変換する肉体を。


「【光合成】……いや、違うな。【魔力吸収(マナ・ドレイン)】および【生命維持効率化(ライフ・サイクル・ハック)】」


淡い光が腹部を包む。

直後、空腹感が嘘のように消え去った。

空気中に漂う濃密なダンジョンの魔素が、呼吸するたびに肺から取り込まれ、身体のエネルギーへと変換されていく。

喉の乾きも癒えた。

呼吸さえしていれば、俺は永久に活動できる。


「ははっ、本当に何でもありだな」


俺は乾いた笑い声を上げた。

これが『付与術』の真髄なのか?

いや、これはもう付与なんてレベルじゃない。

『定義の改竄』。

神様が作ったルールブックを、勝手に書き換えるチート行為だ。


もし、ヴァルスたちがこの光景を見たら何と言うだろうか。

『役立たず』『地味』と罵った俺が、食事も睡眠も必要としない永久機関になったと知ったら。


「……ま、あいつらのことなんてどうでもいいか」


思考の端に浮かんだ元仲間の顔を、俺は頭を振って追い出した。

今の俺には、もっとやるべきことがある。

このダンジョンの踏破。そして、このふざけた能力の検証だ。


ザッ、ザッ、ザッ。

歩を進めるたびに、魔物たちが襲ってくる。

Sランク迷宮の深層は、地上の常識が通用しない魔境だ。


天井から、酸の雫を垂らす巨大なスライム『アシッド・ブロブ』が落ちてきた。

触れれば骨まで溶かす猛毒の粘液。

俺は避けない。


「【皮膚硬化(スキン・ハード)】。属性は【対酸(アンチ・アシッド)】」


ジュワッ!

スライムが俺の頭に着地したが、俺の髪の毛一本溶かすことはできなかった。

逆に、俺の体にまとわせた付与魔力がスライムの核を焼き尽くし、哀れな粘液の塊は瞬時に蒸発した。


次は、姿なき暗殺者『シャドウ・ストーカー』。

実体を持たない幽霊系の魔物が、壁をすり抜けて背後から鎌を振り下ろしてくる。

物理攻撃無効の厄介な敵だ。


「【精神統一(マインド・セット)】。からの、【霊体干渉(ゴースト・タッチ)】付与」


俺は振り返りざま、その鎌を素手で掴んだ。

本来ならすり抜けるはずの霊体を、ガッチリと握り潰す。

「ギィィ!?」

驚愕の声を上げるストーカーの顔面を、そのまま裏拳で殴り飛ばした。

霊核が砕け散り、黒い霧となって消滅する。


物理も、魔法も、状態異常も。

すべて、その場で対応する『耐性』や『特攻』を自分に付与すれば解決する。

ジャンケンで後出しをし続けているようなものだ。

負ける要素がない。


「楽しくなってきたな」


恐怖は完全に消え失せていた。

むしろ、新しい敵が現れるたびに、「次は何を試そうか」というワクワク感が込み上げてくる。

俺はずっと、誰かの後ろで怯えていた。

傷つくのが怖くて、失敗して罵られるのが怖くて、自分の殻に閉じこもっていた。

だが、今の俺は自由だ。

誰の指図も受けない。自分の力だけで、この理不尽な世界をねじ伏せることができる。


しばらく進むと、第九十九階層への階段が見えてきた。

そこには、門番のように一体の魔物が立っていた。


『アダマンタイト・ゴーレム』。

全身が神話級の硬度を持つ金属でできた、動く要塞。

魔法も物理も通じない、鉄壁の守護者。

かつて『栄光の剣』で挑んだ時は、ヴァルスが聖剣の奥義を連発し、エリナが全魔力を注ぎ込んだ爆裂魔法を放って、ようやく膝をつかせた相手だ。

今の俺には武器がない。

さっき拾った石ころは使い切ってしまった。


「硬いなら、柔らかくすればいい」


俺は歩みを止めずに近づいていく。

ゴーレムが侵入者を排除すべく、丸太のような腕を振り上げた。

風を切る音だけで鼓膜が破れそうな質量攻撃。


俺は右手をかざした。

対象は自分ではない。敵だ。

これまでの俺は、味方に『強化(バフ)』をかけることしかできなかった。

敵に干渉しようとしても、相手の魔力抵抗(レジスト)に弾かれてしまっていたからだ。

だが、今の俺の魔力(ステータス)は桁違いだ。

相手の抵抗など、紙切れ同然に貫通できるはず。


「【軟化付与(ソフト・エンチャント)】」


ドサッ。

ゴーレムの拳が俺の頭上に落ちてきた――その瞬間。

カキンッという金属音はしなかった。

ボヨヨン、という間の抜けた音が響いた。


最強の硬度を誇るアダマンタイトの腕が、まるでゴムまりのようにぐにゃりと曲がり、俺の頭で弾んだのだ。

ゴーレムの赤い瞳(センサー)が、心なしか困惑に点滅しているように見える。


「悪いな。お前の装甲、今はマシュマロ並みだぞ」


俺はニヤリと笑い、そのふにゃふにゃになった胴体に指を突き入れた。

豆腐に指を入れるような感覚。

装甲の奥にある動力源の魔石を、ひょいとつまみ出す。

ズズ……ン。

動力源を失った巨体は、ただの鉄屑(いや、ゴム屑か)となって崩れ落ちた。


「ふう。……『弱体化(デバフ)』も完璧か」


俺は手の中にある魔石を見つめた。

Sランク魔物の核。市場に出せば、これ一つで小さな家が買えるほどの価値がある。

だが、今の俺にはこれを入れるバッグすらない。


「不便だな。……よし」


俺は着ているボロボロのローブのポケットに指を触れた。

ただの布切れだが、ここに『空間拡張』の概念を付与する。


「【四次元収納(アイテム・ボックス)】付与」


ポケットの内部空間をねじ曲げ、亜空間に繋げる。

試しに、俺の背丈ほどあるゴーレムの残骸を近づけてみた。

スゥッと、巨大な金属塊が小さなポケットの中に吸い込まれていく。

重さは感じない。

成功だ。

これで、俺のポケットは無限の容量を持つ倉庫になった。


「装備係は不要、なんて言われたが……俺一人で全部完結しちまったな」


皮肉なものだ。

パーティのために尽くしていた能力は、自分のために使ったほうが何倍も輝くなんて。


俺はゴーレムの残骸をすべて収納し、階段を降りた。

ついに、最下層。第百階層だ。

空気の質が変わる。

肌を刺すような、濃密で禍々しい殺気。

このフロア全体が、一匹の生物の縄張りであることを示している。


目の前には、巨大な扉。

ここを開ければ、ボスがいる。


俺は扉の前で一度深呼吸をした。

かつてないほどの力が体中に満ちている。

死に際で覚醒したこの力。

もう、誰にも「役立たず」とは言わせない。

この扉の向こうにいるのが何であれ、俺の糧(経験値)になってもらうだけだ。


俺は両手で重厚な扉を押し開けた。

ギギギ……と錆びついた音が響き、広大なドーム状の空間が広がる。


そこには、山脈のように巨大な影が鎮座していた。

黄金の瞳。

鋼鉄の鱗。

そして、世界を震わせる咆哮。


「グルルルルル……ッ!」


迷宮の主、『エンシェント・ドラゴン』。

伝説上の存在が、侵入者を見下ろしていた。


普通なら、絶望で足がすくむ場面だ。

だが、俺は自然と口元が歪むのを止められなかった。

笑っているのだ、俺は。


「デカいな。素材として最高じゃないか」


俺は一歩、前に踏み出した。

付与術師レントの、本当の伝説がここから始まる。

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追放された付与術師、自分自身を『神』へと強化する。~捨てられた俺、実は万能チート。美少女と無双する間に、元仲間は全滅しているようですが?~ @tamacco

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