背脂チャッチャは回復魔法じゃありません! 〜勘違いラーメン職人が、女神やエルフをトロトロに煮込んでしまう件〜
時空院 閃
第1話 地球がバグって落ちたので、とりあえず異世界で「背脂」をチャッチャします。
ボコッ、ボコッ、ゴポォ……。
重低音だ。 まるで地獄の釜の蓋が開いたかのような、粘度の高い液体が沸き立つ音。 だが俺にとって、これは天使のラッパよりも心地よい福音(ゴスペル)だった。
「いいぞ……今日のゲンコツは当たりだ。骨の髄からコラーゲンが泣き叫んでやがる」
俺の名前は、佐藤(サトウ)。 新潟県燕三条。金属加工の町工場の火花が散るこの地で、荒くれ職人たちの胃袋を満たし続けるラーメン屋『燕三条の風』の店主だ。
俺の目の前には、大人の男がすっぽり入れるほどの巨大なステンレス寸胴が鎮座している。 中身は、豚のゲンコツ、背ガラ、そして大量の香味野菜。これらを強火で20時間炊き続け、骨の形がなくなるまで粉砕し、ドロドロの乳化スープへと昇華させる。 だが、それだけじゃあ「新潟濃厚味噌」は名乗れない。
「煮干しだ。もっと海の悲鳴を足せ」
俺は手元のザルから、最高級の「片口鰯(カタクチイワシ)」の煮干しを鷲掴みにし、寸胴へ放り込む。 バシャァッ! 豚骨の濃厚な甘い香りに、荒々しい磯の香りが衝突する。 動物系と魚介系。本来なら喧嘩しかねない二つの個性を、越後味噌の芳醇な塩分が強引に、かつ奇跡的なバランスでまとめ上げる。
「ふっ、完璧だ。このスープなら、雪国で冷え切った生きる屍(社畜)どもを、一口で灼熱の天国へ送ってやれる」
俺は中華お玉でスープをすくい、テイスティングする。 舌に乗せた瞬間、旨味の爆弾が炸裂した。脳髄が痺れるほどのコク。 しかし、まだ足りない。 燕三条系ラーメンにおける、最後の、そして最大の主役。
「親父さん、持ってきてくれ!」 「おうよ大将! 今日の『A脂(エースあぶら)』だ!」
肉屋の親父が運び込んできたのは、宝石のように白く輝く豚の背脂ブロックだった。 俺はそれを、特注の平ザルに乗せる。 ここからがショータイムだ。
丼にタレとスープを張り、茹で上がった極太ちぢれ麺を投入する。 そして俺は、背脂の乗った平ザルを丼の上にかざし、リズミカルに振り下ろす。
チャッ! チャッ! チャッチャッチャ!!
ザルの網目で細かく砕かれた背脂が、雪のように舞い散り、丼の表面を純白に覆い尽くしていく。 スープの熱を逃がさないための油の蓋。 雪国が生んだ生活の知恵であり、現代においてはカロリーという名の快楽物質。 これぞ、背脂チャッチャ系。
「へへっ……美しい。まるで越後の雪景色だ」
俺は恍惚の表情で、完成間近のラーメンを見つめていた。 その時だった。
店の天井付近にあったテレビから、緊急地震速報のような不穏なアラームが鳴り響いたのは。
『――緊急臨時ニュースをお伝えします。現在、世界各地で原因不明の"通信障害"および"物理的な消失現象"が発生して――』
「ちっ、うるせえな。今、一番大事な湯切りの最中なんだよ」
俺はリモコンを探す手間すら惜しみ、テレビのプラグを引っこ抜こうと手を伸ばしかけ――そして、気づいた。 テレビの画面が消えているのではない。 テレビそのものが、ノイズのように点滅し、透け始めていることに。
「あ? なんだ、3D放送か?」
次の瞬間。 俺の視界が、真っ白な光に塗りつぶされた。
***
一方その頃。 遥か上空、あるいは別次元にある『神界・地球管理サーバー室』。
「あちゃ〜! やっちゃったぁ〜!!」
絶叫が響き渡っていた。 声の主は、透き通るような金髪に、布面積の際どい神官服を身にまとった美少女。 この地球エリアを管理する女神、メンマ(※偽名。本名は人間には発音不能な神聖言語)である。
彼女の足元には、見るも無残な光景が広がっていた。 床に散乱した『燕三条の風』のお土産用冷凍ラーメン(調理前)。 そして、彼女が足を滑らせて盛大に転んだ拍子に、勢いよく引っこ抜かれてしまった極太のコンセントプラグ。
目の前の巨大なモニタには、無慈悲なシステムメッセージが表示されている。
【 ERROR 404 : Earth Not Found 】 【 システムダウンしました。強制再起動を開始します…… 】 【 再起動完了まで:残り 99年 11ヶ月 29日 】
「嘘でしょ!? 再起動に100年!? 神界時間だとたったの1週間だけど、人間界じゃ3世代変わっちゃうじゃない!」
メンマは頭を抱えた。 地球の管理神として、こんなポカミスがバレたらクビどころか、存在消滅処分は免れない。 しかも、悪いことは重なるものだ。
【 警告:サーバーダウンの瞬間に、アクセス集中していた個体データが1件あります 】 【 データ名:SATO(Ramen_Freak) 】
「えっ? ひとりだけデータが宙に浮いちゃったの? ど、どうなっちゃうの!?」
【 緊急回避措置を実行。近隣の「テスト用サーバー09(ファンタジーβ版)」へ一時転送しました 】
「テスト用サーバーって……あそこ、まだ魔物のバランス調整が終わってない『剣と魔法の修羅の国』じゃない! 一般人が行ったら3秒でミンチよ!?」
メンマは顔面蒼白になりながら、コンソールを操作する。 モニターに映し出されたのは、草原にぽつんと立つ一人の男。 白衣にねじり鉢巻き。手には中華包丁と平ザル。
「こ、この男の人……私の大好きなラーメン屋の店主さんじゃない! 殺すわけにはいかないわ! 彼が死んだら、私の夜食ライフが終わる!」
メンマは決意した。 地球が再起動するまでの100年間(体感1週間)、なんとしても彼を生かさなければならない。 そして何より、「私のドジで地球が止まりました」という事実を、絶対に隠し通さなければならない。
「い、行くしかないわ……! 私が直接降りて、誤魔化すのよ!」
女神は光となって、テスト用サーバー(異世界)へとダイブした。
***
眩暈(めまい)が収まると、俺は草原に立っていた。
「…………は?」
状況を確認する。 足元は厨房のコンクリートではなく、青々とした草。 天井はなく、どこまでも広がる青空。 空気は澄んでいて、遠くには見たこともない巨大な山脈が連なっている。
だが、俺の左手にはしっかりと愛用の平ザルが握られ、右手には湯切り直前の丼があった。 幸い、丼の中身はこぼれていない。表面張力で耐えている。
「おいおい……マジかよ」
俺は周囲を見渡し、ニヤリと笑った。
「手が込んでやがるな。これ、ドッキリ番組だろ?」
そう解釈するしかなかった。 最近のテレビ局は予算がないと聞いていたが、どうやら俺のような「ラーメン界のカリスマ」を担ぐためなら、セットに金を惜しまないらしい。 このリアルな草の匂い、風の冷たさ。VRか? それとも海外ロケに拉致されたか?
「まあいい。どこだろうと、俺の仕事は変わらん」
俺はカメラを探すように視線を巡らせた。 すると、空からキラキラとした光の粒子が降り注ぎ、目の前に一人の少女が実体化した。
金髪碧眼(へきがん:青い目)。肌は陶器のように白く、服装は……なんだあれは。 白い布を巻き付けただけの古代ギリシャ風ドレスだが、スリットが深すぎて太ももが丸出しだ。
「あ、あの……っ! 佐藤さん!?」
少女が慌てた様子で声をかけてくる。 俺は彼女を一瞥し、即座に評価を下した。
(……いい肌(メン)だ。加水率50%以上の多加水麺のような、モチモチとした弾力を感じる。あの太もも、よく捏ねられてやがる)
職業病である。俺は人間の肌質を、うどんや中華麺の生地として評価してしまう癖があった。
「ああ、俺が佐藤だ。あんたが仕掛け人か? アイドルにしちゃあ露出が多いな」 「えっ? 仕掛け人?」
少女――メンマは一瞬きょとんとし、それから何かに気づいたように目を泳がせた。 そして、ポンと手を叩く。
「そ、そう! そうなんですぅ! 私、この番組のプロデューサー兼進行役のメンマです! えーっと……驚きました!?」
「驚いたなんてもんじゃねえよ。湯切りのタイミングがズレるところだった」
俺は平ザルを振って、残っていた水分を飛ばした。 メンマと名乗った女は、引きつった笑顔で説明を続ける。
「こ、ここはですね! えーっと、最新技術で作られた『バーチャル異世界スタジオ』なんです! 佐藤さんには、この世界で……そう! 究極のラーメンを作ってもらう企画なんです!」
「ほう、異世界ラーメンバトルか」
俺は納得した。 ご当地ラーメンブームも行き着くところまで行って、次はファンタジーとコラボというわけか。悪くない。 新潟背脂味噌の濃厚さは、繊細な都会人よりも、肉体を酷使する冒険者(という設定のエキストラ)にこそウケるはずだ。
「いいだろう、受けて立つぜ。出演料は弾んでくれるんだろうな?」 「も、もちろんです! (地球が直ったら)いくらでもお支払いします!」
メンマちゃん(仮)は、額の汗を拭いながらサムズアップ(※)した。 その動作に合わせて、胸元の豊かな布地が揺れる。 ふむ、チャーシューで言えばバラ肉のロール巻き特大サイズといったところか。脂身の乗りが良い。
「で、食材はどこにある? キッチンスタジアムは?」
俺が尋ねると、メンマちゃんは草原の彼方を指さした。
「食材は……『現地調達』です! 見てください、あの新鮮な食材たちを!」
彼女が指さした先。 草原の向こうから、青白いゼリー状の半透明な物体が、ボヨンボヨンと跳ねながらこちらに向かってきていた。 直径2メートルはある。 明らかに地球の生物ではない。
「…………」
俺は眼鏡の位置を直し、目を細めた。 普通なら悲鳴を上げるところだろう。 だが、俺の目には「それ」が、敵には見えなかった。
「なるほど……。のっけから変化球かよ」
俺は腰に下げていた中華包丁――骨ごとお肉を叩き切るための重量級モデル――を抜き放った。
「あいつは……最高級の『天然とろみ成分(片栗粉いらず)』だな?」
「はい?」
メンマちゃんが素っ頓狂な声を上げる。
「あれだけの大きさだ。中身はさぞかし純度の高いコラーゲンだろう。あんかけラーメンのベースには持ってこいだ」 「えっ、ちょっ、佐藤さん!? あれスライム! 物理攻撃が効かない序盤の難敵で……」
「問答無用! 麺が伸びる前に下処理(ころ)す!」
俺は白衣を翻し、スライムに向かってダッシュした。 背後でプロデューサー(女神)が「きゃあああ! 食べ物じゃないのよぉぉ!」と叫んでいるが、聞こえない。 料理人にとって、目の前の食材を放置することは罪なのだ。
これが、後に伝説として語られる『背脂の剣聖』の、最初の調理(たたかい)の幕開けだった。
※サムズアップ:こぶしを握って親指を上に向けるジェスチャーで、「いいね!」「了解」「賛成」といった肯定的な意味)
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