第5話 豚が足りない。もっと殺意の高い豚はいないのか

 冒険者ギルドの長、ガトランドが俺のラーメンを食って全裸で昇天した事件。  そのインパクトは絶大だった。


「おい、ここだろ? ガトランド様を唸らせたっていう屋台は」 「噂じゃ、食った瞬間に古傷が治ったらしいぞ」 「バカ言え、若返ったって聞いたぞ」


 翌日から、屋台『異世界 燕三条』の前には、長蛇の列が形成されていた。  開店前の行列は、路地を埋め尽くし、大通りまではみ出している。  客層も多様だ。冒険者、商人、非番の兵士、そして興味本位の貴族たち。


「へい、お待ち! 背脂煮干しチャーシュー、脂多め(ギタギタ)一丁!」 「こっちのお客さんは、岩海苔トッピングの『大油(おおあぶら)』ね!」


 俺は戦場のような厨房で、中華お玉と平ザルを二刀流で操っていた。  麺を茹で、スープを張り、タレを合わせ、最後に背脂をチャッチャと振りかける。  この一連の動作を、無駄のない流水のような動きで繰り返す。


 俺の隣では、自称女神のメンマが悲鳴を上げながらホールを回していた。


「きゃああっ! 押さないでください! 並んで! 最後尾はあっちですぅ!」 「お姉ちゃん、水! 水ちょうだい!」 「はいはい、今行きますぅ〜! ……うぅ、神力が持たない……」


 彼女の着ている「古代ギリシャ風ドレス」は、神の力(この場合は皿洗いや冷水の生成魔法)を使うたびに質量保存の法則で布面積が減っていく呪いがかかっている。  今や、太ももは付け根まで露わになり、背中は腰まで大胆に開いている。客の男どもがラーメンと同じくらい熱い視線を送っているが、本人はそれどころではないらしい。


 ――そして、夕刻。


「……売り切れだ」


 俺は、行列の途中の客に向かって、非情な宣告を下した。  客たちから「ええーっ!?」という絶望の悲鳴が上がる。


「すまねえな。スープが底をついた。明日の仕込みが間に合わねえ」


 俺は暖簾(のれん)を下げ、看板を『準備中』に裏返した。  屋台の撤収作業を終え、俺たちは路地の裏でパイプ椅子にへたり込んだ。


「つ、疲れましたぁ……。もう腕が上がりません……」  メンマがぐったりとテーブルに突っ伏す。


 だが、俺の表情は晴れなかった。  手には、最後の一切れとなったチャーシューの端っこが握られている。  俺はそれを口に放り込み、咀嚼し、そして眉間に深い皺を寄せた。


「……ダメだ」 「えっ? 何がですか? 今日の売り上げ、金貨50枚ですよ? 大成功じゃないですか」


「売り上げの話じゃない。味の話だ」


 俺は金庫代わりの寸胴を蹴飛ばした。


「この街で仕入れた豚肉……『家畜臭さ』が抜けきってねえ」


「はぁ? 新鮮でいいお肉でしたよ?」


「違う。俺が求めているのは、もっとこう……『野性味』だ。筋肉の繊維一本一本に、生きるか死ぬかの緊張感が宿っているような、暴力的な旨味が欲しいんだ」


 俺の作る「燕三条系背脂ラーメン」は、労働者のための塩分過多でパンチの効いた味だ。  それを受け止めるチャーシューや背脂にも、相応の「強さ」が求められる。  今の豚肉は、安全な小屋でぬくぬくと育った、いわば「箱入り息子」だ。脂が上品すぎる。  俺が欲しいのは、もっと荒々しい、不良(ヤンキー)のような脂だ。


「それに、在庫の問題もある。今のペースで売れ続けたら、街の肉屋の豚を食い尽くしちまうぞ」


 俺はメンマの方を向いた。


「おい、プロデューサー。もっといい仕入れルートはないのか?」 「えっ、私に聞きます?」 「この世界には、もっとデカくて、凶暴で、脂の乗った『豚』がいるはずだろ?」


 メンマは困ったように頬をかいた。  空中にホログラムウィンドウ(神界データベース)を展開し、検索をかける。


「うーん……野生の豚、ですか。確かに街の市場には出回らない『魔物肉』なら、いくつか候補はありますけど……」


「魔物? 上等だ。で、一番美味そうなのはどいつだ?」


 メンマが検索結果を指さす。


「この近くの洞窟に生息している、『オーク』の群れですね。特に、群れを率いる『オークロード(豚の王)』は、全身が筋肉と上質な脂肪の塊だと言われています」


 オークロード。  その響きに、俺の料理人としての直感がビビッときた。


「豚の……王だと?」


「はい。でも、ダメですよ? オークは人間を食べる凶暴な種族です。特にオークロードは体長5メートルを超える怪物で、討伐ランクはA級……」


「素晴らしい」


 俺は立ち上がった。眼鏡の奥で、瞳がギラリと光る。


「人間を食うってことは、雑食ってことだ。ドングリしか食ってないイベリコ豚よりも、栄養価の高い餌(冒険者)を食ってる分、肉の滋養強壮効果が高いに決まってる」


「あの、発想がサイコパスなんですけど!?」


「それに『王』を名乗るくらいだ。さぞかし良い暮らしをして、たっぷりと脂を蓄えているんだろうな……」


 俺の脳裏には、すでに完成図が浮かんでいた。  オークロードの分厚いバラ肉をタコ糸で縛り、醤油ダレでじっくり3時間煮込む。  トロトロになった脂身。箸で切れるほど柔らかい赤身。  それを、熱々の白飯に乗せて「チャーシュー丼」にするのもいい。


 ジュルリ。  俺の口から涎が垂れた。


「決まりだ。明日は臨時休業だ」 「えええっ!? またですか!?」 「仕入れに行くぞ。その『オークロード』とやらを、一頭丸ごと買い付ける」


「買い付けるって……相手は魔物ですよ!? 通貨なんて通じませんよ!?」


 俺は愛用の中華包丁を取り出し、タオルで丁寧に拭き上げた。  刃渡り30センチ。骨ごと肉を叩き切るための、無骨にして最強の調理器具。


「安心しろ。こちらの『交渉用カード(包丁)』を見せれば、向こうも肉(み)を差し出すさ」


「それ、強盗のセリフですよ!?」


 メンマのツッコミを無視して、俺は準備を始めた。  背負子(しょいこ)には、解体用のナイフセット、血抜き用の岩塩、そして鮮度を保つための氷魔法石(メンマに作らせた)。


「行くぞメンマ。最高の『背脂(ラード)』が、俺たちを待っている」


 俺は夜空を見上げた。  月が、まるで丼に浮かぶ煮玉子のように黄色く輝いていた。


 こうして、街の食糧事情(肉不足)を解決するため、そして俺自身のあくなき探究心を満たすため。  俺たちは、凶悪な人食い豚が巣食うという『嘆きの洞窟』へと、ピクニック気分で向かうことになったのである。

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