エピローグ:降伏の朝【時間限定公開】

 クリスマスの朝は、驚くほど静かに訪れた。  昨夜の雪は止み、窓の外には吸い込まれるような冬の青空が広がっている。


 私はキッチンに立ち、定治と私のためにコーヒーを淹れていた。  使い慣れたドリッパーから落ちる黒い雫が、静かな部屋に香ばしい香りを広げていく。  左手の薬指。  そこに嵌まった結婚指輪が、朝の光を反射してキッチンカウンターに小さな光の粒を落としている。


 ふと、リビングに置かれたスマートフォンの通知が鳴った。  広告代理店時代の同期からだった。  そこには、風の噂で聞いたという、あの男——佐伯のその後が記されていた。


『佐伯さん、海外で立ち上げた会社が早々に頓挫して、今はあちこちに借金を作って逃げ回ってるらしいよ。結局、中身のない人だったんだね』


 その文字を目にしても、私の心にはさざ波一つ立たなかった。  かつて、私の世界を壊しかけた男の没落。

 それを知っても「スカッとする」感情すら湧いてこないほど、今の私の世界は、定治という名の絶対的な愛で満たされていた。


「雅美、コーヒーのいい匂いがするね」


 背後から、定治の温かい腕が私の腰を包み込んだ。  彼は私の首筋に顔を埋め、深く息を吸い込む。  まるで、私という存在が自分の所有物であることを、一分一秒、確認せずにはいられないかのように。


「……定治。起きたの?」

「うん。勇くんも、さっき目を覚ましたよ。一人でご機嫌に笑ってる」


 定治は私の手からカップを奪うように取ると、それをカウンターに置き、私を自分の方へと向き直らせた。  彼の瞳は、冬の陽光よりも鋭く、私の心の奥底を射抜いてくる。


「雅美。もう、あの男のことは考えていないよね?」


 その問いに、私は一瞬だけ息を止めた。  定治はすべてを知っている。  私が今、誰からの連絡を見ていたのかさえ、彼は直感で理解しているのだ。  私は逃げ場がない。

 過去も、現在も、そしてこれから訪れるすべての未来も、定治の掌(てのひら)の上にある。


「……ええ。考えていないわ。私には、あなたと勇くんしかいないもの」


 それは、真実だった。  そして同時に、私に許された唯一の「正解」だった。  私がそう答えると、定治は満足そうに目を細め、私の額に深いキスを落とした。


「いい子だ。……愛してるよ、雅美。お前がどんな罪を犯しても、俺だけは、お前を一生放してあげないから」


 その言葉は、呪いのようでいて、同時に究極の救済だった。  裏切り、汚れ、道を踏み外した私を、彼は「狂気」という名の檻に閉じ込めることで守り抜いてくれた。    窓の外、積もった雪が朝日に照らされて、眩いばかりに白く輝いている。  その下には、溶けることのない、私たちの昏(くら)い約束が埋もれている。


 私は定治の胸に顔を埋め、自分を縛り付けるその腕の力に、そっと身を委ねた。  もう、どこへも行かなくていい。  もう、一人で寂しさに震える夜は来ない。

 

  【It is the true completion】


▶▶▶

【作風:方向性思案中】


詠み専からの執筆の若輩者です。

これまで作品の拝読と我流イラスト生成がメインでした。

御意見:感想がの御指摘が閃きやヒントに繋がります。


  宜しくお願いします。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『白銀の監獄、聖夜の求婚 ——裏切りの果てに、私は夫の檻で生きる』 比絽斗 @motive038

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画