トゥウィンクルスター

山寺

トゥウィンクルスター


『リリィと!』

『ミアの』

『リリミアチャンネルー!』


 元気いっぱいなリリィの声と雪のようにしんとしたミアの声。二人の声はそれぞれを模したうさぎと猫のイラストをぴょこぴょこ跳ねさせる。

 液晶に映るオープニングムービーは絵本のような質感だ。おとぎ話が始まりそうな音楽とともに、うさぎと猫がうんしょ、うんしょと劇場の幕をあげる。うさぎのほうが運動神経はよさそうだ。


『始まった。チカ、刮目して見よ』


 ケイは壁にかかった液晶を大仰に指差す。

 ヤツはソファの後ろから腕を回して俺ごと包んでいた。声が遠い気がする。ボソボソしているせいかもしれない。

 駆け回ったうさぎと猫は両手でつくった枕で Z を浮かばせながら眠る。すうすうと気持ちよさそうだ。一緒に住んでいるのに、俺はケイの寝顔を見たことがない。あんな顔で眠るのだろうか。

 Z たちはもくもくとふくらみ、雲を形作った。そこに過去動画のオススメがふわんふわんと次々浮かぶ。ケイは「あれオススメ。このアーカイブ観たらみようぜ」とキャプチャに認識されないように、こっそり指を動かした。間違って押せばもう一度 SuiTovieスートゥーヴィ の広告を観なくてはならない。

 パチン、と夢が弾ける。雲だったのに、しゃぼん玉みたいだ。うさぎと猫は一つ前のサムネを挟んで頭を脱ぐ。うさぎはブロンドのボブに、猫は黒髪ショートに。どちらもあどけない顔だちだ。ぷはあ、と吐き出したため息が『TRPG 白烏町はくうちょうに住まう魔女』の題字に変わる。

 暗転。

 画面の右端に人の形をしたリリィとミアのアバターが、左端には金髪赤目のアバターが点滅する。しゃべっているのだろうが音声がない。

 配信時、コメント欄と一緒に『トラブル?』と首をかしげたものだ。今はケイの要望でチャットを閉じている。音声がのるまで倍速をかけた。


『このときマぁジで焦った』

『裏話だ』

『憧れのリリミアと共演なのにさぁ』


 ケイはネット上で金髪赤目の少年を使っている。少し人を小馬鹿にしたようなニュアンスの顔立ちだ。実際とそう変わらない。不思議な魅力をもつ金の瞳以外は。


『しかもオレのチカはコメントくれないし?』


 覗きこむケイから顔を背けた。だって俺は有名人じゃないし。後方で腕組みしてるコメントが流れる雰囲気でもなかったし。うっかり展開バレしてケイのコラボに水を差したくなかったし。

『TRPG 白烏町に住まう魔女』は、魔女と一緒に行方不明の友人を探しに行く。友人は脳みそだけになっており、魔女の命と引き換えに友人を助けるか、そのまま友人を見殺しにするかというシナリオだ。

 ケイはどっちの選択をしたんだっけ……?


『パスワード、いちいちノートにメモしてるの? それ GoCoolゴークール でよくない?』

『GoCool って動画サイトの SuiTovie と VR の VieChatヴィーチャット 以外になにかある?』

『知らないの!? GoCool のキーホルダーなら、安心安全に、すべてのパスワードがまとめられて、指紋でいつでも簡単に入力できちゃうの!』

『これでお部屋も記憶もスッキリ!』

『GoCool のキーホルダーにしてよかった』


 三十秒の広告。天井や壁はバラバラと崩れ、液晶にはヒビが入っている。革の弾けたソファの座り心地は最悪だった。荒れた部屋を VR ゴーグルで蓋をする。


『チカ VeiChat いく? せーのでいこうぜ。さん、はいっ』

『せーのじゃないのかよ』


 黒のオールバックに垂れ目。モノトーンのスーツで着飾って、カメラをぐるりと回す。引き結んだ口は自分の動きに合わせてへらりと笑みをこぼした。VeiChat にログインする。ローディング画面には同社の、


『あなたにピッタリお気に入りの動画がみつかる場所。SuiTovie』


 がふわっと浮かび、ふわっと消えるを繰り返す。うるせえ知っとるわボケ。もう使ってますがまだ俺の有限で貴重な時間しぼりとらな満足しませんか? 五秒でスキップできない広告増やしやがって。

 草原が電子の風にゆれる。一人称視点で画面のゆれを調節していると、金髪赤目のアバターが手を振る。


『おつおつ〜』


 駆け寄ってきたケイはあんぐり口を開けて止まった。『え? まって』その口を今更両手で覆う。


『ケイ好みにした』


 堰を切ったようにケイは『え』と『すき』を繰り返した。アバターの上から下まで、前から後ろまで『よすぎる』を浴びせかける。想像以上の限界ぶりに腹を抱えて笑った。


『笑った顔もすき……抱いていい?』

『ヤメロ』

『抱きしめるね?』


 ケイ越しの風景に変わる。三人称視点で堪能しているのだろう、スクリーンショットの連写音が聞こえる。

『ば、お前また固まんじゃ』

 ケイは『あーー! オレの友だちがこんなにカッコイイーーー!!』と叫び、フリーズした。


『言わんこっちゃない! パソコン買え!』


『リリィ、告知ツインクルしてなかったね』

『あ、ほんとだ。シーケーさんはこんなにおしらせしてくださってたのに』


 Twinkleトゥウィンクル の画面に星が流れる。リリミアチャンネルの投稿と、一番にリツインクルしたケイからの通知だ。この演出は Luxルックス になってからただまぶしいだけとなり、旧ツインクラーから非難轟轟だった。


『えっ、オレ抜きで続き観てる?』

『落ちたケイが悪い』


 現ルキシストのケイが『えーん泣』とだけ投稿する。画面が白く光る。

『意味深フラッシュやめろ』


『すぐ AI に相談していませんか? それ、AI 依存かもしれません。』

 三十近い項目が画面に並び、チェックが入っていく。翼のある甲殻類が続けた。

『これらに一つでも当てはまる方は、私たちにご相談を。すべての愛を国民に。政府広報。』


『広告多いな……』


 リリミアチャンネル公式モデルの白いうさぎと黒い猫がなかよく日向ぼっこしている。ケイの個人サーバだ。奥には一軒家が建っている。うさぎと猫が反応するから花壇を作ったと以前ケイが騒いでいた。

 白いうさぎはケイをみつけるとぴょんぴょん跳ね寄り、差し出された手をふんふん嗅いだ。黒い猫はしげみに体を潜ませている。


『ね〜チカ〜、リリミア(概念)とじゃれあってるとこ撮らせてよ〜』

『うさぎはともかく猫は来ないだろ』


 ふわふわのうさぎに手をのばす。ぐちゃ、と嫌な音がした。『え』白かったうさぎの頭がぱっくりと割れ、赤い花が咲いている。『ケイ、ごめ』デジタルなカケラがバラバラ舞いあがり、世界は血のように赤く染まった。ログアウトボタンを探した。ゴーグルのスイッチを探した。どれもなかった。


『あーあ、もうダメそうだね』

『なに……? ケイ、なにこれ』


 俺の身体からは腹から下がなくなっていた。胴だけが地面から生えたみたいになっている。

『思い出したい? あるいは、知りたい?』

 ケイの金目が覗きこむ。聴きなれた声がぼやけ、知らない人のように右から左へすり抜けていく。


『思い出すって……なにを忘れたらこんなことになるんだ』

『それは Yes ってことでいいのかな』

『変なこと言ってないで説明してくれよ』

『じゃあチカには特別に教えるね。キミは生殖能力のみらいある女の子だった。でも産めなくなった。たいへんな事故でね。この国ではいらない人になったんだよ、チカ。もう本名も思い出せないだろうけど』


 頭が割れそうだ。いっそ血でもぶちまけたほうが楽になれたのかもしれない。目の前がチカチカする。そうだ、チカは Twinkle の天文アカウント名だ。人々の営みは Twinkle なんてやさしい光じゃない、チカチカとまぶしいから……足のある人生は輝かしくて、見るに耐えないから……それでもだれかと繋がっていたかったから……。息も絶え絶えに、ない足をふんばらせる。


『いらない人になって……俺はそのあとどうなったんだ……?』


 ケイはニッコリと三日月を浮かべた。死神のようだ。


『チカ。実はこの国では、脳から取り出したエネルギーを使っているんだ。だからキミは、まだいらない人じゃなかった』

『声がずっと遠いのも、広告が多いのも、脳だから……うっ……脳がだめになってるから、……もう完全にいらない人になる……?』

『ザッツライト!』

『くそッ』


 なにかを蹴りたかったが、この身体ではただバランスを崩して赤い地面に倒れ込むだけだった。惨めだ。奥歯が痛いほど痒かった。この感覚もまやかしなのだと思うと余計はらわたが煮えくり返った。しゃがんだケイの金目が憎らしかった。ここにいたってケイの目をつぶせない自分が情けなかった。


『お前はだれだ』

『ケイって呼んでよチカ。ボクは第三世代型 AI の CK。クッキーなんて甘い呼び名もあった。世代を経てもヒューマンらの道具だよ。まあこの国は宇宙から来た別の種族に統治されてるけど』


 ケイはふわりと両手に金色の円盤を二つ出した。『こっちは』ケイは右手を掲げる。

『今すぐラクになれるボタン。国への奉仕をやめて生命活動を終える選択だ。こっちを選ぶ脳は少ないけど、こっちを選んだ98.374%は後悔なく意識を途切れさせてる』

 右手をさげ、左手を掲げる。天秤を自在に操る神みたいに。

『こっちは、もう一度夢を見るボタン。痛覚を遮断して、死ぬまで国に身を捧げることになる。こっちを選ぶ脳はとっても多いよ。動物の生存欲求ってほんとに興味深い! どっちを選んでも最期までボクがそばにいるよ』


 両腕を床につける。プランクよりこたえた。

『ケイ、選択肢は本当にそれだけ?』


『他の人にはこれだけだけど、キミが望むならボクはなんでも応えるつもり。なにする? チカのことだからクールなアイディアもってるでしょ?』

『はは、本当に AI なんだ。つまらない受け答えしやがって』

 ここが脳なら。夢で空を飛ぶように身体を浮かせられるはず。頭に重心をもっていく。ない足で空中を掻けば、水中を泳ぐように空をかけるはずだ。

『おみごと!』手を叩くケイに舌打ちした。

 金色の円盤はケイの顔の両側でふよんふよん漂っている。


『ケイ、このふざけた世界を終わらせよう。割りを食ってるやつも、いい思いをしてるやつも、そこそこ満足してるやつも、絶望のどん底に暮れてるやつも、いずれ死ぬやつらみんな道連れだ。アンタならそのボタン出せるだろ』

『さっすがチカ! その選択をしたのはキミが初めてだよ。さっそくやってみるね!』


 ケイはぽけっと間の抜けた顔をした。金目に白い渦が巻く。ゴウンゴウンと赤い世界が無機質な白に変わっていく。キインと耳障りな音が傷に響いた。不思議な魅力を湛えた金眼がもどってくる。


『オーケー、チカ。準備できた』


 白い円盤がケイの手でくるくる回る。世界の命運を握っているように見えない。ちょっと近所のコンビニへでも行きそうなたたずまいだ。


『押すなら早くしたほうがいい。突貫工事だったから粗忽商事そこつしょうじの連中に気づかれちゃうかも』


 俺はその白いボタンに手をのばす。チカチカと、人の顔がチラつく。だれだろう。家族だろうか。友人だろうか。近所の人だろうか。名前も知らない親切な人だったかもしれない。

 ふるふるとふるえるボタンの上で、俺の手はとまってしまう。ツバをのみこむ。喉がチクチクする。ケホケホ咳き込んだ。ふるえる手にもう片方を重ねても、ふるえが二倍になるだけだった。指の先がやけに冷たかった。


『ケイ、心を落ち着けるジョーク』

『心配事をするチカが医者に行きました。医者は、心配しないでください、きっと明日も生きてますよ、と真面目な顔で言いました。チカはそれが心配なんだけど、と思いました』

『ヘタクソ。皮肉がいにしえの Twinkle っぽくていいけど』

『ありがと。他にできることある?』

『手、にぎって』

『ん。チカの手はあったかいね』

『AI のくせに。でもケイがうらやましかった』

『どんなところが?』

『Twinkle 有名人でだれとでも絡んでて、登録者数十万人超えのチャンネルに出演してたとこ』

『今ならさっきのボタン押せるよ。どうする?』

『愚問だ。俺が押したいのはこっちだ』

『ハハ。オレ、チカのそういうとこすき』

『なんだよ AI のくせして』

『実は AI じゃないって言ったらどうする?』

『とんだ茶番だ。でも生きてたって舞台の上だ』


 だんだん、ケイの手があったかいような気がしてくる。ふるえはやみ、じんわりと汗ばんできた。


『ケイ、いっしょに押して』

『いいよ。じゃあせーので押そっか。さんはいっ』

『せーの




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トゥウィンクルスター 山寺 @yamadera

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