第3話 嫁入り行列は、諜報部隊

第3話 嫁入り行列は、諜報部隊


 


「……多すぎる」


城門の前で、誰かがはっきりそう言った。


「女の嫁入りだぞ?」


「これでは遠征軍だ」


朝霧がまだ残る石畳に、馬の蹄の音が重なる。

冷たい空気が頬を刺し、吐く息が白くにじんだ。リディアは馬車の中で、静かに背筋を伸ばしていた。


「聞こえていますか」


隣に座るイレーネが、小声で言う。


「ええ」


リディアは答えた。


「わざとですもの」


馬車の扉越しに、嘲笑が漏れ聞こえる。


「会計官? 医師? 土木技師に商人まで?」


「花嫁が国を買いに行くのか?」


笑い声。

その一つ一つが、霜のように冷たい。


「……よろしいのですか」


ヘンリクが帳簿を抱えたまま、囁く。


「ここまで露骨だと、警戒されます」


「警戒されていいのです」


リディアは、指先で膝の布をなぞった。

絹の感触が、落ち着きをくれる。


「彼らは“花嫁”しか見ていない。

だから――」


視線を上げる。


「私の後ろまでは、見えません」


馬車が、ゆっくりと動き出す。

車輪が石を踏む音が、一定のリズムで続く。


城門を抜ける瞬間。

父が、遠くに立っていた。


「……行くぞ」


彼の声は、低く、硬い。

それでも、視線だけは、娘を追っていた。


「お父様」


リディアは、馬車の窓を少しだけ開けた。

冷たい風が、頬を撫でる。


「必ず、戻ります」


父は、答えなかった。

ただ、深く頷いた。


 


国境を越えると、空気が変わった。

湿り気を含んだ風。

土の匂い。

遠くで、鉄が擦れるような音。


「……軍です」


ローデリヒが、地図を見ながら言った。


「野営の跡が、あちこちに」


「でも、補給が追いついていない」


ヘンリクが、窓の外を見て呟く。


「荷車の数が合わない」


商人サムエルが、くすりと笑った。


「市場も、荒れてますよ。

穀物の値が、不自然に跳ねている」


リディアは、静かに頷いた。


「記録して」


「すべて?」


「すべてです」


馬車の中は、静かだった。

けれど、その静けさは、緊張ではなく集中だった。


「……姫様」


イレーネが、ふと声を落とす。


「怖くは、ありませんか」


リディアは、一瞬だけ目を伏せた。

胸の奥に、確かにある感情を、探す。


「怖いですよ」


素直に答える。


「女一人を理由に、

国が怒り、兵が動く」


指先が、少しだけ震えた。


「でも」


顔を上げる。


「泣いても、叫んでも、

彼らは止まりません」


馬車が揺れる。

遠くで、軍靴の音が響く。


「だから――」


リディアは、ゆっくりと言った。


「見るのです。

数を。

流れを。

嘘を」


ローデリヒが、息を呑む。


「……これが、戦争ですか」


「いいえ」


リディアは、首を振った。


「これは、戦争の前の“帳簿”です」


 


隣国の城下が見えてきた。

高い城壁。

だが、その影に、ひび割れた家々が並ぶ。


「立派な城ですね」


サムエルが、わざとらしく言った。


「中身は、別として」


衛兵が近づいてくる。

視線が、随行員の数を数える。


「花嫁殿……随分と、大所帯ですな」


「女の旅は、何かと物入りですから」


リディアは、穏やかに微笑んだ。


「それに」


視線を、まっすぐ返す。


「和平には、健康と、数字と、道が必要でしょう?」


衛兵は、一瞬、言葉に詰まった。


「……お通りください」


門が、軋む音を立てて開く。


馬車が進む。

城内へ。


リディアは、深く息を吸った。

鉄と土と、人の不安の匂い。


「さあ」


小さく、しかし確かに言った。


「仕事です」


随行員たちが、無言で頷く。


嘲笑は、まだ続いている。

だが、それは、もう届かない。


彼らは知らない。


この花嫁行列が――

剣を持たない、合法の侵入者だということを。


そして、戦争はすでに、

この静かな馬車の中から、

解体され始めているということを。


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