Ch.1-2-2 チュートリアルをクリア
◇2326年9月23日(火) 19:49
あるいは
仮想空間時間 00:00:01
真っ白な世界で目が覚める。視界を奪っていたコードは視野の外に流れ、つけているはずのヘッドギアやケーブルの感触はまったくない。
段々と白は発光し、しばらく経つと光は弾け、俺は自らの足でどこかに降り立ったのを感じた。
目を開けると、見たことも行ったこともない、灰色の建物が生えた街が広がっていた。
それは文字通り、永遠に続いているのだろう。
「なんだ、ここは⋯⋯」
空は青空でも曇天でもない、紫色のペンキをぶちまけたような不自然な色。
生命の音はなく、嗅ぎ慣れた薬物の臭いもしない。
風も吹かないこの世界は、明らかに作られた現実だった。
そして、肌が毛羽立つ感覚が、この世界に降り立った瞬間からずっと止まらない。
——スラムの歩き方で培った、危険察知能力。
ここにいてはまずいと、歩きだそうとした矢先に、背筋が粟立つ。
現実世界よりもはるかに現実的に、脳髄に焼きごてを押し付けられる予感を首筋に感じた。
反射的に左側に倒れこむ。
同時に右首に感じるむず痒さと風切り音。
血は流れない。それはこの世界の仕様なのか、薄皮が切れただけで傷は負ってないだけなのかは分からない。
この五日間で倒れて起き上がることに関しても、嫌というほど経験した。
即座に立ち上がり、振り返る。左手は前に構えて盾だ。
五メートルほど先、そこには”顔のない男”が立っていた。
目のくぼみも鼻の突起も、口のふくらみもない、のっぺらぼうの頭部。
数世紀前のゲームキャラクターのようだ。
一方で身体は妙に生々しい。増強剤を使い隆起した筋肉、局部だけはディテールが省かれており、いかがわしさが増してる。
きっと肌はゴムでできているのだろう。
だが、一番目を引くのは顔でも、身体でもなく、その右手だ。
現実よりも存在感を放つ、大ぶりのナイフ。
鋼の冷たさはそのままに、艶消しコーティングされたその刃は、明らかに殺傷能力に重きを置かれていた。
『無事ダイブできたかなー?』
天から声が響く。ナオミだ。
「どこなんだよ、ここ!?」
『わ、やっぱりCCIが高いせいか、シンクロ率も異常ね。これ仮想ってだけでリアルと変わらないじゃない。かわいそー』
風景に場違いな脳天気な声。
『質問には一切答えるなって言われてるから、必要なことだけ話すね』
——生き延びなさい。
その啓示がスタートの合図だった。
のっぺらぼうの口のあたりから聞きたくない言葉が発せられた。
『プログラム起動。殺害モード。対象を抹殺します』
人のぬくもりを感じられない機械音声が、余計に恐怖心を煽る。
生身の人間よりもはるかにスムーズに戦闘態勢に移行した目の前の人形は、どこか人らしい速度で俺に襲い掛かってきた。
「ちょっ!」
人らしい速度、といっても速い。俺の全速力の二倍は速い。
一瞬で距離を詰められ、逆手に握られた右腕が振るわれる。
反射的に左腕で迎え撃つ。腐ってもインプラントだ。チタン合金かジェラルミンか分からないが、ナイフは止められるはず!
——左腕はマーガリンを切り分けるように切断される。
「は?」
間の抜けた声とともに景色がグルンと回転した。
同時に低くなっていく視点。上から降り注ぐ赤は、すぐに血だとは分からなかった。
痛みは、ない。
いや、感じる前に意識ごと刈られたのだ。
『死亡カウント:一。生存時間:三秒。アドバイスです。敵からの攻撃は基本的に避けましょう』
人形から機械音声が流れる。
そこで俺はようやく理解した。
俺は仮想空間で殺され続けるのだ。生き延びられるまで。
◇仮想空間時間 00:10:32
『死亡カウント:十八。生存時間:二十六秒。アドバイスです。敵からの攻撃は基本的に避けましょう』
首が飛ぶ。腹が裂かれる。心臓を抉られる。
痛みがなかったのは即死の時だけで、死ぬまでにラグがある時は、文字通り死ぬほどの痛みに襲われる。
無駄にリアルなVRのおかげで、まさか自分の腸を生きたまま握りしめるなんて体験ができるなんて思いもしなかった。
まあ、すぐに死んだのだが。
そして死ぬと直後に強制的に元の場所にリセットされる。
そこから、また殺されるのだ。
死ぬ恐怖は五回目以降から薄れた。痛みはあれど、どうせ生き返るのだ。むしろ死んだほうが、早く痛みから解放される。痛みもどうせ即物的なものだ。死ねば楽になれる。禅の精神。
今は恐怖に代わり、どす黒い感情が胸を占めている。
諦め? 違う。
絶望? 近いが違う。
怒り? そうだ、怒りだ。
なぜ俺がこんなクソみたいな扱いを受けさせられるんだ。
一体何なんだ、あの木偶の坊は。
俺の、俺が支配する人生はどこで道を違えた?
——疑いようもない。全部あの紅い瞳の男から始まったのだ。
両親も。俺の手も。何より俺の人生を。
この街の支配者によって狂わされたのだ。
四つに別れた両親、左腕を切られたときの灼熱、そして俺を見下した紅い瞳。
俺は絶対に忘れない。
怒りが俺を奮い立たせた。
繰り返し死に、生まれ変わるごとに、怒りは深まり、新しいルールが頭に刷り込まれる。
弱いから死ぬ。
弱いから蹂躙される。
生き延びたければ、強くなれ。
生き延びたければ、戦え、と。
俺は生き延びなければならない。
あいつを、紅い瞳の男を殺すために。
そのためには戦うしかないと、俺はようやく気付いた。
「人形ごときがいい気になって俺を殺しやがって。俺を殺していいのは俺だけだ」
◇仮想空間時間 00:17:09
『死亡カウント:二十四。生存時間:三十九秒。アドバイスです。敵からの攻撃は基本的に避けましょう』
避けた先で首が飛ぶ。後ろに跳び下がるが、追撃で腹が裂かれる。柄を抑えようとするが、力負けして胸の真ん中を抉られる。
俺は相変わらず殺され続けている。
ただ、少しずつ動きを読めるようになってきてはいる。その分生存時間も延びてきた。その代わり、痛みを感じる時間も増えてるのだが。
粒子が光り、頭から爪先までが包みこまれる。体が再構築されたのだ。
再び目の前には顔のない男。手にはナイフ。
人形が前傾姿勢を取る。何度も見た構え。
流石に目も慣れてきてる。痛みも嫌というほど何度も味わった。
もう十分だ。
いい加減勝たせてもらう。
男が俺に駆け寄る。ナイフは右手に逆手。そのまま喉を突く気だろう。
右に避ければ、そのまま肘打ちからナイフで滅多刺し。左によければ側頭部を貫かれる。かといって後退すれば、そのまま押しやられて終わり。
だから俺はあえて前に出る。
男が伸ばし始めた右手をかいくぐり、左腕で相手の手首を押さえる。
右手でがら空きのボディを殴ると、少しは効いたのか男の体がくの字に曲がった。
同時に相手の右手を抑えてる左手に力を込める。
未開封の缶を球状にまでプレスできる義手だ。
男の手首は握りつぶされ、グシャグシャになり、ナイフが地面に落ちた。
痛覚遮断をしていない生身の人間なら悲鳴を上げるだろうが、そこは人形だ。不愉快なノイズは耳に入らない親切設計。
転がりながら人形よりも素早くナイフを拾う。
そのままの勢いで足首を斬りつける。
痛みか違和感か、やつの上体が前のめりになる。
その体制は俺に許しを請うかのように、頭が下がっている。
俺はその無防備な首裏にナイフを突き立てた。
確かな手応え。皮膚か筋か骨か、はたまたケーブルかただのデータ信号かは分からないが、大事なものを断ち切る感触が手に残る。
その瞬間、にわかに背景の灰色の建物が一気に色づき、不気味な色をした空も晴天に変わった。
そして雲が蠢き『Conglaturations!!』と形取られる。
⋯⋯おい、LとRが逆だぞ。海賊版かよ。
『おめでとうございます!』
天から響く機械音声。
呼吸を忘れていたのを思い出した。全力疾走した後よりも息切れがする。
だが、それ以上の俺はやったのだ、という高揚感。
そう、俺はやったのだ!
息を大きく吸うと、体の奥で何かが燃えた。
ただの酸素じゃない——生きたい、という本能だ。
だが、余韻に浸っていられたのはほんの僅かな時間だった。
機械音声ではなく、ナオミの声が空から響く。
『わお! 予想より早くてお姉さんびっくり! 余裕そうだし、早速次いっちゃおっか!』
「え?」
首裏をナイフで刺された人形の体がスーッと光の粒子に変わり、崩れていく。
しばらくして光が収まると——ナイフに変わり拳銃を持った”顔のない男”が立っていた。
『チュートリアルをクリアしましたので、第一ステージに進みます』
「え?」
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