第7話 【エレオノーラ】決意表明

 エレオノーラが異世界から転移してきた、翌朝のこと。


 目覚めると、そこは雲の上だった。

 比喩ではない。鳳城キャッスルレジデンスの最上階、ペントハウスの窓からは、眼下に広がる東京の街並みが、まるでジオラマのように小さく見えた。


「……おはよう、佐藤くん。よく眠れたか?」


「う、うん。おはよう鳳城くん。……でも、ベッドが広すぎて、端っこのほうで丸まって寝ちゃったよ」


 寝癖をつけた悠真が、照れくさそうに頭をかく。

 なんだその可愛いエピソードは。広大なキングサイズベッドの隅で小さくなる悠真……想像しただけで白飯が三杯いける。

 やはり、この同居生活は僕の心臓に悪い(良い意味で)。


 僕たちは、メインダイニングへと移動した。

 そこは3フロア分をぶち抜いた吹き抜けになっており、朝日が巨大な窓から差し込んで、大理石の床をきらきらと照らしている。


「おはようございます。皆様お早いですわね」「おはよう、おにいちゃん。隼人にぃ」


 凛とした声と共に、エレオノーラと桜ちゃんが現れた。


 昨日の派手なドレスから一転して、じいやが用意した落ち着いた紺色のルームウェアに身を包んでいる。

 だが、その立ち姿は隠しきれない「貴族」そのものだった。

 背筋がすっと伸び、歩くたびに空気が整うような気品がある。


「おはようございます、エレオノーラさん、桜」


「……ふふ、よい香りですわね」


 彼女の視線が、テーブルに並んだ朝食に向けられた。

 専属料理人たちが腕によりをかけた、洋食のフルコースだ。焼きたてのクロワッサン、エッグベネディクト、そして香り高いコーヒー。


「毒見はもうお済みですか?」


 席に着くなり、エレオノーラが大真面目な顔で聞いた。


「ど、毒見?」


 悠真が目を丸くする。


「大丈夫ですよ。この国では、食事に毒を盛る文化はありませんから」


 桜ちゃんが苦笑しながら答えると、彼女は「なんと平和な……」と感嘆の息を漏らし、ナイフとフォークを手に取った。

 その所作が、あまりにも洗練されている。

 カチャリとも音を立てず、流れるようにパンを口に運び、コーヒーを一口。


「……! 泥のようなおりが、まったくありませんわ。

 わたくしの知る『カフェ』とは別物……まるで、香りをそのまま飲んでいるようです」


「気に入っていただけて光栄です」


 給仕をしていたじいやが、満足げに目を細める。


 エレオノーラと桜ちゃんが食卓に加わり、和やかな朝食タイムとなった。


 一通りの食事が済み、コーヒーのおかわりが注がれたタイミングで、エレオノーラが居住まいを正した。


「改めまして。……わたくしはエレオノーラ・ヴァン=グラディス」


 澄んだ声が、広いリビングにすっと通る。


「アルグレイス王国、グラディス公爵家の一人娘ですわ」


 そこで、わずかに言葉が止まった。

 ほんの一瞬、視線が揺れる。


「……いいえ。でしたわ……」


 そう言い直した瞬間、胸の奥が少しだけ締まった。

 昨夜のことが、また現実になる。


「昨日、国を追放されたところを、皆さまに救っていただきました……」


 エレオノーラは丁寧に頭を下げる。

 その所作があまりにも綺麗で、眩しい。


「今は、なにもない、ただの女ですわ」


 空気が静かになる。

 悠真が口を開きかけたので、僕が先に割って入った。


「昨日も言ったが、僕に任せたまえ。何も心配することはない」


 僕は少し胸を張る。


「まず、生活費はすべて僕が出す」

「食事、洗濯、掃除などの家事は使用人が担当する」

「必要なら、専属の執事も用意する」


 うん。完璧。

 これぞ金持ちムーブ。


 ……のはずだった。


「お待ちくださいませ」


 静かに手を挙げたのはエレオノーラだった。

 でも表情は、ほんのり決意の光を宿している。


「わたくし、昨日“追放”されましたの」


 ふっと息を吐いた。その声は軽かったが、同時に深い安堵が滲んでいた。


「地位も名誉も資産も、全部なくなりました。

 ……不思議ですわね。全てを失ったはずなのに、身体がこんなにも軽いのです」


 彼女は自分の手のひらを、まじまじと見つめる。


「今までは『誰かのための自分』でいることばかり考えて、息をするのも窮屈でした。

 でも、今は違います。この手の中には、何もないけれど――何でも掴める“自由”がありますの」


 顔を上げると、そこには迷いのない碧眼があった。


「守られているだけの温室は、もう卒業です。

 これからは自分の足で歩いて、自分の目で見て、わたくしだけの宝物を探したいのです」


 そして、彼女はにこりと笑った。

 それは令嬢の作法で飾った笑みではなく、胸を弾ませた素の表情だった。


「手始めに、何かお仕事をくださいませ」





――――――――――――――――


お読みいただきありがとうございます、久澄くずみゆうです。


異世界から来た彼女の「決意」の回でした。

ここから少しずつ、日常が動き出します。


★やブックマークで応援していただけると嬉しいです!

次回もよろしければ、お付き合いください。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る