この電脳都市に錆びついたキスを
愛上おかき
Ch.0-1 ザ・シティへようこそ!(1/2)
一生忘れられない赤が、網膜に貼りついた。形を変え続ける炎の舌に皮膚を舐められ、熱い。
肉が焦げる臭いと、甘ったるい化学物質の臭気が混ざり合い、鼻腔を焼く。
眼前には、俺を見下ろす”紅い瞳”の男。
そいつは赤の中にあって、汗ひとつかいていない。涼やかな無関心。
「左腕でいいか」
男が呟く。問いかけではない。決定事項の通達だ。
次の瞬間、紅が線を引いた風が抜けた。
痛みはない。ただ、熱だけが走る。
視線を落とすと、俺の左腕があるべき空間は、空虚。
噴き出す鮮血が、炎に照らされて新品のネオンのように輝いている。
「あ、が⋯⋯」
声にならない悲鳴。だが、痛みより恐怖より先に感じたもの——強烈な違和感。
切り離された左腕の神経が、まだ繋がっているようだ。
いや。事実、繋がっている。
鮮血に紛れて、目に見えない光のケーブルが断面から伸び、目の前の男と繋がっている。
金色のファイバーを通し、俺の中の”何か”が、男に流れ込んでいく。
血液よりも、もっと根源的な、俺という存在そのものが、増殖され、流出しているかのような。
不可分を分け合った赤い瞳の男の言葉は、やけに大きく聞こえた。
「——サンプル、確保完了」
その言葉が、俺の世界が終わる証だった。
意識が暗転する直前、俺は確かに聞いた。
男が微かに漏らした、歓喜とも恐怖ともつかない声を。
「これで”Project Helix”が進む」
◇2326年9月8日(月)07:28
『グッドモーニング、エブリワン! 眠らぬ街、”ザ・シティ”にようこそ! 今日も気だるい朝がやってきたぞ!
今日の天気は見てのとおり、どんより曇り。夜は酸性雨が降りそうだ。
剥き出しのインプラントは錆びちまうし、スリと誘拐にはもってこいだから特にスラム周辺は気を付けろよ!
そして昨日のシティにおける殺人件数はCSF発表ではゼロ人で、なんと六日連続でゼロを記録! これは三年前の記録に並ぶレコードだ!
ただ、くれぐれも注意してくれ、そろそろヤク中やら”OGRE(オーガ)”やらが暴れそうな雰囲気がプンプンしてらぁ!
それじゃあ良い一日を、クソ野郎ども!』
「ハニー、もう出なきゃいけない時間じゃないの? ジークもそろそろスクールバスが来ちゃうわ」
まだ眠いんだよ母さん、と口に出すのも億劫な朝だ。低気圧のせいか頭もずきずきと痛む。
リビングに向かうと、培養コーヒーをすすりながら、情報番組の”Good Morning the City”を父がニヤけ面で見ている。流行りのアイドル特集。
「おお、ジーク。見ろよこの”GALACTIKA”の新曲。聴くだけで脳内麻薬がドバドバ出てキマっちまうって評判だぞ」
「感情を支配されるなんて反吐が出るね」
パンク育ちなのだ、俺は。
テーブルに置かれた、ゴムだかガムだかのような食感のトーストを囓る。
原材料、不明。ジャムは蛍光色のペースト。中流家庭のリアル。
月イチのリアルフードが恋しい。
「今日は遅くならない。新学期のオリエンテーションとCCIの測定だけだから」
目にスマートレンズを入れながら伝える。最近、物体認識の速度が遅い。寿命だ。いい加減この型落ちを新調したい。
「分かってる。ハニーも早く帰ってきてね? 今日は前祝いで一か月前からリアルフードの店を予約してるんだから」
「ジークももう十八か。今回は測定でエラーがでないといいが」
前回十歳の測定ではエラーが出た。そのせいでしばらく同級生たちにからかわれたから、よく覚えてる。
さすがに八年も経てば、計測器だって進化してるだろう。
◇2326年9月8日(月)14:23
「次の方、どうぞ」
「はい」
アカデミー管轄のホスピタル。無機質な白で統一された個室には、
メガコーポから派遣された医師と、簡易ベッド、そして計測器が置かれている。
十歳の検査時は大部屋で一気に実施したが、今回はプライバシー保護のため、一人ずつだ。
「えーっと、ジーク・ダラス君ね。来週十八歳と。じゃあ本人証明のために、チップ読み取るから左腕出して」
左手首に埋め込んでいるチップをスキャナーにかざす。
「はい、オッケーです⋯⋯。十歳の時の測定値がゼロっておかしいねえ」
検査医師はメガネ型ウェアをつけた中年男。頭はバーコード状、襟もよれよれ。コートの左胸には”トノヤマ・メディカル”の社員証がこれみよがしに光っている。
所詮、こいつもメガコーポの犬だ。
「装着型のサイバーウェアは普通に動かせます」
「じゃあ機械の故障かな? まあ今日のは最新型だから安心していいよ。コアパーツは”Helix Corp”のもの使っててね、君の友達もサクッと終わったから」
またHelix。この街の全てはあの企業が支配しているのだろう。
医師のサイボーグ化された右手から伸びる接続端子が、計測器にドッキングされた。
「じゃあ服を脱いでそこのベッドに仰向けで寝てくれる?」
言われたとおり上着を脱ぎ、ベッドに寝転がる。心電図を取る時のように、足首と胸にパッドが貼られる。
「採血もするからちくっとするけど、リラックスしててください」
目を閉じると右肘にちくっとした痛みを感じた。
瞼を貫いて天井の明かりが目を焼いている。
不快な高周波音が鼓膜を叩き続ける。⋯⋯長すぎだろ。
薄目を開けて医師を盗み見ると、思わずギョッとした。
医師の目はデスマーチの完走直後の父親くらい血走り、モニターを穴が空くほど注視している。
「何か問題ですか?」
「——あ、いや、ちょっと待って」
気を取り直した男が測定器を叩く。何世紀前のやり方してんだ。
何も変わった様子はないじゃねぇか。
その時、オンボロスマートレンズが男のメガネ型ウェアの通信をかろうじて捉えた。暗号化されていて、断片しかわからない。
『——rge det...ed... tra…; A..O-R.P..T: HEL… / PRI…Y: HI..』
ノイズ混じりで意味不明だが、何か嫌な予感。
「ジーク君、ちょっと製造部に確認してみるから、また二日後に来てくれるかな?」
不安が顔に出ていたのか、男が和ますように笑った。
「いや、やっぱり来週にしよう。少し時間がかかるかもしれないから」
男が隠すようにモニターを消す。だが消える直前、俺は確かに見た。
測定結果の欄に表示された、見慣れない記号。横倒しの八——無限大。
何かが、おかしい。
◇2326年9月8日(月)20:36
「リアルの焼き鳥はやっぱりうまかっただろ、ジーク?」
父さんはアルコールの酩酊効果も相まって上機嫌だ。
ネオンの光が水たまりを反射して繁華街に降り注いでいる。
向かいのショーウィンドウには、最新の軍事用インプラントのモデルが性能をひけらかすために踊っている。
「でもやっぱり煙の臭いがつくのが難点よね、この服、クリーニングに出さなきゃ」
リアルフードであることを強調するために客の前で調理するのが売りの店だが、反面煙をもろに浴びることになる。
服についた臭いが気になるのか、母はしきりにお気に入りの服をはたいている。
家に帰ったら消臭クローゼットに入れれば済むのに。
「俺はやっぱりタレだね」
「いや、やっぱり塩よ。素材の味を楽しまないと」
また始まった。二元論になると対立する。そしてヒートアップ、喧嘩寸前で父が折れる。お約束だ。
熱が上がってきている二人と同じグループに見られたくなく、速足で少し先を歩く。
「ジークは将来どうしたいんだ?」
父さんが唐突に訊いてくる。酒に任せてるのか、本心なのかはわからない。なぜ今? とは思わない。それが不器用なりの優しさだとはわかってるから。
「まだ分からない。でも」
「でも?」
「メガコーポには入りたくないかな。むしろ、俺が新しい仕組みを作ってみたい」
——体制への反発は、若気の至りと言われればそれまで。だが、本気だ。
それを聞いた二人はなんとも言えない笑いを浮かべた。
「お前らしいな」
ふいに、父の大きな手が俺の頭に乗せられ、髪をくしゃりと乱される。
「よし、じゃあ約束どおりインプラントショップに行くか!」
数週間前に男同士で交わした約束を思い出した。俺が欲しいインプラントの二ランクは上を買ってもらえるはずだ。
母は隣で笑ってる。
絵に描いたような、中流家庭の幸せ。
そして日常は不意に崩れるものでもある。
ネオンに照らされた俺らを、それ以上の閃光が覆い隠した。
◇2326年9月8日(月)20:41
網膜を焼く光。ほぼ同時に爆音。少し遅れた衝撃波で吹き飛ばされた。
視界が戻る前に、震える鼓膜を悲鳴と何かが壊れる音が殴りつける。
ようやく戻った視界が捉えたものは、日常とは真逆の戦場だった。
ひしゃげたフレームにかろうじてロゴが分かる、黒ずみになったタクシーの車体と、巻き込まれて大破した数台の車。
道路に投げ出され、怪我で泣き叫ぶ人や、電話で保険会社か何かに怒鳴りつけている富裕層。
スマートレンズが”ERROR”と”WARNING”で埋め尽くされる。
ただ、俺の心臓がうるさいほど鼓動しているのは、網膜に投影されている光景が原因じゃない。黒煙に隠れて目に見えないもののせいだ。
何か、いる。
「⋯⋯OGREだ! 逃げろ!!」
誰かが叫んだ。
直後、車が数台吹き飛び、近くの店に突っ込む。
炎とガラスが飛び散り、思わず身をすくませる。
炎の中にそれは立っていた。
人より頭一つでかい巨躯。二メートルは超えてる。四肢は黒光りする装甲に覆われ、明らかに普通ではない。
いや、事実人を超えているのだろう。全身インプラントなんて、歩く戦争だ。
兵器の右手に握られた刀は、車を両断できそうなほど巨大で、何より——紅い瞳。
その瞳は俺を見ている。なぜか目をそらせない。
「ジーク! こっちだ!」
父さんが母さんの手を引き、俺を庇うように前に出る。
一際大きい”WARNING”。
あっと声が出る前だった。
男は俺から目線を外すことなく、ただ右腕が一瞬ぶれた。
二人分の体が四つに別れる。上と下。
炎とは違う赤が地面に広がっていく。
上が地面に落ちるとドチャッという肉が叩きつけられる音。広がる嗅いだことがない、でも生理的に受け付けない臭い。
同時多発的に悲鳴が響き渡り、野次馬の群れが俺と男から一気に遠ざかった。
手の感覚がない。口の中も焼き鳥の残り香を上書きするように酸味が満ちていく。
目の前に広がり続ける赤、ピンク、白、黄色。
俺の頭は白さえもない。無。
何が起きた? これは何だ?
目の前で起きている出来事が何も理解できない。理解したくない。
本能的に目の前の男を見上げた。
その瞳はひたすらに紅い。初めて見た血の色そっくり。
その瞳は確かに俺を見つめているはずだが、もっと奥、俺の中の何かを見据えているかのようだった。
「左腕でいいか」
ふっと風が左側を抜けた。
同時に左腕に走る灼熱。違和感で声が漏れ、反射的に左腕を抑え——ない。
あるべきものが、ない。
見下ろすと、鮮血が噴き出している。ちょっと綺麗。
俺の腕はどこだ? 痛み、疑問、痛み、痛み。
再び爆発する人の声。思わず振り返ると、目の前にいるはずの紅い瞳の男が誰かの腕を拾っていた。
これは現実じゃない。なぜあいつは腕なんか持ってる? 両親は、二人はどこに消えた?
スマートレンズがついに壊れた。だってあれを両親と表示している。
薄れゆく意識の中で、俺と男が閃光で繋がったのを見た。
パケットロスがない、完全な同期。
リンクした光の道を通って俺の何かが男に流れ込む。シンクロなのに一方通行。
いや、あいつの何かも俺に入ってくる。ただ、それが何かは分からない。
最後に聞こえた赤い瞳の男の声は、やけに大きく聞こえた。
「サンプル、確保完了」
暗転、明転、暗転。
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