2話 異界の理

 村の灯りが遠くに見える開けた場所で、カインは足を止めた。


 これ以上近づくのは危険だ。


 コレットの特異な波長は、即席の隠蔽術式で誤魔化してはいる。だが、いつまた強力な魔獣を引き寄せるか分からない。


「……さて」


 カインは手近な切り株に腰を下ろし、黒髪をかき上げた。視線の先には、小さくなって立っているコレットがいる。


「話してもらおうか。お前は何者だ?」


 単刀直入な問い。

 コレットはビクリと肩を震わせ、視線を彷徨わせた。


 泥で汚れたスカートの裾を、指の関節が白くなるほど強く握りしめている。


 その顔色は蒼白で、何かを言うのを極端に恐れているようだった。


「……信じてもらえないと思います」


 消え入りそうな声。

 それは、これまで誰にも言えず、否定されることを恐れ続けてきた人間の反応だった。


「俺は事実しか見ない。お前の波長が、この世界の理から外れていることは既に確認済みだ」


「でも……」


「言え」


 カインの揺るぎない瞳と言葉に、コレットは意を決したように顔を上げた。琥珀色の瞳が揺れている。


「……私のいた場所は、『メモリア大陸』にある、ミオソティス王国という国でした」


 カインは眉を顰めた。

 この世界「レーテ大陸」の地理、歴史、文献の全てを頭に入れているカインだが、そんな大陸名は聞いたことがない。


 辺境の小国や、失われた古代文明の異称かとも考えたが、彼女から感じる「異質感」は、もっと根本的な断絶を示していた。


「聞いたことがないな。いつの時代の話だ?」


「私がいた頃……いえ、私の生まれ年は、竜歴1250年頃です」


「私が『いた頃』?」


 コレットの声が震える。

 竜歴。それもカインの知識にはない暦だ。この世界で使われているのは「星歴」であり、竜を基準にした暦など神話の時代にすら存在しない。


「……続けろ」


 カインが先を促すと、コレットは自身の胸に手を当て、搾り出すように語った。


「死んだはずの私は、気がついたらこの世界の赤ん坊として生まれていました。


 最初は混乱しました。大人の意識があるのに、体は動かなくて……言葉も通じなくて」


(……生まれ変わりか?)


「最初は、前の世界の記憶が鮮明にありました。父様の顔も、母様の温もりも、私がどうやって死んだのかも。……でも」


 コレットは唇を噛み締めた。


「成長するにつれて、だんだん曖昧になってきているんです。まるで、この世界の体と心に上書きされていくみたいに……大切な記憶が、薄れていって……」


 恐怖。

 彼女が抱えているのは、自分という存在が変質していくことへの根源的な恐怖だった。


 カインは黙って聞いていたが、脳裏にふとある男の顔が過っていた。


 かつての戦友であり、マナを持たぬ特異点。彼もまた、酒の席で冗談めかして語っていたことがある。


『俺実は、転生者ってやつでさ。前世の世界は魔法なんてないとこだったんだよ。チキュウって星にあるニホンって国だ』


『そっちで死んで、こっちで赤ん坊からやり直して、最初は色々覚えてたんだけどなぁ……最近じゃ、向こうの親の顔も思い出せねぇや』


 当時は酔っ払いの戯言だと聞き流したが、目の前の少女の症状とは奇妙に符合する。


 別の大陸、別の暦、そして肉体と魂の不一致による記憶の摩耗。


(……なるほどな。まさか、あいつのふざけた話が役に立つ時が来るとはな)


 カインの中で、仮説が確信へと変わった。

 世界の外側には、別の世界がある。


 あの男がそうであったように、目の前の少女もまた、そこから弾き出されてきた漂流者なのだ。


 そう考えれば、解析不能な波長の説明もつく。彼女の魂そのものが、この世界の「絵の具」とは違う材質で描かれているのだ。


「……カインさん?」


 黙り込んだカインを不安そうに見つめるコレット。カインは溜息を一つ吐き、立ち上がった。


「理解した。お前は『転生者』……向こうの記憶を持ったまま、こっちへ迷い込んだ魂というわけか」


「え……? し、信じて、くれるんですか?」


「証拠なら目の前にある。お前のその異常な波長だ」


 コレットの顔が、驚きで固まり、次いでくしゃりと歪んだ。


 今まで誰にも言えなかった孤独。


 世界中どこにも居場所がないという絶望。それを初めて「理解」された安堵が、彼女の瞳から涙となって溢れ出す。


「あ、ありがとうございます……っ。信じてくれて、本当に……」


「泣くな。鬱陶しい」


 カインはそっけなく答え、話題を変えた。


「それより、問題はその体質だ。お前、自分が何をしているか分かっているか?」


「え……?」


「さっきの魔獣だ。あれを呼んだのはお前だ」


 コレットは顔を青ざめさせた。

 薄々は気付いていたのだろう。


 村人たちの冷たい視線、「あの娘が産まれてから魔獣が増えた」という陰口。


「この世界には『マナ』というエネルギーが満ちている。空気や水と同じだ。俺たち魔法士は、そのマナを呼吸するように取り込み、体内で『構成式』という型にはめて、現象として出力する」


 カインは指先を立てた。そこに小さな火種が灯る。


「燃料、酸素、熱。これらをマナという接着剤で固定し、『火』という現象を世界に定義する。これが魔法だ。……だが、お前のは違う」


 カインは火を消し、コレットを指差した。


「お前の使う力は、マナじゃない。似て非なる、もっと根源的で高純度なエネルギーだ。この世界の法則(プログラム)には存在しない、規格外の力」


「規格外……」


「お前が魔法を使おうとするたび、その規格外のエネルギーが、術式として形になることもなく、生のまま周囲に垂れ流されている。言わば、血を撒き散らしながら森を歩いているようなものだ。鼻の利く魔獣共が狂うのも無理はない。お前……魔法を使ったな?」


 コレットは絶句し、自分の手を見つめた。


「私の世界にも魔法は存在しました。私も……魔法が使えて……この世界でも使えるんじゃないかと何度も試して……」


「それが原因だな」


 自分では何とかしようと足掻いていたことが、逆に事態を悪化させ、村を危険に晒していたのだ。


「そんな……。じゃあ、私はどうすれば……」

「……」


 カインは答えず、村の方角を見た。

 彼女が村に戻れば、また魔獣が来る。今度はもっと強力なやつが。


 コレットもそれを悟ったのか、涙を拭い、顔を上げた。


「……行きます」


「なに?」


「村を出て、誰もいない遠くへ行きます。このままでは、親切にしてくれた村の皆さんに迷惑をかけてしまうから」


 悲壮な覚悟だった。

 魔力制御もできない無力な少女が一人で森に入れば、それは自殺と同義だ。


 だが、彼女は村を守るためにそれを選ぼうとしている。

 カインは頭を掻いた。


 ――面倒だ。


 実のところ、これ以上関わる理由はどこにもない。

 だが、ここで彼女を見捨てれば、あの男の言葉が脳裏をよぎる。


『もし俺みたいな奴に会ったら、力になってやってくれ。きっとそいつも困ってるはずだからよ!』


 あの能天気な笑顔が、カインの死にかけた良心をちくりと刺す。


 それに、彼女の持つ「異世界の力」への興味も尽きない。解析不能な力を制御できるようになれば、それは新たな魔法技術のブレイクスルーになるかもしれない。


 理由は、こじつけで十分だ。


「……一人で行くのは勝手だが、死ぬと分かっていて見送るのは寝覚めが悪い」


 カインは言った。


「俺について来い。魔獣が寄ってこないよう、お前のその垂れ流しの魔力を制御する方法を叩き込んでやる」


「え……? で、でも、そんなこと……」


「できる。俺はお前が想像しているより、少しばかり魔法に詳しい」


 カインはニヤリと笑った。それは「最強」の自信に満ちた、不敵な笑みだった。


 コレットは呆気に取られていたが、すぐにその意味を理解し、琥珀色の瞳を潤ませて何度も頷いた。


「お願いします……! 私、何でもしますから……!」


「何でもはしなくていい。ただ、俺の実験台になってもらうだけだ」


          ◇


 こうして、奇妙な契約は結ばれた。

 国を捨てた最強の魔法士と、世界を知らない異邦の少女。


 世界を救わない、しかし世界の理すら超える二人の旅が、ここから静かに始まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る