第6話 精肉店(ダンジョン)の深夜特売チラシ

「行くぞメンマ。最高の『背脂(ラード)』が、俺たちを待っている」 「待ってないですよ! むしろ殺意を持って待ち構えてますよ!?」


 俺の宣言に対し、メンマの悲痛なツッコミが夜の街に響き渡る。  頭上には、まるで極上の煮玉子のように黄色く輝く満月。  ピクニック気分の俺とは裏腹に、街の空気は重く、張り詰めていた。家々は雨戸を固く閉ざし、通りには人っ子一人いない。聞こえるのは、遠くから響く不気味な風の音と、俺たちの足音だけだ。


「ねえ佐藤さん、本当に今から行くんですか? 明日の朝でもよくない? スーパーが開いてから考えようよ」 「バカ言え。スーパーだ? お前、今朝の市場の惨状を忘れたのか」


 俺は歩きながら、今朝の出来事を思い返してギリリと奥歯を噛み締めた。  実は今朝、仕入れのために市場へ行ったのだが――状況は俺の予想以上に深刻だったのだ。


 肉屋も、魚屋も、八百屋ですら棚はスカスカ。  馴染みの肉屋の親父は、お通夜のような顔でこう言ったのだ。 『すまねぇ、佐藤の旦那……。今朝入るはずだった輸送馬車が、街道で魔物に襲われてな。物流が完全にストップしちまった』


 物流の停止。それは飲食店にとって死刑宣告に等しい。  スープの命である豚骨も、チャーシュー用の肉も手に入らないとなれば、店を開けることなど不可能だ。  だが、俺の辞書に「品切れで臨時休業」という敗北の文字はない。あるのは「現地調達」という攻撃的な四文字のみだ。


「いいかメンマ。市場にないなら、産地(ダンジョン)に行く。これは料理人として、いや、客に一杯の丼を提供する者としての義務だ」 「思考回路がショートカットしすぎですよ……。義務感のベクトルがおかしいって」 「それに、手ぶらで現地に行くわけにはいかん。まずは『巨大なカート』が必要だ」


 俺は足を止め、目の前にそびえる石造りの建物を指差した。  街の中心にある『冒険者ギルド本部』だ。  深夜だというのに、建物からは煌々(こうこう)と明かりが漏れ、中からは怒号と悲鳴、そして鉄の臭いが漂ってくる。


「ちょうどいい。夜間営業中(緊急事態)みたいだな」 「うう……入りたくない……」


 ***


 重厚な扉を押し開け、ギルドの大ホールに足を踏み入れる。  そこは、まさに**『年末のアメ横』と『野戦病院』を足して二で割ったようなカオス**だった。


 床には血に濡れた包帯が散乱し、治療を受ける怪我人たちが呻き声を上げている。  壁際には深刻な顔で地図を囲むパーティ、そしてカウンターの向こうでは、職員たちが電話(通信魔道具)の対応に追われ、怒鳴り合っていた。


「衛生兵! こっちだ! ポーションが足りないぞ!」 「第3部隊が壊滅! 西の街道はもう通れねぇ!」 「クソッ、あの数のオークをどうやって止めろってんだ! 前線が崩壊するぞ!」


 飛び交う悲鳴と怒号。  メンマが俺の白衣の袖をギュッと掴んで、ガタガタと震えだす。 「さ、佐藤さん……これ、ただ事じゃないですよ。完全に『スタンピード(魔物の大氾濫)』の前兆です……。ね、空気読みましょう? 今すぐ帰って戸締まりして、布団かぶって寝ましょう?」


 だが、俺の目には違った風景が映っていた。  俺は深く息を吸い込み、その場の空気を味わうように頷いた。


「……すごい活気だ」 「はあ!? どこ見て言ってるんですか!?」


「見ろ、あの冒険者たちの目を。ギラギラしていやがる。良い食材(獲物)を求めて、ライバルたちが殺到し、時には突き飛ばし合いながら奪い合う……。この怪我人たちも、きっと特売品の争奪戦(ワゴンセール)で負傷した名誉の負傷だろう」 「違います! あれは生存競争(サバイバル)の傷です!」


「みんな、食への執念を感じるな」 「だから生存への執念だってば!」


 メンマのツッコミをBGMに聞き流し、俺は人混みをかき分け、ホールの奥にある巨大な掲示板へと向かった。  そこには、他とは違う異様な存在感を放つ、一枚の巨大な羊皮紙が、赤い画鋲で乱暴に貼り付けられていた。


【 緊急討伐依頼(エマージェンシー・クエスト) 】 【 対象:暴食のオークロード率いる、オーク軍団(約500体) 】 【 場所:嘆きの洞窟および周辺街道 】 【 報酬:金貨1000枚 & 名誉騎士の称号 】 【 警告:極めて危険! Aランク以上のパーティ推奨! 単独行動厳禁! 】


 羊皮紙には、禍々しい髑髏(ドクロ)のマークと、筋肉隆々の巨大な豚人間(オークロード)のイラストが描かれている。  俺はそれをじっと見つめ、眼鏡の奥で目を細めた。  そして、ニヤリと口角を吊り上げた。


「……見ろメンマ。ビンゴだ」


 俺の脳内変換フィルターが、瞬時にその羊皮紙を翻訳する。


【 緊急入荷! 本日限りの大特売チラシ 】 【 商品:最高級ブランド豚『オークロード』& 豚肉詰め合わせ(500頭) 】 【 場所:産地直売所(嘆きの洞窟) 】 【 価格:実質無料(むしろ報酬金が出るキャッシュバック・キャンペーン中) 】 【 PR:鮮度抜群! 活きが良すぎて暴れています! お一人様何頭でもOK! 】


 髑髏マークは**「中毒になるほど美味い(※激辛注意)」。  単独行動厳禁は「一人では持ち帰れない量(※シェア推奨)」**。  そして、あのオークロードのイラスト。


「いい面構えだ……。これがいわゆる『生産者の顔が見える野菜』ってやつだな。自信満々の顔をしてやがる。『私の育てた肉を食べてください』と言わんばかりだ」 「さ、佐藤さん? その解釈、だいぶ飛躍してません? これ『行ってはいけない』って書いてあるんですよ?」 「何言ってるんだ。チラシの赤字は『今すぐ来い』のサインだろ。主婦の常識だぞ」


 俺は掲示板の前からカウンターへと移動した。  受付嬢――メガネをかけた気弱そうな女性職員――が、殺気立った冒険者たちの対応に追われて、髪を振り乱しながら半泣きになっている。


「すいません、注文いいですか?」 「ひいっ! は、はいっ! 何でしょうか!?」


 俺は掲示板を親指で指した。


「あれ、全部ください」 「…………はい?」


 受付嬢の動きが止まった。  周囲の喧騒が一瞬だけ遠のき、シンとした静寂が俺たちの周りに広がる。


「ぜ、全部……とは?」 「だから、あの豚の群れだ。500頭全部、俺が引き取る。バラ売り不可なら、セットで構わない」


 俺は淡々と告げた。  500頭。確かに多い。だが、ロースはとんかつ、バラはチャーシュー、モモはひき肉にして冷凍保存すれば一年はいける。余った部位はスープにして煮込めばいい。骨まで使い切るのがSDGsだ。


 受付嬢は、目を見開いて俺の顔(ラーメン屋の店主)と、俺の装備(白衣と中華包丁)を凝視した。  そして、ハッとしたように息を飲む。


「あ、あの……お客様は、もしかして……あの『背脂の剣聖』様ですか!?」


 背脂の剣聖。  いつの間にかそんな二つ名が定着しているらしい。不本意だが、有名税というやつか。


「まあ、そう呼ばれることもある(背脂を振るのが上手いからな)」 「!!」


 受付嬢の顔色が、絶望の淵から一転、希望の光を見たかのように劇的に変わった。彼女はカウンターから身を乗り出し、俺の手を両手でギュッと握りしめた。


「受けて……くださるのですか!? あの500体の軍勢を、たったお一人で!?」 「ああ。そこで相談なんだが、車(馬車)の手配だけ頼めるか? 流石に500頭となると、背負子じゃ運びきれない」


 俺の言葉に、受付嬢は涙を流さんばかりに激しく頷いた。


「もちろんです! ギルドの全輸送部隊を待機させます! 処理班(解体業者)も同行させましょうか!? 死体の山ができ次第、すぐに運び出せるように!」 「おっ、気が利くな。頼むよ。下処理はスピードが命だからな。血抜きが遅れると臭みが出る」


 会話は成立している。  だが、意味は完全にすれ違っていた。  彼女は**「魔物の死体処理班」の話をしており、俺は「食肉加工のスタッフ」**の話をしている。


「ありがとうございます! すぐにガトランド様に報告してきます! 皆さん、聞きましたか! 『背脂の剣聖』様が、オーク軍団を単騎で殲滅してくださるそうです!!」


 ワァァァァァッ!!!  ギルドホールが割れんばかりの歓声に包まれた。


「すげぇ! あの地獄へ一人で行くのか!」 「男だ……いや、漢だぜ!」 「頼んだぞ! 俺たちの仇を討ってくれ!」


 冒険者たちが次々と俺の肩を叩き、握手を求めてくる。  中には感動のあまり泣き出す大男もいた。俺は少し照れくさそうに鼻をこすった。


「やれやれ、大げさだな。ただの仕入れだぜ?」 「くぅ〜ッ! 『ただの仕入れ(日常)』と言い切った! かっこよすぎるぜ!」


 メンマだけが、その狂乱の中心で頭を抱えて蹲っていた。 「(……終わった。これ、後戻りできないやつだ。もう私、全力で支援するしかないじゃん……)」


 ***


 一時間後。  ギルドが用意した「大型輸送用馬車」に揺られながら、俺たちは街の北にある『嘆きの洞窟』へと近づいていた。  御者は、顔面蒼白の若い冒険者が務めている。ここから先は魔物の支配領域だからだ。


 ガタゴトと揺れる荷台の上で、俺は愛用の中華包丁を取り出し、月明かりにかざして刃の状態を確認する。  妖しく光る刃文。切れ味は最高だ。


「佐藤さん、本当にやるんですか……?」  対面に座るメンマが、諦めきれない様子で聞いてくる。 「相手は知能のあるオークですよ? しかもロード級は武器を使います。巨大な肉切り包丁とか……」


「肉切り包丁?」  俺はピクリと反応した。 「ほう、オークのくせに道具へのこだわりがあるのか。いい心がけだ。調理器具を大事にする奴に悪い奴はいない」


「いや、その包丁で佐藤さんをミンチにする気満々なんですよ!? 調理されるのは私たちの方なんですってば!」 「大丈夫だ。料理の世界じゃ、包丁を持った相手と向かい合うなんて日常茶飯事だ」 「どんな殺伐とした厨房ですか!?」


 そうこうしているうちに、馬車がキキーッと音を立てて止まった。  御者の冒険者が、震える声で告げる。 「つ、着きました……ここが『嘆きの洞窟』です……」


 目の前には、ぽっかりと口を開けた巨大な洞窟の入り口。  そこから漂ってくるのは、鼻を突く強烈な獣臭と、ムッとするような熱気。そして何より、濃厚な脂の気配。


『ブモオオオオオオオオッ!!!』


 大地を揺るがすような、数千、数万の咆哮。  洞窟の入り口には、すでに数十体のオークが見張りとして立っていた。松明の光に照らされ、彼らの影が長く伸びる。  手には棍棒や錆びた剣。目は血走り、口からは涎を垂らしている。


 御者がガタガタと震えだした。 「ひぃっ……無理です! これ以上近づけません! ここで降ろさせてください!」 「ああ、ここでいい。店の搬入口みたいなもんだろ」


 俺は荷台から軽やかに飛び降りた。  腰の「中華包丁」と、背中の「特注・寸胴(盾代わり)」を確認する。


「行くぞメンマ。タイムセールの開始だ」


 俺は、殺気立つオークの群れに向かって、一歩を踏み出した。  その背中は、死地に向かう悲壮な戦士のようであり、同時に――  いい豚肉を見定めに牧場へ入る、目利きの職人のようでもあった。


「おい、そこの緑色(オーク)! お前じゃ脂が足りない! もっとランクの高いボス(店長)を呼んで来い!」


 俺の叫び声に、オークたちが一斉にこちらを振り向く。  彼らはまだ知らない。  自分たちが「捕食者」ではなく、これから出荷される「最高級ブランド豚」として査定されていることを。


 ギルドからの依頼書(チラシ)を片手に、ラーメンバカによる一夜限りの「仕入れ(大虐殺)」が、いよいよ幕を開ける。

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