第2話 そのヌルヌルは、極上のあんかけになりますか?
「うおおおおおッ! 待ってろ、幻の天然とろみ成分ンンンッ!!」
俺は寸胴を小脇に抱え、平ザルを剣のように振りかざして疾走した。 狙うは、ボヨンボヨンと不気味に波打ちながら迫りくる巨大な青いゲル状物体――スライムだ。
俺の目には、そいつがモンスターには見えていない。 最高級の「葛(くず)」や「片栗粉」すら凌駕する、未知の食材に見えているのだ。
「佐藤さんっ! ダメです、戻ってきて! スライムは打撃無効なんですよぉぉ!!」
背後でメンマちゃん(自称プロデューサー)が何か叫んでいるが、厨房の換気扇の轟音に慣れた俺の耳には届かない。
スライムが俺の接近に気づき、その体積を一気に膨張させた。 ブシュッ!! スライムの身体から、粘液の飛沫が散弾銃のように発射される。
「ひぃっ! 酸のブレスよ! 溶かされるぅぅ!」
メンマちゃんが悲鳴を上げる。だが、俺は冷静に分析した。
「ほう……自ら消化酵素を出してくるとはな。パイナップルや舞茸と同じ原理か。肉を柔らかくするための天然のテンダライザー……気が利くじゃねえか!」
俺は飛んでくる粘液を、手に持った平ザルで巧みに弾き飛ばす。 ジュッ、ジュワァ……。 地面の草が溶けて煙を上げているが、俺は「酸味が強そうだな。酢豚用か?」程度にしか思わない。
「だが、俺が作りたいのは酸辣湯麺(スーラータンメン)じゃねえ! もっとシンプルに、素材の粘度を活かした『塩あんかけ』だ!」
俺はスライムの懐へ飛び込んだ。 しかし、相手もさるもの。俺の足元を狙って、身体の一部を触手のように伸ばしてきた。 ぬるり。 足を取られ、俺は体勢を崩す――ことはなかった。 俺の足腰は、一日15時間立ちっぱなしの厨房労働で鋼のように鍛え上げられている。
「甘いな。床に落ちた背脂で滑ることに比べれば、この程度の摩擦係数、どうということはない!」
俺は踏ん張り、逆にスライムの身体に中華包丁を突き立てようとした。 その時だ。
「あぶなーいッ!!」
俺を庇おうとしたのか、メンマちゃんが横から飛び出してきた。 しかし、彼女はドジっ子だ。 何もない平地で派手に躓き、あろうことか、俺とスライムの間にダイブしてしまった。
「ぶべっ!?」 「メンマちゃん!?」
ドプンッ! 彼女の華奢な身体が、スライムのゲル状ボディに頭から飲み込まれた。
「いやぁぁぁぁん! 気持ち悪いぃぃぃ! 入ってこないでぇぇ!」
スライムは「新たな獲物」を得て、喜び勇んで彼女に絡みつく。 酸性の粘液が、彼女の薄い神官服(古代ギリシャ風ドレス)をジリジリと侵食していく。 白い布地が透け、肌に張り付き、肢体のラインを露わにしていく様は、確かに背徳的だ。
だが、俺の視点は違った。
「おいおい、なんてことしやがる! まだ『あく抜き』もしてねえ食材に、生身で突っ込むバカがいるか!」
俺は舌打ちし、スライムの中に手を突っ込んだ。 狙うはメンマちゃんの腕だ。
「掴んだッ!」
俺は渾身の力で彼女を引きずり出した。 ポンッ! という小気味よい音と共に、メンマちゃんがスライムから排出される。 彼女は全身ドロドロのヌルヌル。金髪も肌も、青い粘液まみれだ。
「ううぅ……最悪ぅ……。お嫁に行けない……」 「泣くな。すぐに『下処理』してやる」
俺は真剣な眼差しで言った。
「へ……? 下処……理?」 「動くなよ。この粘液、放っておくと臭みが出る」
俺は平ザルを置き、素手で彼女の肌に触れた。 二の腕から肩、そして鎖骨へ。 職人の手つきで、彼女の身体にまとわりつくスライムをこそぎ落としていく。
「ひゃうっ!?」
メンマちゃんが変な声を上げた。 だが俺は止まらない。これは調理だ。スピード勝負だ。
「ふむ……いい肌ざわりだ。加水率40%の中太麺といったところか。吸いつきがいい」
俺の手のひらが、彼女の豊かな胸元――スリットから零れ落ちそうな双丘――に伸びる。 そこにも粘液がべっとりと付着していた。
「あ、そこはっ、ダメェッ! 佐藤さんっ、んんっ!」
「力を抜け。筋肉が強張ると、スジが残るぞ」
俺は無心だった。 手のひら全体を使って、胸の膨らみに沿うように粘液を拭う。 その感触は、極上のパン生地のように柔らかく、それでいて押し返すような弾力がある。
(……素晴らしい。この弾力、最高級のラードを練り込んだ生地に近い。一度、こいつを麺棒で延ばしてみたいもんだな)
俺がそんな職人的な感想(勘違い)を抱いている間、メンマちゃんは顔を真っ赤にして震えていた。
「(な、なんなのこの指……! ただ拭ってるだけなのに、なんでこんなに身体が熱くなるのよぉ!? まるで魂まで捏ねくり回されてるみたい……っ!)」
俺は最後に、彼女の太ももに張り付いた粘液を、手刀でスパンッ! と切るように拭い去った。
「よし、あらかた取れたな」 「はぁ……はぁ……っ、もう……乱暴なんだからぁ……」
メンマちゃんが腰を抜かしてへたり込む。 さて、邪魔者は排除した。次は本丸だ。
「待たせたな、天然とろみ成分」
俺は再びスライムに向き直った。 スライムは獲物を奪われた怒りで、身体を赤く変色させて震えている。
ここで、メンマちゃんがハッと我に返った。
「い、いけない! 佐藤さん、武器がないと無理よ! 私がこっそり魔法で援護を……!」
彼女は俺の背後で、震える指で印を結んだ。 神界の管理者権限を行使する。 《対象(スライム)の物理耐性を無効化。さらに、細胞結合を分解せよ――『神聖崩壊(ディバイン・ブレイク)』!》
その魔法が発動した瞬間と、俺が平ザルを振り下ろした瞬間は、完全に同時だった。
「秘技・天空湯切りッ!!」
ズバァァァァァン!!
俺がザルを空中で一閃させると、不可視の衝撃波が走った(ように見えた)。 スライムの巨大な身体が、一瞬にして1センチ角のサイコロ状にバラバラに分解されたのだ。
「……ふっ。手ごたえなし、か」
俺はザルに付いた水分(スライムの体液)をチャッ、と切った。 ただの湯切り動作でモンスターが賽の目にされた光景を見て、メンマちゃんは口をあんぐりと開けている。
「(魔法のタイミング、完璧すぎた……。これじゃまるで、佐藤さんがザルで切り刻んだみたいじゃない!)」
「おい、プロデューサー。ボサッとしてないで丼を出せ」 「は、はいっ!?」
俺は崩れ落ちたスライムの破片――キラキラと輝くゼリー状の結晶――をザルですくい上げた。 そして、持参していた寸胴のスープ(熱々)に投入する。
「見てろ。こいつが熱で溶ければ、極上の『スープ』に化ける」
俺はその場で即席の調理台(岩)を見つけ、調理を開始した。 スライム片はスープの熱であっという間に溶け、黄金色のスープにとろりとした艶(つや)を与えていく。 香りが変わった。 豚骨の重厚さに、清涼感のあるハーブのような香りが加わる。
「麺上げ、3秒前……2、1、今だ!」
茹でていた麺を湯切りし、丼へ。 そこへ、スライムが溶け込んだ特製スープを注ぐ。 仕上げに、俺のポケットに入っていた予備の煮干し粉末と、背脂を少々。
「完成だ。『異世界風・超濃厚あんかけ塩ラーメン』」
ドンッ、と岩の上に置かれた一杯。 湯気が立ち上るその姿は、草原という異質な環境にあって、唯一絶対の真理のように輝いていた。
「さあ、食え。毒見はプロデューサーの仕事だろ?」 「えっ、わ、私が食べるんですか? ……これ、さっきのスライムですよね?」
メンマちゃんは恐る恐る丼を覗き込んだ。 しかし、漂ってくる暴力的なまでの「旨そうな匂い」に、彼女の喉がゴクリと鳴る。 そういえば、彼女は夜食のカップ麺を食べ損ねていたのだ。
「い、いただきます……」
彼女は割りばしを割り、とろみのついたスープを絡めた太麺を持ち上げた。 ズズッ。 意を決して、啜る。
その瞬間だった。
「んっ…………!?」
メンマちゃんの碧眼が、カッと見開かれた。
「……なにこれ!? 濃厚なのに……すごく滑らか!? スライムの粘り気が、スープの旨味を逃がさずに、全部舌に張り付けてくるぅぅぅ!!」
ドクンッ! 彼女の体内で、何かが弾けた。 神界の住人が地上の「不浄かつ美味なるもの(ジャンクフード)」を摂取したことによる、魔力回路のオーバードライブだ。
「あああっ、すごい! 麺が喉を通るたびに、背脂が! 出汁が! 身体中を駆け巡るのぉぉッ!」
バシュゥゥゥンッ!!
突如、メンマちゃんの身体からピンク色の光が噴出した。 その衝撃で、ただでさえ際どかった古代ギリシャ風ドレスの肩紐がブチリと切れ、布地が半透明の粒子となって霧散する。
「きゃああああっ! 服がぁっ!?」
あられもない姿(かろうじて聖なる光で隠れている)になった彼女は、それでも箸を止めることができない。 美味すぎるのだ。脳が拒絶しても、舌が求めてしまう。
「んんんっ! 止まらないっ! 熱いっ! 身体の中がトロトロになっちゃうぅぅ!!」
ハフハフと熱い麺を啜りながら、涙目で悶える美少女。 その光景を、俺は腕組みをして満足げに見下ろしていた。
「ほう……服が弾け飛ぶほどの美味さか。テレビの演出にしちゃあ過激だが、悪くないリアクションだ」
俺は勘違いしていた。 この「服が弾ける現象」を、最新のCG演出か何かだと思っていたのだ。
「よし、合格だ。この味なら、異世界の住人もイチコロだろう」
俺は食べ終えて放心状態(&半裸)のメンマちゃんを背負い、立ち上がった。 目指すは、遠くに見える城壁らしき影。
「行くぞプロデューサー。まずはあの街で、俺たちの店を開く」
「はひ……も、もうお腹いっぱいですぅ……」
メンマちゃんは俺の背中で、幸せそうな寝息を立て始めた。 彼女の肌は、スライムのエステ効果とコラーゲンスープのせいで、以前にも増してツヤツヤと輝いていた。
こうして俺たちは、最初の食材と、最初のファン(?)を獲得し、異世界の第一歩を踏み出したのである。
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