Ch.0-1 ザ・シティへようこそ!(2/2)

  ◇2326年9月10日(水)13:54


 痛痛痛痛。

 目が覚めた瞬間、痛みが襲ってきた。いや、痛みで目が覚めた。

 左腕、いや、左腕があった場所が、燃えるように痛い。燃えてるというより、焼かれてる。

 何とか意識を外に向ける。

 知らない白い天井。消毒液の匂い。機械音。

 多分、ホスピタル。


「あ、起きた?」

 ちょうど部屋に入ってきた看護師らしき女が、事務的な口調で言った。


「意識が戻ったなら、即時退去して。ベッドが足りないの」

「え——」

 ここは? 俺は、両親はどうなった? いつ?

 疑問が溢れるが、看護師の口は止まらない。


「契約者のダラス夫妻は死亡確認済み。君の保険契約は両親に紐付いていたから、死亡と同時に失効。つまり、今の君は無保険の不法占拠者」

 冷めた目が語っている。とっとと出ていけ、と。

 

「あ、治療費は遺産から差し引いておいたから」

 追い出された。

 着の身着のまま、左腕もなく、行き場もなく。痛みだけがお土産。

 いや、断面を触ると明らかに安物の止血パッチが貼られている。


 中流階級の生活は、こんなにも脆かった。


  ◇2326年9月10日(水)15:32


 なんとか自宅がある集合住宅にたどり着く。

 左腕もなく、空腹を超えて飢餓すら覚える中で辛かったが、せめて家にさえつければ。荷物さえ取り出せれば。

 その後のことは考えてない。


 片腕がなく、歩くバランスを取るのにも苦労しながら、なんとか自宅のある五階に向かう。

 エレベーターを降りた先で俺が目にしたのは、自宅だった部屋に張られた黄色いホログラムテープ。資産凍結・立入禁止の文字が点滅している。


 膝から崩れ落ちそうになるのを何とかこらえる。

 それでも運搬ドローンは無情だ。家財が奴らの手で運び出されていく。俺には手がないのに。


「待ってくれ! その家は俺の家だ! テーブルもその服も全部うちのなんだよ!」

「はぁ」

 近くにいた業者らしき男は気の抜けた返事を返した。


「おい、待ってくれってば! やめろよ!」

 右腕で男を引っ張る。その動きでさえ体は耐えきれず、尻餅をつく。

 俺を見下す男の目は哀れとも情けもない、人でないものを見るような、澄んだ無関心があった。


「兄ちゃん」

 男が諭すように言う。


「すまねぇが、こっちも仕事でね。もうすでにこの部屋の前の住人との契約は切れて、新しい住人が決まってるんだ」

 ドローンの仕事は止まらない。

 だが、ここで引き下がったら終わりだ。俺は立ち上がり、叫んだ。


「それでも家財は前の住人のもののはずだ。勝手に持ち出すのは契約違反だろ!」

 男がため息をつく。ツカツカと俺の近くに来たかと思うと、胸ぐらを掴み、俺を壁に押し付けた。衝撃で息が漏れる。


「契約終了の時点で部屋の中にあるものは全て住宅管理会社のものになる。俺はそれを運んでいるだけだ」

 息が苦しい。筋力強化インプラントを使っているのか、右腕だけでは到底男の手は外せなかった。


「もう諦めろ。なにか事情があったのはわかるが、そんなものはこの世界じゃありふれてる話だ」

 男の手が外れる。俺は再びバランスを崩し、へたり込む。


 誰も助けてくれない。

 通り過ぎる住人たちは、関わり合いになるのを恐れて視線を逸らす。


 これがこの街、ザ・シティ。

 金と契約が全ての街。それを失った人間に、人権など存在しない。

 俺にできることは床を見つめることだけだった。


  ◇2326年9月17日(水)11:23


『件名:アカデミー退学処分のお知らせ』

 空腹で頭が働かず、行き先もないまま彷徨っている中、レンズのHUDにポップアップがノイズ混じりに表示された。そのまま充電切れ。

 乾いた笑いももう出ない。


 家を失い友人も頼ってみたが、噂が回るのは想像以上に早かった。

 親を通り魔に殺され、自らも左腕を失った孤児を匿ってくれる家庭なぞいるはずもない。

 普通に考えれば分かることだが、普通のことすら分からなくなるほど追い詰められていた。


 ホスピタルを出て一週間、満足な生活はできていない。

 賑わっている地域では企業が目を光らせており、少しでも休もうと座り込むだけで民間警備に立ち退かせられた。

 二日は二十四時間営業のカフェで体を休められたが、手持ちの金がなくなるとそれもできなくなった。


 最後の手段のスラムに入ったのは四日前。メガコーポが支配するこの街の吹き溜まりで、正真正銘の無法地帯。都市部以上の弱肉強食の地。

 その路地裏を俺は今、亡霊のようにさまよっている。

 

「あー俺死ぬのか」

 水は三日前に飲みかけのボトルを拝借したから少しは取れた。雨が混じっていたのか、酸っぱかった。きっと今の俺の体は酸性だろう。

 

 食事は五日、取れてない。

 スラムに入ってすぐ、残飯を漁ろうとしたが、どうやら縄張りがあるらしい。すごい剣幕で追い払われた。今思えば、怪我もさせられず追い払ってくれたのは優しさだったのだろう。

 

「あー俺死ぬのか」

 声が乾いていた。

 左腕の傷口が熱を持って疼く。痛みはもう麻痺してる。感染症を起こしているのかもしれない。失った傷口から生気が漏れてる気がする。


 通り過ぎる輩は、俺を値踏みするような目で見ている。襲ってこないのは自ら手を下すわけもないと考えているのだろうか?

 きっと俺が死んだら喜んで駆け寄ってくるのだろう。その後は臓器を売るか、実験台にするか。もしかしたら食べられるのかもしれない。


 足がもつれて、汚い道に倒れ込んだ。地面は冷たく、体の熱が吸われていく。

 かろうじて頭をあげると、路地裏の道の先にメガコーポの高層ビル群が神々しいほどに輝いて見えた。


 あそこは、暖かくて安全な場所だ。安全な水もリアルフードも山ほどある。

 俺も数日前までは、あそこにいたのに。


 悔しい。

 なんで俺なんだ。なんで両親が殺されなきゃならなかったんだ。

 紅い瞳の男。脳裏に焼き付くあの紅い瞳の男。

 

 あいつが、奪った。俺の人生を、未来を、全てを!


 殺してやる。

 殺してやる殺してやる殺してやる。


 憎悪だけが、消えかけた命の火を燃え上がらせた。

 燃え上がった火は、死ぬまで消えない。ループ処理するCPUと一緒。

 体に、熱が戻る。気力、精力、怒りと憎しみを糧に心が燃える。


 俺は泥だらけの右手を突き立て、地面を掴んだ。

 爪が割れ、血が滲む。痛みが気付けだ。


 呼応するように、麻痺していたはずの左腕の断面が、心臓に合わせて脈打った。

 痛い。死ぬほど痛い。だが、その痛みこそが、俺がまだ生きている証拠だ。この痛みを忘れてなるものか。

 俺は立ち上がった。


 ふらつく足で、一歩を踏み出す。 視界が揺れる。でも止まらない。

 ここで死んでたまるか。

 必ず。いつか必ず果たすのだ。

 電脳の海で藻屑となろうとも。企業が支配するこの街でどんなに矮小であろうとも。

 生きる。生き延びてみせる。

 生き延びてあいつを殺す。


 ふらつく足で、一歩を踏み出す。

 ああ、すごい。体からスパークが走ってる。青い青い光。あの夜に繋がった線が、まだ皮膚の内側に残っているみたい。周囲に転がるガジェットも、俺に共鳴して踊り狂ってる。


 さあ、あいつを殺しに行こう。

 どこに行けばいいのだろう?

 ただ、前に進む。一歩、一歩。

 視界が揺れる。でも止まらない。止まったら、終わりだ。

 

 だが体は崩れ落ちた。背中に陽の光が優しく照るのを感じる。

 そして——。


 そして不意にその光を影が遮った。


「死ぬなら俺の店の前以外で死ね」


 煙草の匂いがする。

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