Ch.1-1-1 一日だけ
『グッドモーニング、エブリワン! 今日も朝の顔、俺様パブロフがナウでビッグなニュースをお届けするぜ!
シティの殺人件数は一週間前の事件以降、毎日増加傾向だ。
まあ日常が戻ってきたってことだな!
それもしばらく続きそうだから、くれぐれも注意してくれ。
何しろあの”AA教”のトップが明日からシティに入る予定だとよ!
人以外の遺伝子を組み込んだ奴らだ、うっかりすると食われちまうかもしれねーぞ?
それじゃあ良い一日を、クソ野郎ども!』
◇2326年9月17日(水)11:47
背中にあたる陽の光が遮られ、温もりが消える。
「死ぬなら俺の店の前以外で死ね」
目は白く霞むのに、音だけが刺さる。死に際に残るのは聴覚だと、誰かが言っていた。
重たい瞼を開く。
霞んだ視界の端に白髪をオールバックにした男が立っている。
左目には黒い眼帯、年齢は六十代くらいに見えるが、この街で年齢を見た目で判断するのは難しい。CCのおかげで百歳でも十代に見える女もいれば、二十代なのに六十代に見せている男もいる。
「⋯⋯店?」
かすれた声しか出ない。喉が砂漠だ。
男は無駄口を叩きたくないのか、顎で自分の背後を指す。
なんとか頭を動かすと、男の後ろに確かに店のようなドアが見えた。
男はそれ以上を言う必要がないと判断したのか、あるいは無駄だと感じたのか、踵を返して歩き出した。
これが最期の会話か。まさか自分がスラムで死ぬとは思わなかった。
もう何も残ってない。この一週間は夢のようだった。悪夢の方だが。
霞みゆく目に映る景色は何も意味をなしてない。
ただ、それでも今まさに去ろうとしている男をそのまま行かせてはいけないと、勝手に声が出た。
「⋯⋯水」
男が足を止める気配がする。きっと振り返ってはいない。
「水、を⋯⋯ください」
もうほとんど尽きているが、死にたいわけじゃない。だから声が出た。
そうだ、なぜ俺が死なないといけない? 俺や両親が何をした?
おかしい、間違っている!
再び想いが巡ると、感情が溢れ、死ぬことを少し忘れる。
男からは何も聞こえない。
ただ、気付くと革靴が目の前に見えた。
ふわっと視界が上がる。腹に衝撃を受け、思わず咳き込んだことで肋骨が軋んだ。
「い、痛っ」
「文句言うなら自分で歩け」
ドアを開ける音で、自分が男に担がれていることを知った。そのまま薄暗い店内に連れ込まれる。
どうやら店の前で息絶えることは、免れたらしい。
◇2326年9月17日(水)11:52
部屋に入ると乱暴に放り投げられる。幸い落下先はソファだったようで、なんとか片手で身を起こす。
店、と言われればそう見えないでもなかったが、はっきり言うと汚い。
部屋の中央にはローテーブルと向かい合うように置かれたソファ、奥にはデスクと扉が三つ。壁にはところ狭しに、何かの義体パーツと見たことのない機材が雑然と並んでいる。
テーブルには酸化したオイルと甘ったるい甘味料が濃縮された臭いを放つ何かが散らばり、床には何かの回路基板と、カビの生えたピザの箱が地層を作っていた。そして、その全てを上書きするような、タバコの残り香。
整理整頓、清潔とはほど遠い空間。
とはいえ、壁一つ隔てることで、突発的な銃声や奇声、悲鳴が遮られ、久しぶりに心が落ち着く。
ボスっと足先に何か投げられる。水だ。三日前に飲みかけのボトルを盗んでから、今の今まで何も口にしてない。
必死で右腕を伸ばし、両膝でボトルを固定して蓋を開ける。かなりこぼれてしまったが、なんとか口をつけ一気に飲む。生き返る――。
「ゲホッ、ゲホッ」
むせた。喉が水を受け付けない。
「馬鹿が。そんな飲み方したら吐くぞ」
気付けば男がソファー近くに来ており、見下されている。声もあくまで冷淡で、俺を見つめる隻眼に同情も優しさも見えない。その表情はコードの中のバグを見つけたときのそれ。
もう一度、今後はゆっくりと飲む。一口ずつ少しずつ。
男はむせない俺に興味を失くしたのか、奥のデスクに移りタバコに火をつける。
そのままホログラムのモニターを起動させ、メールか何かを確認し始めた。
十分は経っただろうか。男はずっとモニターに向かい合ったままで、俺のことは空気だと思っているらしい。
単純に気まずい。助けを求めたが、まさか助けられるとは思ってなかったし、助けられたうえで放置されるとはもっと思ってなかった。
ひたすらに沈黙が流れる。男のくわえタバコから昇る煙の音さえ聞こえそうなほど。
だがこのままでは埒が明かない。少なくともお礼は言わないといけない。
「あの」
反応はない。
「あの⋯⋯。水、ありがとうございました」
男がこちらを向いた。まだいたのかと隻目が語っている。
「俺、一週間ずっと彷徨ってて。どうすればいいか何もわからなくて」
何を言っているのか、自分でもよく分からない。怨嗟、無念、絶望。
「俺⋯⋯。このままじゃ終われない⋯⋯。終わりたくない」
口が開いた。
「お前、名前は?」
「ジーク。ジーク・ダラス」
「そうか」
男は再びモニターに向き直った。
部屋を煙が支配する。
「お前、左腕はどうした?」
投げかけられた質問に呼応するように、無くなった左腕の痛みが主張しだす。初めてのライブでイキった時みたいに。
そうだ、左腕はもうない。忘れていたわけではない。
ただ、そのことを、今の今まであえて無視してただけだ。
口に出すと、ないという事実を認めてしまいそうだから。もう取り返しはつかないのに。
「……事故で」
「何の事故だ?」
男の声が低くなる。
「事故で腕が切断されたら、普通失血死だ。死んでないってことは適切な処置は受けている」
男が立ち上がり、近づいてくる。
「処置を受けられるってことは少なくとも中間層の出だ。それがスラムを彷徨っているってことは、社会的後ろ盾が失くなった。だからやむを得ず狭間を超え、スラムに来た」
向かいのソファに男が腰を下ろす。その目は俺ではなく、後ろの壁を見ている。抜けるような目線。
「所見からすると、一週間前にあった”CSF”の襲撃に巻き込まれたってところか」
息が詰まる。
あの夜の、紅い瞳が脳裏に蘇る。炎の中で、涼やかに立っていた男。
ずきん、と左腕が疼いた。
「紅い、目をしてた」
ピクリと男の眉が動いた——気がする。
「俺の腕を、父さんと母さんを殺した男。紅い目をしてた」
男の表情は変わらない。
全く変わらないが、咥えタバコの煙が一瞬だけ揺らいだ。
また一直線に昇る煙。
フーっと男が大きなため息を吐いた。
男はやおら立ち上がり、部屋奥の棚から錠剤を取り出し、俺に投げつけた。
「飲め、栄養剤だ。飲めば寿命がまあ三日は伸びるだろう」
ソファーに転がった錠剤を慌てて拾う。短いスラム生活で培った卑屈な動き。毒々しい紫の三粒。疑う余裕はない。水で流し込む。
しばらくすると、体に熱が戻ってくるのを感じた。CCが栄養を吸収し、細胞に送り込んでいるのだろう。
毒ではなかった。ラッキーだ。
「⋯⋯なんで、助けてくれるんですか」
「さあな」
男が再びデスクに戻る。
「一日だけだ。過ぎたらここを出て遠くへ行け。また店の前でぶっ倒られると、商売の邪魔でかなわん」
「⋯⋯ありがとう、ございます」
「礼はいらん。その代わり、死ぬなら店の遠くで死ね」
男がモニターに向き直る。会話は終わりらしい。
ソファに体を横たえる。久々の柔らかい床。へばりついたガムもスナックのゴミ袋も注射器も落ちてない。何よりコンクリートジャングルの獣たちの声が聞こえないのがいい。
天井ではファンが回っている。最近は知らない天井ばかり見上げるな、とボケた考えが頭をよぎったが、久々に安心できる環境ですぐに意識は睡眠の波に飲まれる。
眠りに落ちる直前、誰かの名前を呼ぶ声が聞こえたのと、素朴な疑問が頭に浮かんだ。
——俺を襲ったのはCSFだったのか?
朦朧とした意識で、俺は全て忘れた。
◇2326年9月18日(木)08:13
目が覚めた。久々のソファで無防備に眠りこけていたらしい。
デスクに顔を向けると、すでに男は起きており、キーボードを叩いている。
どうやら一晩中起きていたようだ。デスクの上に山盛りの吸い殻とカップ麺らしきものが散らばっている。
ソファから起き上がろうとしてバランスを崩しかける。腕を無くしたことに慣れてはいないが、それを少しの間忘れるくらいには熟睡できた。
体が昨日と比較にならないくらい軽い。と言っても通常時における最悪のコンディションだが。寿命は確かに三日は伸びたようだ。
「起きたか」
低い声が響く。緩んだネクタイと、無精髭が少し目立つようになった男は、昨日よりかは幾分ぬるくなった冷たい眼差しで俺を見ていた。
「あの」
「一日だけと言ったな」
淡々と男は言う。
「俺はこれから出かける。俺が戻ってくる前にここから出ていけ」
反論は一切許さない口調。
「⋯⋯はい」
俺の返事に男の顔が少し歪んだ気がした。そうであってほしい願望かもしれない。
立ち上がった男は冷蔵庫から何かを取り出し俺に放り投げた。チョコバーだ。彼の優しさは投げることだ。
自分は水を一口飲み、部屋の奥に消えた。
感謝の言葉は喉に詰まったまま出てこない。
◇2326年9月18日(木)09:41
出かける準備が整ったようだった。
スリーピースのスーツにパナマ帽、手にはアタッシュケースを持っている。シルエットだけ見るとスラム街には似つかわしくなく、コーポ層、高級街にいても全くおかしくない。
ただ明らかに佇まいは普通じゃなかった。つまり、危ない匂いがする。暴力の香水をまとってるのだ。
そもそもこの男は何者なのだろう。なぜ俺を助けたのだろうか。
「さっきも言ったが俺が返ってくる前にとっとと出ていけ」
「わかりました。色々とありがとうございました」
ふんと鼻息で返事をされる。男が片目で俺を見つめ、顔を逸らした。
「⋯⋯あーなんだ。ここを出て左に真っすぐ行けばここらを仕切ってる三下ギャング共のホームがある。殺されるかもしれないが、運が良けりゃファミリーになれるかもしれん。まあ鉄砲玉として使われるだろうが」
男がごちた言葉はどこか懺悔のように聞こえる。
「中間層近くには比較的まともな店もある。これも運次第だが拾ってもらえる可能性はある」
それがアドバイスということを理解するのに少しかかった。
反対に希望がかなり薄いことは、すぐに気付く。
「ありがとう、ございます。少し考えてみます」
すでに背を向けた男が右手をひらひらと動かす。もう掛ける言葉はないようで、店から出ようとしている。
「最後に教えてください。あなたの名前は?」
俺の言葉に男が立ち止まり、顔だけ振り返り、言った。
「デイヴィスだ」
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