第3話 営業許可証は『食品衛生責任者プレート』で代用可

スライムを美味しくいただいた(一部スタッフが)後、俺たちは草原を抜けて、巨大な城壁に囲まれた都市へと到着していた。


「へぇ……こいつは驚いた。セットにしちゃあ気合が入ってるな」


 俺は目の前にそびえる高さ10メートルほどの石積みの壁を見上げ、感心したように頷いた。  苔の生え具合、石の風化加減、そして門番たちの鎧の汚れ。どれをとってもリアリティがある。  最近のテレビ局の美術スタッフは、ハリウッド並みの技術を持っているらしい。


「佐藤さん、ちょっと待ってください! 今、私の服を『概念固定』しますから!」


 背後でメンマちゃん(自称PD)がブツブツと何かを唱えている。  さっきのスライム実食で半裸になっていた彼女だが、どうやら衣装スタッフがいないため、自力で直しているようだ。  一瞬の光と共に、彼女のボロボロだったドレスが修復される。ただ、なぜか布面積は以前より2割ほど減り、横乳が大胆に露出するデザインに変わっていた。


「……おい、なんで露出が増えてるんだ?」 「うぅ……さっきの魔力暴走で『神聖防御力(布)』の上限値が削られちゃったんです……。佐藤さんが美味しいものを作るたびに、私の服は薄くなっていく運命(さだめ)なんです……」 「わけのわからん設定だな。まあいい、客寄せにはなるだろう」


 俺たちは都市の入り口――巨大な鉄の門へと向かった。  そこには槍を持った二人の衛兵が立っていた。


「止まれ! 貴様ら、見ない顔だな。身分証を見せろ!」


 衛兵が槍を交差させて通せんぼする。  俺は「はいはい、そういう演出ね」と理解し、懐からあるものを取り出した。


 それは、店に飾っていた**『食品衛生責任者』**のプレート(金色の縁取り付き)だ。


「これでいいか?」


 俺は無造作にプレートを突き出した。  衛兵たちがそれを覗き込む。


「なっ……!? こ、この輝きは……純金!?」 「それに、この見慣れぬ文字……『食』を『司る』『責任者』……だと?」


 衛兵たちの顔色がサァッと変わった。  異世界において、精巧な金属プレートは貴族や王族の証。しかも漢字という未知の文字は、古代魔法文明のルーン文字に見えるらしい。


「はっ! 失礼いたしました! まさか東方帝国の高官であらせられるとは!」 「どうぞお通りください! 良い滞在を!」


 衛兵たちは直立不動で敬礼し、道を空けた。  俺はプレートを懐にしまいながら、メンマちゃんに囁く。


「見ろよ。あの真剣な演技。最近のエキストラは劇団員か何かか?」 「(……衛兵さんたちが勘違いしてくれて助かったわ。下手に『鑑定』魔法を使われたら、佐藤さんが異世界人だってバレるところだった……)」


 メンマちゃんは冷や汗を拭いながら、俺の後をついてきた。


 ***


 門をくぐると、そこは活気あふれる中世ファンタジー風の街並みだった。  石畳の道、煉瓦造りの家々、行き交う馬車、そして獣耳を生やした亜人たち。


「ほう、ここがメインステージか。人通りも多いし、立地条件は悪くない」


 俺は商売人としての目で街をスキャンした。  通りには串焼きやスープを売る屋台が出ているが、どれも香りが弱い。スパイスの使い方が単調で、出汁の概念が希薄なのが匂いだけでわかる。


「勝てるな」


 俺は確信した。  この街には、圧倒的に「旨味(うまみ)」が不足している。  そこに俺の背脂味噌を投下すれば、それはもはや料理ではなく、合法的な麻薬になるだろう。


「よし、ここにするか」


 俺が目を付けたのは、中央広場から一本入った裏通り。  治安が悪そうに見えるが、実は風の通り道になっており、ここでスープを炊けば、匂いが表通りへと強烈に拡散される「風上の特等席」だ。


「店(ブース)を展開するぞ」


 俺は愛用の寸胴を地面に置いた。  すると、不思議なことが起きた。メンマちゃんがパチンと指を鳴らすと、空間が歪み、俺が日本で使っていた屋台セット一式――木製のカウンター、赤提灯、パイプ椅子――がズドーンと出現したのだ。


「へぇ、VR空間演出か。便利な世の中になったもんだ」 「そ、そうなんです! 最新鋭のAR技術です!(ふぅ、神界倉庫から転送するのギリギリだった……)」


 俺は早速、火を起こした。  寸胴の中には、先ほどのスライム出汁と、持参した豚骨スープがブレンドされている。  グツグツと煮え立つにつれ、強烈なニンニクと豚骨の香りが路地に充満し始めた。


 「くさっ! なんだこの匂いは!?」  「腐った肉か? いや……なんだか、腹が減る匂いだぞ……」


 通りがかる人々が、鼻をヒクつかせながら足を止める。  だが、最初に客として現れたのは、善良な市民ではなかった。


「おいコラ、テメェら。誰の許可取ってここでシノギ広げてんだ?」


 ドカドカと近づいてきたのは、革鎧を着た柄の悪い男たち。  いわゆる「冒険者崩れのチンピラ」だ。  リーダー格の大男は顔に傷があり、腰には錆びついた大剣を下げている。その後ろには、露出度の高いレザーアーマーを着た、赤髪の女盗賊も控えていた。


「あちゃー……テンプレ通りの『悪い人たち』が来ちゃった」  メンマちゃんが頭を抱える。


 しかし、俺の解釈は違った。


「いらっしゃい。団体さんか? 食券機はまだないから、前金で頼むわ」


 俺は平ザルを持ったまま、愛想よく対応した。  こいつらは「悪役を演じるキャスト」だ。番組を盛り上げるために、わざわざ絡んでくれているのだ。


「あぁ? 食券だぁ? 舐めてんのかオッサン。場所代(みかじめ)を払えっつってんだよ!」


 リーダーの男が、バンッ! と屋台のカウンターを叩いた。  その衝撃で、並べてあったレンゲが少しズレる。


 ピクリ。俺の眉が跳ねた。


「……おい。土足で厨房に入らないのは常識だが、汚い手でカウンターに触るのもマナー違反だぞ」 「はぁ? 何言ってんだテメェ!」 「見ろ、お前の手垢がついた。消毒する手間が増えるだろ」


 俺はカウンターを布巾でサッと拭き、冷ややかな目線を送った。  料理人にとって、衛生管理は命だ。演出だろうが何だろうが、不潔な客は許さない。


「テメェ……ぶっ殺してやるよ!」


 男が激昂し、腰の大剣を抜き放った。  ブンッ! と風を切って、錆びた刃が俺の頭上へと振り下ろされる。


「ひぃぃっ! 佐藤さん逃げてぇぇ!」  メンマちゃんの悲鳴。


 だが、俺は動じない。  スローモーションのように見える剣筋。  毎日何千回と繰り返してきた「湯切り」の動作に比べれば、この程度の大振り、止まっているも同然だ。


「危ないだろ。調理器具を振り回すな」


 カァァァァンッ!!


 高い金属音が響いた。  俺は左手に持っていた中華お玉(ステンレス製)で、振り下ろされた大剣を真横から弾いたのだ。  正確には、剣の腹を「受け流し」て、軌道を逸らした。


「は……っ!?」  男の手から大剣が弾き飛ばされ、地面に突き刺さる。


「なっ、なんだ今の!? お玉でバスタードソードを受け止めたのか!?」 「受け止めたんじゃない。芯を外したんだ。麺の硬さを確認する時と同じ要領だ」


 俺は淡々と答え、お玉を突きつけた。


「で、注文はどうするんだ? おすすめは『背脂煮干し・全部乗せ』だぞ」


 男たちは後ずさりした。  しかし、後ろに控えていた赤髪の女盗賊――リタが進み出てきた。


「へっ、やるじゃない。でもアタシのスピードにはついてこれないわよ!」


 リタは二本の短剣を構え、素早い動きで回り込んできた。  猫のような身のこなし。そして、ピチピチのレザーアーマーが強調するしなやかな肢体。  ふむ、いい筋肉だ。鶏モモ肉のように引き締まっている。


「食らえっ!」


 彼女の短剣が俺の脇腹を狙う。  俺はため息をつき、寸胴の蓋を開けた。


「ほらよ、サービスだ」


 モワァァァァッ……!!


 蓋を開けた瞬間、閉じ込められていた「魔性の香り」が爆発的に広がった。  スライム(高級とろみ)と豚骨(暴力的な旨味)のハイブリッド蒸気。


「――ふぇ!?」


 リタの動きがピタリと止まった。  鼻腔を直撃した匂いに、彼女の脳が戦闘モードから強制的に「空腹モード」へと切り替わったのだ。


「な、なにこの匂い……っ! 甘くて、しょっぱくて……頭がクラクラするぅ……」


 彼女の瞳がトロンと潤む。  俺はその隙を見逃さず、小皿にスープを少しだけ入れ、彼女の口元へ差し出した。


「ほら、味見してみろ。文句があるなら食ってから言え」 「そ、そんな毒々しい色のスープ……飲むわけ……あぐっ」


 スプーンを突っ込まれる。  リタは反射的にスープを飲み込んだ。


 その瞬間。


「んっ…………んんんんんーーーーーーッ!?!?」


 リタの身体が弓なりに反った。


「な、なによこれぇぇぇ!! 口の中で豚の群れが暴れまわってるぅぅ!! 濃厚なのに、後味はスライムのキレがあって……ダメェッ、こんなの身体が覚えちゃうぅぅ!!」


 パァァァァンッ!!


 乾いた破裂音が路地に響いた。  リタが着ていたピチピチのレザーアーマーが、内側から溢れ出る「幸福な魔力」と「膨張した肉体の熱気」に耐え切れず、弾け飛んだのだ。


「きゃあああっ! アタシの鎧がぁぁっ!」


 胸元のボタンが飛び、革紐が千切れ、彼女の豊満なバストが露わになる(かろうじてアンダーウェアは残っている)。  彼女は顔を真っ赤にして、その場にへたり込んだ。


「あうぅ……熱い……お腹の奥が、ポカポカして……もう戦えないぃ……」


 リーダーの男たちが、目を剥いてその光景を見つめている。  一撃だ。  武器を使わず、スープを一口飲ませただけで、パーティ随一のスピードスターが無力化(&半裸に)されたのだ。


「ば、化け物だ……! こいつ、ただの料理人じゃねえ! 『毒料理の達人(ポイズン・クッキング)』だ!!」 「ひぃぃぃ! 逃げろぉぉぉ!」


 チンピラたちは、へたり込むリタを置き去りにして逃げ出した。


「おい、食い逃げは許さんぞ!」


 俺がお玉を構えると、彼らはさらに速度を上げて角を曲がっていった。  やれやれ、と俺は肩をすくめる。


「まったく、最近の若手芸人はオーバーリアクションだな。服まで破くなんて、体張ってるぜ」


 俺はへたり込んでいるリタに、新しい丼を差し出した。


「ほら、姉ちゃん。服が破れるほど気に入ったなら、一杯サービスしてやるよ。スタミナつけて、次の撮影頑張れよ」 「ううぅ……殺す気ぃ……? いただきますぅ……」


 リタは涙目で麺を啜り始めた。  その姿は、あまりにも無防備で、かつ扇情的だった。


 こうして、俺の屋台『異世界 燕三条』は、チンピラを撃退した伝説と共に、鮮烈なオープンを迎えたのである。  そして、この騒動を聞きつけた「とある人物」が、城の方角からこちらに向かっていることを、俺はまだ知らなかった。

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