Ch.1-2-1 シラチャー・ソース味
『グッドモーニング、エブリワン! 今日もザ・シティは平和だ!
昨日のシティの殺人件数はたったの三件! これは今月最少記録だぜ!
なお、工業地帯でおきた暴動については、治安部隊が”平和的に”解決したからノーカウントだ!
そして今日一のビッグニュースは、あの人気アイドルグループGALACTIKAの新曲がリリースされたことだな!
脳に直接響く歌声で、トリップしたいやつはチェキラッチョ!
同時に数量限定のファングッズも販売したが、すでにSold Outだ!
運よく買えたやつは命と併せて盗られないように気をつけろよな!
それじゃあ良い一日を、クソ野郎ども!』
◇2326年9月19日(金)07:05
昨日より少しはマシになった物置部屋で目を覚ます。古臭いカウチがあったから、幸いそこで少しは寝れた。寝起きはここ一週間で最高だ。
扉を開けてメインルームに入ると、すでにデイヴィスは起きていた。
朝食として合成栄養バーを食べている。俺も食べたことがある。味付きの段ボールのようなやつ。
デイヴィスはちらりと俺を認めると、顎で扉を指した。確かバスルームだ。顔を洗えということらしい。そんなに汚い顔ではないと思うが。
顔を洗い、戻る。
「おはようございます」
「ああ」
壁に話しかけたほうが良い答えが返ってくるだろう。ほんの数日間の付き合いだが、彼から愛想というものを感じたことがない。
だが、今の俺は所詮、拾われた野良犬だ。
吐いた唾は飲まないと彼は言っていたが、いつ気が変わってまた雨の中に放り出されるか分からない。
一刻も早く、掃除以外の価値を証明しなければならない。
俺は覚悟を決めて、デイヴィスの前に立つ。
「何か、俺にできる仕事はありますか?」
「今日からナオミの店に通え」
即答。こちらの気負いが馬鹿らしくなるほど、平坦な声。出鼻をいきなりくじかれる。
⋯⋯彼が強敵なのは、この数日間で重々理解している。それにしても今聞いた言葉はすんなりと頭には入ってこなかった。
「通えって⋯⋯昨日あんなことがあったのに?」
「そうだ」
「俺一人で?」
「そうだ」
反論は許さない。隻眼が放つ無言の圧力に、喉が詰まる。
「赤ん坊でさえ一人で歩き出す。話はそこからだ」
デイヴィスはそれだけ言うと、デスクに足を投げ出し、紫煙を吐き出した。会話終了の合図だ。
これ以上ここにいても無駄だ。
俺は一つ深呼吸をし、左腕の義手に触れる。冷たい金属の感触だけが、今の俺の頼りだ。
どうにでもなれ。
俺はヤケクソ気味に、店のドアを押し開けた。
◇2326年9月19日(金)13:20
⋯⋯ここはどこだ?
気付いたら俺は天井を見上げていた。
ファンが回っている。見覚えのあるシミ。薄汚れた壁——デイヴィスの店だ。
慌てて体を起こす。
腹は減っている。だが、それ以外に痛みはない。殴られた痕も、切り傷もない。左腕もついてる。
デスクを見ると先程と変わらずデイヴィスが座っており、誰かと通信している。
頭の中がノイズで埋め尽くされる。
確か俺は⋯⋯店を出た。そして、路地裏に入った。はずだ。
すぐに背後から男の声がして、振り返った瞬間に煌めく何か、おそらくナイフを見て——。
見て、そこから記憶がない。
映像データがそこだけ削除されたように、プツリと途切れている。
時計を見る。十三時過ぎ。
朝、店を出たのは七時だから、五時間以上が消し飛んでいる。特定箇所のログが消えるのは人為的なこと以外考えられない。
膝辺りに何か落ちてきたのを感じた。合成栄養バーだ。
デイヴィスが近くに来ており、俺を見下している。
その目は、故障した機械を見るような、あるいは出来の悪いペットを見るような、なんとも言えない無機質さと不器用さが混ざっていた。
「食え」
「⋯⋯ありがとうございます」
ゆで卵にシラチャー・ソース味。趣味が悪い。
包装を破る指が震えていることに今気づいた。
「食べたら出てけ」
「え?」
すでにデイヴィスは定位置に戻ってる。俺の混乱など意に介していない。
「ナオミのところに行けと言ったはずだ——今度は十分は持たせろよ?」
その口角が、意地悪く歪んだ。
そこでようやく理解する。
俺は失敗したのだ。
そして誰かに、おそらくデイヴィスの仲間に回収されたのだ。
それこそゴミのように。
「まさか、たどり着くまで繰り返せってことですか?」
漂う紫煙が、肯定の答えだった。
俺は栄養バーを無理やり胃に流し込む。
辛味がついた段ボールは、屈辱の味がした。
◇2326年9月23日(火)19:01
「二十分三十六秒。おめでとう、合格ね」
店内に足を踏み入れた瞬間、場違いな旋律が鼓膜を撫でた。
繊細な弦楽器の調べ。電子音のノイズが一切ない、数世紀前のクラシック音楽。
五日かけて、とうとうナオミの店にたどり着いた。
体は無傷だが、服はボロ雑巾のようになり、ドブと汗と血の混じった臭いがする。
だが、立っている。自分の足で。
長い五日間だった。
一日目。
昼間に再出撃したが、結果は同じ。気付いたら店の床で涎を垂らして寝ていた。記憶にあるのは、鈍器が振り下ろされる風切り音だけ。
二日目。
前日から学習した。俺はこれでもアカデミー中退の準エリートだ。
袋小路、死角の多い路地、ジャンキーの溜まり場。頭で覚えた地図ではなく、その場に醸される死の臭いで、ルートを選別した。
それでも、三回も強制送還させられた。デイヴィスの視線は何度生まれ変わっても冷たいままだった。
三日目。
更に感覚が鋭敏になった。腐った空気の中に混じる、微かな鉄の臭いや、甘ったるい化学臭を捉えられるようになった。すえた臭いはあてにならない。大体スラムの住民は臭いから。
半分まで進んだが、突然の銃撃戦。流れ弾がこめかみを掠めた瞬間、意識が飛び、気付いたら店の天井を見上げていた。
四日目。
今度は聴覚と触覚が研ぎ澄まされた。視線よりも早く感じる殺気。肌が毛羽立つのだ。
前方の人影が手を懐に入れれば、その音で何を取り出そうとしているのか、何となく分かるようになった。
だが、ナオミの店まであと一区画というところで、ギャングどもの抗争に巻き込まれた。
四方八方からの殺意。人生三回目の死を覚悟した時、視界の端を黒い影が走り抜けたのを確かに見た。
次々と倒れるギャングたち。助けられたのだ。また、俺は守られた。
安堵とともに覚えた血の味を忘れない。俺は守られるために生き延びてるのではないのだ。
そして今日、五日目。
俺はスラムを堂々と歩いた。コソコソ隠れず、胸を張って。
背筋を伸ばし、左腕の義手は隠さない。目つきはデイヴィスを意識した。
すれ違うチンピラが俺を見る。値踏みするような視線。五感がざわつく。
俺は視線をずらさなかった。ただ「俺にちょっかいを出せば、どうなるか分かるな?」と、強い意志を瞳に込める。
気付けばチンピラは俺の後ろに取り残され、舌打ちが心地よかったのを覚えてる。
何かあれば爆発するというヤバい雰囲気、いや予感。
それがスラムでは必要だと、俺はようやく気付いた。
そうして俺はたどり着いたのだ。
「予想よりも早くてびっくりよ! おかげでデイヴィスとの賭けには勝たせてもらったけど」
ナオミがケラケラと笑いながら、カウンターに頬杖をつく。
俺は深く息を吐き出し、店内の消毒液の匂いを吸い込んだ。
もう、ハイハイしかできないとは言わせない。
俺はスラムでの歩き方を覚えたのだ。
初めてFコードを弾けたような達成感を胸に、ナオミに尋ねた。
「それで? 次はどうすればいいんですか」
「せっかちな男は嫌われるわよ。しかもそんななりじゃね」
ナオミが白衣を手渡してくる。確かに人前に立つには少しワイルドすぎる格好だ。
「奥に滅菌室があるから消毒して着替えてきて」
久々のシャワー。確かにレディの前で汚い格好はご法度だ。身綺麗にするのはマナーだろう。
◇2326年9月23日(火)19:27
シャワーから戻ると、以前CCIを計測したリクライニングチェア型の手術台にヘッドギアが追加されていた。
無数のケーブルが地面に垂れている。
「スラムの歩き方は合格。次は生き方を学べ、というのがデイヴィスからの言伝よ」
ナオミが手術台に寄りかかりながら手招きする。ところどころ光沢がある指先が艶めかしい。
彼女のメガネ型デバイスは反射して、その目は見えない。見えないが⋯⋯。
「嫌な予感しかしないんですが」
「安心して。非致死性のイメージ群って聞いてる。だから死ぬことはないわ」
小声で多分と聞こえたのは幻聴ではないだろう。
とはいえここで断る選択肢はないのは明らかだ。
俺はため息一つついて手術台にのぼった。
「ダイブする前に、もう一回検査するからね〜」
ニヤけ面のナオミが近づいてくる
◇2326年9月23日(火)19:48
「ハイ、OK。⋯⋯やっぱり信じられないデータね」
ナオミがモニターを指先で弾く。画面には複雑な波形が、まるで嵐の海のように荒れ狂っていた。
BGMは相変わらず、眠気を誘うクラシック。
「そもそもCCIが高いってことは、それだけCCが多いってことですか?」
「半分正解で、半分間違い。CCIは”容量”でもあり、”受容性”でもある」
ナオミが回転椅子を回してこちらを向く。
「いい? 普通の人間はコップ一杯の水しか受け入れられない。人によって差はあるけどね。無理に注げば溢れて、拒絶反応で死ぬか、OGRE化する」
「俺はバケツくらいあると?」
「いいえ」
ナオミは艶然と笑い、身を乗り出して俺の鼻先へ指を突きつけた。甘い香水の匂いが、消毒液の臭いを上書きする。
「あなたはブラックホールよ。底がないの」
「ブラックホール⋯⋯」
「どんな膨大なデータも、異質な細胞も、あなたはごっくんしちゃうってこと」
恍惚とした表情で、ナオミは俺の左腕の義手を撫でた。
その指先が、這うように首へと登ってくる。
「だから、カスタムしてないその左腕でもフルスペックの出力が常に出せる。百パーセント中の百パーセントをどんなインプラントでも引き出せる」
そのままナオミは優雅な旋律に身を委ね、俺の頭にヘッドギア、四肢や胴体にケーブルを接続した。
「ってなわけで、準備できたから、そろそろいっちゃおうか」
その言葉を機に、視界は現実世界から隔離され、無数のコードが黒背景に流れていく。
俺はこれを知っている。全感覚没入型仮想体験。VRだ。
徐々に五感が仮想に沈みゆく。
消毒液の臭い、接続されたケーブルの感触、時折聞こえる銃声。味覚は変わらないが、これらが現実から切り離されていく。
視界を埋めつくすコードは徐々に収束し、黒から白へと視界が開けてくる。
「あ、デイヴィス? うん、今ダイブさせたところ。え? 三百回? 私は千回は死ぬと思うけど」
微かに耳に届いた言葉は、聞き間違いであってほしい。
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