第7話 この食材庫(ダンジョン)、衛生管理はどうなってる?
『嘆きの洞窟』。 そこは、過去に数多の冒険者を飲み込んできた、死と絶望の迷宮だ。 湿った岩肌からは不気味な雫が垂れ、床には犠牲者の骨が散らばっている。
だが、俺――佐藤の感想は違った。
「……おい、管理責任者を呼べ」 「はひっ!? な、なんですか店長!?」
後ろを歩くメンマ(女神)がビクッとして答える。 俺は岩壁を指でなぞり、そのヌメリを確認して顔をしかめた。
「湿度が高すぎる。これじゃあ、食材(肉)が熟成する前に腐っちまうぞ。空調設備はどうなってるんだ」 「く、空調……? ここ、天然の洞窟ですよ?」 「甘えるな。天然だろうが何だろうが、食材を預かる以上は温度・湿度の管理は徹底しろ。カビが生えたらどうする」
俺はブツブツと文句を言いながら、暗闇を進んでいく。 俺の頭には、カチューシャ型のライト(額に巻く懐中電灯)が装着されている。本来は夜間の屋台撤収用だが、洞窟探索にも便利だ。
「行くぞ。奥の『冷蔵室』に本命(オークロード)がいるはずだ」
俺が足を踏み出した、その時だった。
カチッ。
足元の石畳がわずかに沈んだ。 ダンジョン定番のトラップ起動スイッチだ。
ヒュンッ! ヒュンッ! ヒュンッ!
左右の壁にある小さな穴から、毒を塗った矢が3本、俺の首元を狙って発射された。
「きゃあああッ! 佐藤さん、トラップよぉぉ!!」
メンマの悲鳴。 しかし、俺の反応は冷静だった。
「……あ?」
俺は手に持っていた愛用の中華お玉を、手首のスナップだけで回転させた。 カカンッ! 軽い金属音と共に、3本の矢が叩き落とされる。
「なんだ、この店は。オートメーション化が進んでるのか?」 「は?」 「爪楊枝(つまようじ)の自動ディスペンサーだろ? 出方が少し乱暴だが、最新式か」
俺は床に落ちた毒矢を拾い上げ、先端の紫色の液体を匂いだ。
「……おまけに、爪楊枝にミント風味の味付けまでしてあるとはな。気が利いてるが、俺は食後にシーハーするのは好かん」 「(猛毒です! それ即死級の神経毒です!)」
俺は気を取り直して進む。 次なる仕掛けは、天井から振り子のように降ってくる巨大な鎌(ペンデュラム)だった。 ブォンッ! ブォンッ! 鋭利な刃が、通路を往復している。
「ひぃぃぃ! 無理無理無理! 通れませんよぉ!」 メンマが腰を抜かす。
だが、俺は感心して頷いた。
「ほう……。野菜の自動スライサーまで完備か。大量のキャベツを千切りにするには便利そうだが、安全装置(カバー)が付いてないぞ。労災が起きる前に止めておけ」
俺は鎌の動きを見切った。 ラーメン屋の厨房は、常に危険と隣り合わせだ。熱湯、油、包丁、そしてパートのおばちゃんの予測不能な動き。それらを回避する動体視力があれば、規則的な振り子など止まっているも同然だ。
「よいしょっと」
俺はタイミングを計り、スライサー(鎌)の隙間をすり抜けた。 ついでに、鎌の蝶番(ちょうつがい)の部分に、持っていた中華包丁の背を叩き込む。 ガキンッ! 金属疲労を起こしていた金具が砕け、巨大な鎌が床に落下して動かなくなった。
「よし、修理完了(解体)だ。危ないから片付けておけよ」 「(……物理でトラップを破壊した!? この人、本当にただのラーメン屋なの!?)」
***
トラップ地帯(調理場エリア)を抜けると、少し開けた空間に出た。 そこには、先客がいた。
「ギャギャッ!」 「ギギィッ! 人間ダ! 殺セ!」 「肉ダ! 新鮮ナ肉ガ来タゾ!」
闇の中から無数に現れたのは、小柄な緑色の小鬼――ゴブリンの群れだ。 その数、およそ50匹。 錆びたナイフや石槍を持ち、下卑た笑い声を上げながら俺たちを取り囲む。
「うわあぁぁん! ゴブリンの巣穴に入っちゃいましたぁ! 佐藤さん、コイツらは集団戦が得意で……!」
メンマが俺の背中にしがみつく。 俺はライトでゴブリンたちを照らし、じっくりと観察(品定め)した。
「……チッ」
俺の口から漏れたのは、盛大な舌打ちだった。
「なんだこれ。シラスか?」 「えっ? シラス?」 「もしくは煮干しの選別漏れ(ジャコ)か? 肉付きが悪すぎる。脂も乗ってないし、骨ばかりで出汁も取れそうにない」
ゴブリンたちは痩せこけており、肌はカサカサだ。 食材としての価値はゼロ。いや、マイナスだ。こんなものがスープに混ざったら、臭みが出る。
「おい、店員! 管理はどうなってる! 高級食材(オーク)の棚に、こんな雑魚(不純物)が混ざってるぞ!」
俺は激昂した。 異物混入は飲食店の恥だ。
「ギャ? ナンダコイツ?」 「ヤッチマエ!」
ゴブリンたちが一斉に飛びかかってきた。 四方八方からの同時攻撃。
「邪魔だッ!!」
俺は腰から、最大の武器である「特大のテボ(湯切り用の深ザル)」を抜き放った。 本来は麺を茹でるための道具だが、俺が特注したこれは、網の部分がチタン合金で編まれており、柄は樫の木でできている。鈍器としても一級品だ。
「不純物は……取り除く!」
ブンッ!!
俺はテボを横薙ぎに一閃させた。 空気を切り裂く音が洞窟に響く。
バキベキボガッ!!
「ギャベッ!?」 「グベェッ!?」
前列にいた5匹のゴブリンが、テボの一撃でまとめて吹き飛ばされ、壁に激突してシミになった。
「ええええッ!? ザルで殴り飛ばしたぁ!?」 メンマが絶叫する。
だが、攻撃は終わらない。 俺は「麺のぬめりを取る」動きをイメージした。 ザルの中に麺(敵)を捉え、遠心力を使って水分(命)を飛ばす。
「ほら、どいたどいた! 厨房に入り込むゴキブリどもめ!」
ヒュンヒュンヒュンッ! 俺のテボ捌きは神速の域に達していた。 飛びかかってくるゴブリンを空中で「掬(すく)い」、そのまま壁や天井に「叩きつける(湯切りする)」。
「チャッ!(一匹撃破)」 「チャッチャッ!(二匹撃破)」 「チャッチャッチャッ!!(五匹まとめて粉砕)」
リズミカルな湯切りの音が響くたびに、ゴブリンたちが宙を舞う。 それはもはや戦闘ではなかった。 大量の雑魚(ジャコ)をザルで選別する、流れ作業だった。
「くそっ、キリがねえな! 次から次へと湧いてきやがる!」
ゴブリンの数は減らない。 このままでは、本命の肉(オーク)に辿り着く前に日が暮れてしまう。
「メンマ! お湯だ!」 「えっ? お湯!?」 「熱湯を用意しろ! 雑魚を一掃するには、熱湯消毒が一番だ!」
「そ、そんなこと言われても……あ、そうだ!」
メンマは慌てて杖(に見せかけたただの棒)を掲げた。 女神の権能発動。 《聖なる水源よ、沸騰せよ――『ホット・スプラッシュ』!》
ゴブリンたちの頭上に、魔法陣が出現。 そこから、100℃に沸騰した熱湯が滝のように降り注いだ。
「ギャアアアアアッ!?」 「アツイ! アツイ!」
ゴブリンたちが茹で上がり、バタバタと倒れていく。 その光景を見て、俺は満足げに頷いた。
「いい湯加減だ。これなら雑菌も死滅するだろう」 「(……神聖魔法を熱湯消毒に使わせるなんて、バチが当たるわよ……)」
数分後。 そこには、綺麗に掃除された(全滅した)通路だけが残っていた。
「ふぅ。余計な手間取らせやがって」
俺はテボについた緑色の体液を、パンッと振って落とした。 そして、洞窟の最深部を見据える。
そこから漂ってくるのは、先ほどのカビ臭さや、ゴブリンの悪臭とは違う。 濃厚で、甘く、力強い……獣の脂の香り。
「……ククッ。匂うぞ」
俺の鼻がヒクついた。 間違いない。この奥に「ある」。
「極上の脂身(ロース)が、俺を待っている」
俺は包丁を握り直した。 邪魔な不純物は取り除いた。あとは、メインディッシュを調理するだけだ。
「行くぞメンマ。皿の用意はいいか?」 「は、はい! もう何でも来いです!」
俺たちは、いよいよ洞窟の最深部――『暴食のオークロード』が待ち受ける「冷蔵保管室(ボス部屋)」へと足を踏み入れた。
背脂チャッチャは回復魔法じゃありません! 〜勘違いラーメン職人が、女神やエルフをトロトロに煮込んでしまう件〜 時空院 閃 @tw29092
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